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「あるがまま」をはき違えてしまい、生きづらくなっていたよ

最近、つくづく自分は何も考えないで
生きてきたなと思う。

未だにその傾向が残っている。

何も考えないというのは、どういうことか?

何かをしようとした時、その行動の目的とか、
その行動を取るとどんなことが起こるかとかを
考えずに行動する
ということだ。


例えば、就職したいと思って、
就活をする時、目的は働きたい会社で
採用されることだ。

自分が採用されるにはどうすればいいのか?
というところから考えていかなきゃ
いけないのに、そこは考えずに、
採用試験を受けるには何するの?
え?まずはエントリーシートなんだ。
履歴書も書かなきゃいけないんだねと
周りから言われるがままにしか
考えていない状態。


誰かとコミュニケーションをとる時。
コミュニケーションの目的は
色々あると思うけど、
プライベートなら仲良くなりたい、
ビジネスでなら距離を近くしたいなどが
理由になる。

じゃあそのために
どんなアプローチをしたらいいのか。

まず相手を知る必要がある。
そこから考えてどんな言葉をかけるのか
どのタイミングでなのか
などを考えていくと思う。

何も考えずにコミュニケーションを
とるというのは、
今、私の頭の中に思いついたから、
それを目の前にいた人に伝える。
そんな状態。



面の皮が厚ければ、
これでも生きていけるだろうが、
私はそうじゃなくて、
とても生きづらいと思ってきた。

うまくいかず、傷つくからだ。

でも傷ついたり、落ち込む前に、
そもそもそのやり方で良かったのか?
と考えたい。

もう、こういう生き方からは卒業したい。

そのためにはしっかりと
掘り下げて考えていこう。

どうしてこうなったのかと
自分の生い立ちを振り返ってみる。



今までの身についてしまった「あるがまま」


親を責めているわけではなく、
私が生きてきた環境がそうだった
という話なのだが、
私の母親は、何か行動を起こすのに、
その行動を起こしたら、次どうなるか?
ということを考えずに行動する人だ。

それは、今も変わらない。

さっきバイトから帰宅し、
冷蔵庫を開けて、お昼ご飯の用意を
しようとしたら、
チルド室が海老の汁の海になっていた。

今晩の夕飯に、
母親は、冷凍していた有頭海老を使うつもりで、
解凍していたらしいのだが、
ポリ袋に入れただけの海老を
解凍したらどうなるか
という想像が全くできない。
だから、そのままチルド室に放り込んでしまう。

私なら、解凍したら、
海老からドリップ(液)が出てくるだろうな
と思って、
袋ごとバットに入れた状態で解凍する。

どうしてそう思うか?

それはもちろん、過去にドリップで
びちょびちょに汚してしまって、
掃除が面倒だった記憶があるから、
次からそうしたくないと思って対策をする。

母だってこういう事
何度も繰り返しているはずなのに、
変わらず、対策をしないで
同じことを何度もする。

それは、言葉も同じで、
母親は、思いついたから喋る。

相手がどう思うかを考えずに喋る。
だから、いつも私は母親とけんかになる。

父親はそのやり取りを見ているので、
余計なこと言うなと母親に釘を刺すのだが、
私の自由でしょとお構いなしに喋る。


私がいつも悩むのは、
母親の距離感のおかしさだ。

私は基本的に母親と考え方が合わないから、
べったりしたくはないが、
だからと言って断絶するほどでもなく、
不快とかしんどさが感じない程度の
距離感があれば、
大人らしく母と娘として付き合える。

しかし、彼女の方はそうではないみたいで、
同性の自分の子供だから、
自分と同じなんだと思っている節があり、
距離もぐいぐいと迫ってくる。

私はそれが苦痛で、
言葉は悪いがシッシッと冷たくあしらって、
距離を空けるように仕向けるのに、
ちょっとでも楽しく会話が続くと、
犬みたいにしっぽを振って寄ってくる。

それがまた私のしんどさになるの繰り返し。

これに関しては、
私がきちんと言葉にして説明しないのが
いけないのかもしれない。

でも、難しいよね。
話しかけないで、近寄らないでも違うしさ。


もとい。
先を見据えて行動しない大人が
身近だったという話。

母親は化粧をするのはごまかしだ
というモットーを持っている人で、
そのままの姿が一番美しいと考えている。

化粧に関しては、
するしないはその人の自由でいいんだけど、
そのままが一番、工夫も何もしないのが
自然であるべき姿という
そういう考えが、彼女の行動すべてに
つながっている気がしてならない。


