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母が亡くなりました。

今月、母が亡くなりました。

母は、最後の四年間を病院で過ごしました。
それなりに覚悟はしていたのですが、やはり辛いものですね。

入院中、後半の二年間はコロナのせいで面会は出来ませんでした。

何年も前のことですが、母は肺炎になり、生死の境をさまよったことがあります。

わたしは医師に呼ばれ、「もう回復することはないでしょう」と言われました。レントゲン写真の母の肺は、片方が真っ白、もう片方も半分以上が真っ白の状態でした。

母の手を握り、ただただ祈りました。
すると、何故か分からないのですが、とても穏やかな気持ちになったのを覚えています。
そして、母は三途の川の手前で引き返してきました。

担当医も看護師さん達もとても驚いていました。
皆さんで寄せ書きまでして頂きました。

寄せ書きには「とても励みになります。」とありました。

意識が戻り体も回復してしばらくした時、母はとても不思議なことをわたしに向かって口にしました。

あの世は本当にあるのかもしれないと思ったのですが、医師にそのことを話したところ「よくあることです」と言われました。

それが昏睡状態から目覚めた不安定な脳が作り出したものなのかどうなのかは今だに分かりません。

母の遺骨は、骨粗しょう症のせいかすかすかでもろいものでした。
それを見た時、人のはかなさを感じました。

たかだか何十年のこの短い人生の中で、小さな事で悩んだり、怒ったり、悲しんだり、いがみ合ったりして生きることが、いかにもったいない時間の過ごし方なのかと感じました。

母はとても田舎の山奥で生まれ、七人兄弟の長女として祖父を支え弟妹達の面倒をよく見たようです。

子供の頃から、祖父の手伝いで心肺が鍛えられたようで、足腰も非常にしっかりしており、わたしが子供の頃、母の歩くのが早くて小走りでないと追いつけなかったのを覚えています。

母は若い頃、親類を頼って大阪に一人でやって来て、当時刑事だった父と出会い結婚しました。その父も随分前に亡くなっています。

頼もしい母親でした。
随分可愛がってもらった記憶があります。
感謝しかないです。

様態が急変したと、入院先の病院から連絡があり、事情があり疎遠になっていた兄に連絡を入れましたが、兄は来ませんでした。

喪主は、わたしが務めることになりました。
兄は、通夜、葬儀にはなんとか顔を出しました。
色々言いたいことはありましたが、母のことを思い胸に収めることにしました。

一国の大統領であれ、ホームレスであれ、どうせいつかはみんな死んでしまうのに、憎んだり、恨んだり、いがみ合ったりしてしまう。
人間は、とても愚かです。

人は、何のために生まれてくるのか?
愚かなこと、愛にあふれたこと、それらすべてを自分の身をもって経験し、感じとるために生まれて来るのかも知れません。

母にとって入院生活はとても辛いものだったと思うので、これで楽になれたのかとも思います。
今は、母に対する感謝の気持ちで一杯です。

意識がもうろうとする母の耳元に、精一杯大きな声で「生んでくれてありがとう」と言えました。

母がわたしにくれた愛情を、妻と子供たちにも同じ様に伝えて行きたいと思います。

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