見出し画像

2度目の転職

まさのぶ@やりたいこと発見コーチです。
今回は2度目の転職の話です。

■2社目の話

叔母さんの紹介で転職した輸入時計商社では、
営業職として入社しましたが、まずは商品を覚えるために
入出庫業務を行っていました。

私は手先が器用ではないため、時計を包んだり、専用容器への
梱包が上手にできず、周りの方へ迷惑をかけてばかりでした。

挙句の果てにお給料を減らされました(涙)

■転機が訪れる

入社してからひと月ぐらいたった頃、
叔母さんが体調を崩したので、しばらく休むことになり、
叔母さんが担当していた修理受付業務を引き継ぐことになりました。

その業務は自分にマッチしました。
お客様との電話対応、各メーカーの修理担当者との折衝など、
みるみるうちに仕事を覚えていき、周囲の評価も変わってきました。

また、この頃から見配り、気配りが以前にも増してできるようになり、
着実に成長している実感がありました。

その後、叔母さんが亡くなったこともあり、
正式に修理担当として配属されました。

■税関の査察

入社してから半年後のある日、出社すると見知らぬスーツ姿の男性達が
数人社内にいました。

その内の一人から「あなたはここの社員ですか?」と聞かれたので、
「はい、そうです」と答えると、「大阪税関です」と言われた。
その時の私は「税関?なんで???」となりました。

社内に上司がいたので、何があったのか確認すると、
どうやら、社長が時計を海外へ買い付けに何回か
行ったことがあり、その時に何点か時計を持ち帰ったのですが、
税関へ申告しなかったため、悪質として査察がきた。

当然、社長の自宅にも調査官が行っていて、
色々調べられているらしいとの事でした。

「机の引き出しを開けて横に立って下さい」
「外部と連絡しないように電話線を電話機から抜いて下さい」
など、色々指示があり、緊迫した雰囲気で進められました。

とはいえ、私は入社して半年くらいですので
買い付けに関しては全く何も知らず、
調査官から質問されても分からないことが多かったです。

社長は、お昼ごろに会社へきました。
調査官に向かって怒りの感情をぶちまけていましたが、
調査官も慣れたもので、一人が社長の相手をして、
その他の人達は淡々と書類を確認していました。

結局社内での調査はこの日の昼過ぎで終わりましたが、
みんな動揺して仕事が手につかない状況でした。

■転職先が決まる。そして退職へ

この日を境に、社長と他のメンバーの間に溝ができ始めました。
社長は自分の正当性を主張していましたが、結果的に脱税行為を
していたので、社長の求心力は低下していき、
専務以下のメンバーが独立を模索していました。

私は家でこの事を親に告げると、母は「この会社は危ない」と
思ったのか、翌日に自分が働いている会社の社長に相談しました。

最初は系列の会社へ入れてもらうつもりで相談したらしいのですが、
社長が「総務が人を探しているから総務ではどうか」と
言われたそうです。
それで後日面接に来るように母を通じて連絡がありました。

その会社は父の先輩が経営している業界では大手の会社でした。
でも、両親と同じ職場は嫌だなと思ったのですが、せっかくの
お話ですので、面接に行きました。

面接は総務部長と監査役にしていただきました。
これまでの経歴と現在の会社のことについて話したと
思うのですが、緊張のあまり覚えていません(笑)

両親と同じ職場になることについての意見を聞かれたと
思うのですが、仕事内容もフロアも違うので、あまり
関係ないと言ったと思います。

そんな感じで手ごたえのないまま面接は終了しました。
「これは落ちたな」と思ったのですが、数日後に
母から内定やでと言われ、ひっくり返りました(笑)
これも偉大な両親のおかげです。

数日後、社長に退職の旨を告げたところ、
色々言われて引き留められましたが、
なんとか退職することができました。

営業課長からは、新しく会社を立ち上げるので、
一緒にやろうと言われたのですが、転職先が決まったと
伝えると納得して頂けました。

それから1ヵ月後くらいに後任者が入社し、
無事に引き継ぎを終えて退職することができました。

後日談ですが、結局その会社は解散しました。
専務以下のメンバーは予定通り新しい会社を立ち上げ
ましたが、連絡をとってないのでどうなっているのか
分かりません。

ではまた。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?