今読んでいる『サードドア』という本で、
成功するために、入り口のドアは3つある
と出てくる。

ほとんどの人が並ぶ第1のドアは、
行列がすごくて、
ドアをいつくぐれるのかもわからないから、
著者のように第3のドアを探していく話。

いわば、第3のドアを探すことが
工夫するということだ。

私の父親は、ザ・真面目。
ルールは守らないと!という男なので、
第1のドアに並べと言われたら
きちんと列を乱さずに並んでいくタイプ。
なぜならルールは守るものだから。

一方母親は、そのままが一番という人だから、
今いるのが第1のドアの列なら、
そこに並んでいることがあるべき姿。
第3のドアを探そうなんて
こざかしいことはしない。
私は第1のドアの列に並ぶのよ~。
それがいいのよと気ままに生きている感じ。


というわけで、
身近に、第3のドアを探すような、
先を見据えて考える人がいなかった。

さらには、幸か不幸か、
私自身も、自分の要求を通すために
何かを工夫しなければならない
という状況にもいなかった。

何もかも与えられていたということではなく、
欲しいものややりたいことをあきらめる場面は多々あったが、生きるうえでの苦労はなかった。

毎食の食事は祖母や母親が作ってくれていたし、
父親が外で頑張って働いてくれていたので、
大した不自由なく暮らすことができた。

自分の希望を飲み込んで我慢してしまえば、
やり過ごせる状況だった。

コミュニケーションでもそう。
自分の思ったことを口にして、
相手の反応があれ?という感じだったら、
無理に自分の考えを押し通そうとはせずに黙る。

黙っていれば、周りからは
害のない人間と思われるので、
いじめられることもない。

もちろん、いるかいないか
わからないような存在感だから、
人気者にはなれないけど、
私は自分の世界(小学生の時は、
休み時間は図書館で借りた本を読んでいた)
があれば、
別に友達が居なくても気にならなかった。

相手が自分の思っていることを理解したり、
共感してくれなくても、
それが当然で、期待もしていなかった。

わかってもらおうと努力もしなかった。


これが、
どうしてもやってみたいことがあったとか、
どうしても仲良くなってみたい人が
いたなどあったら、また違っただろう。

どうしたらいいかと
考えて試したりしていただろう。
そこまでの気持ちがなかったんだろうなぁ。

全くないわけではないが、少なすぎた。

長い人生を経て、
ようやくそういう状況を経験したから、
少しは考えるようになったけれども。

基本は、人生に対して受け身で、
あきらめていた。

受け身=自分から行動しない。

あきらめるというのは、
自分の気持ちを理解、共感してもらうことを
あきらめているということ。

むろんそれは、自分から声を発しないから。

それはまるで事なかれ主義。

そうしたいと思っての事なかれ主義ではないが、
結果として受け身であきらめると
事が起こらないので、事なかれ主義になる。


事なかれ主義の人は、会社などで仕事をする上で
嫌がられるパターンがある。

さっきのドアの話に例えると、
事なかれ主義の人は、
第1のドアの列に並んでいるが、
はなからドアはくぐれないだろうと
踏んでいるから、
きちんと列に並ばないが、
いざとなったら並べるようなところで
プラプラしている。

そして、
第3のドアを探しにいくような冒険もしない。

しかも、行列に並んでいることに
不平不満をブツブツと言い続けている。

警備の人が近寄ってくると、
ぴたっと口を閉ざして、
いなくなるとまたブツブツ。そんな感じだ。

一緒に列には並びたくないよね。

一緒に並ぶなら、どうやったら、
この長い行列を楽しく待てるかとか考えて、
アレコレやっている人か、
第3のドアの探しにいく作戦を練って、
一緒に飛び出す人がいい。


でも、かつての自分は
煙たがられる方の人間だった。



私が望む「あるがまま」


「あるがまま」は、
何も考えずに行動したり、
発言したりすることじゃなく、
自分という人間の良いことも悪いことも
全部そのまま自分と受けとめた上で
行動、発言すること。
その先には、目的や相手がいるということ。


何も考えていない時は、そこが見えていない。


例えるなら、何も考えないあるがままは、
武器や防具を何一つ身に着けずに、
荒野を旅するようなもの。

でも私が望む姿はそうじゃなくて、
自分に必要な武器は何か、
防具は何かを吟味したうえで装着して、
出発したい。

これがいいよ、と渡される武器ではなく。

自分の目的や、
これから対峙するであろう敵を想定して、
武器や防具を選ぶ。

それが私の望む「あるがまま」。


次の回では、何も考えてこなかったが故に、
生きづらさを感じて傷ついてきた、
私みたいな人が、少しでも生きづらさについての
対策をとって行動する方法について
考えてみようと思う。

今回は、
武器や防具は身に着けた方がいいよという話。

次回はどんな武器や防具を選ぶのがいいのか?という話。



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