Time is....を越えて

東急東横線大倉山駅「ブックカフェ・エルヴェ」にて11月4日〜11月11日に開催されたグループ展「Time is….私たちそしてあなたと」

これまでも、個展をやりたいと話していたけれど
「思っていた」程度で、実現に向けての行動はしていなかった

2023年の春に、ひょんなことから友人と「展示」をすることに
ここには展示をしてみたかった仲間がいたんです

もちろん、互いの作品を見たこともなければ
別段このことについて話をしたこともなかったんです
しかしそれぞれの感覚が一致してグループ展を開くことに

画廊ではなく、ブックカフェ・エルヴェさんを借りて行う展示会
ワクワクしてしまう自分を押さえながら準備が始まります

これまでに経験のないことなので、とりあえず自分が
絵を描くことだけはできるなと思い少しづつ描き始めます

最初は真っ白の画用紙に書くことをスタートさせました
特に美術系の学校を出たわけでもなく、ただただイラストを描いたり
することがあるだけ。小学校の写生大会で、県の美術展覧会で賞をもらったことがあるけれど、当時も描きたいものを描き、作りたいものをつくるだけ。技法や手法も知らずに創作するだけでした

20代で練馬区の美術展覧会へ、市民の部に出展した作品の色使いは今思い返してもおぞまし、ダークなものだった。ちょっと気持ち悪い画風だったことは覚えていて、平日しか作品搬入ができなくて職場には適当なこと言って
休みをもらっていった記憶が思い出されました。ちょっとした反発、反抗的な意図が絵にはあったように思うんです

ただ、今回はそういった気持ちで書くのとはまったく違うんです
準備をしていく中で、心の変化が起こり、急に方向転換が起こります

白い画用紙に書き込んでいた絵を一旦やめて、黒い画用紙に描き始めるんです。それも個展2週間前くらいから。急に

それでもいいと思えたのは、これまでも好きに描いていたから
技法などもあるわけではない、自分の描きたいものを描くこと
それでいいから出してみたという具合

自分の見え方や描き方は、内面的なものの現れなんです
描きたいから描いているんだけれど、描かされているとも言える
これは、誰かに言われて描いているのではなく、自分自身によって

身体性、精神性、霊性など様々なものがあるのですが
これらを「感じる」、「感じない」も、人それぞれで違っているので
説明したところでわからない人にはわからない
解釈の自由度はそれぞれ持っていると思うんです

絵に対しても同じようなことが言えると思っていて
それを観た人が、色々思っていいんです
どう感じても、感じなくてもそれでいい、それが今の現象なので

こちらの作品は、みる人によって「かわいい」とか「生々しい」とか「温かみがある」など色々な声をいただいた一枚です

アクリル絵の具で色をつけて、その上からペンだけで模様をつけています
捉え方は無限にあっていいんです、むしろ決めなくてもいい

こうして、誰かとの接点になるのが「絵」でもあります

ずーっと観ていることで、感じるものがあったりなかったり
言葉から離れてみて、感じるだけでいいのが「絵」だったりもします

こうした表現も続けることで「変化」することだと思うんです
誰かに触れた時に、この表現で何か変わるかもしれない

グループ展をするにあたり、下見にも訪れて色々話しました
11月3日の搬入日に会場に入ると、それぞれ自然と場所が決まり
掲示準備に入りました

曲がっているとか、もう少し右だとかそれぞれが互いに言葉で
やり取りをしていく

こうしたら、もう少しいいだとか、こっちの方がいいだとか
ここにも互いの信頼、RESPECTがあるから進んでゆく

作品をひとしきり飾り終われば次に待っているのは共同制作

3人で同じキャンバスに描こう、そして展示に来ていただいた方へも
参加してもらい完成させようというもの

何をどう描くなんて決めなくて、おもむろに色をつけ、造形をつける
そんな作業をあっという間に終わらせる3人

ほぼ無言
でも快適

職業も、生活も全く違うのに、それぞれのバランスが面白いんですよ

11月4日からの展示が始まると様々な方に作品に触れていただきました 
全く性質の異なる3人の作品が、同じ空間にいることで親和性が生まれる

白い壁、直線と曲線を介して、そしてそれぞれの作品が作り出す空気感この質感を体感することができたのは、自分にとっては新鮮でした
初めてのことだから、なおさら新鮮に感じる

来てくださり、鑑賞いただいた方それぞれが出す空気もまた非常に有意義でした

11月5日の対談ではそれぞれの思い、これまでとこれからを話しました
今に至るまでをそれぞれの言葉で話しました
対談を聴講する皆さんとのやりとりは「何者でもない私たち」が
それぞれの接点では、常に「何者かである」ということを感じました

自分たちの当たり前は、誰かの当たり前ではない
誰かの当たり前は、自分の当たり前ではない
そんな気づきを得たようにも思います

対談の中で、音の世界ではこれまで「味」だった部分が
時代が変われば「雑音」であり、テクノロジーの発展により
数人で行う作業もコンピューターひとつあることで解決してしまう

こんなやり取りを聞くと、この場に来る方々の趣が
どのようにして起こっているのかを垣間見る瞬間でもあった

テクノロジーが発展しても、人間に興味があったり
人間臭さ、人間らしさ、コンピューターでは表せないものも
鑑賞の原点になるのかもしれないと感じています

「私と、あなた」というコンセプトから、私と繋がっているあなたとあなた
に変化したり、その接点が新しかったり、古かったりするんですが
ここにはその時々の「私」がいるから「あなた」が繋がってくる

繋がった先にも「私」や「あなた」がいる
このように常に変化をしながら進んでいる
でもちょっと、イタズラな自分がいたり
うまく表現できない自分もいるんですがそれでいい

そこから、どうにかするように自分が動くだけ
そこまで考えなくても、きっと勝手に動いていくはず

こうして文を好き勝手に打ち込んでいる
きっとこれもフリースタイル
打ちながら変化していくのでしょう

11月11日最終日
展示メンバーと関係のある方がそれぞれ見に来てくれて
言葉を交わしている姿を見ながら感じたこと
関係のある方と話をして感じたこと

「どんどん、変わり続ける」ということ
それぞれの関係性も変化していくのが人生だと思っています
だからこそ、その一瞬を思いきり良く過ごしたいと改めて感じたわけです

冒頭で話したように、これまでは「個展をしてみたい」で止まっていたんですけが、展示をすることで「行動」が伴うことになる

これも言葉の使い方で、願望を実現するために書き出して、貼り出して
声として話して実現していくなんて手法もあるんですが
これに囚われ過ぎなくていいと思ったのが今回の開催期間で感じたこと

手足を動かしたり、どこかへ移動していくこと、そこで感じること
実際に見て触れること、そして話すこと、知ること、普段いない景色に触れてみること

いろんなことと、ものがある中で「自分」が好きなことや心地よいことに
フォーカスする

会場まで電車で向かうのですが、それぞれの駅や路線が違うだけで
人間の雰囲気も全く違うんです。もちろん、駅のホームや改札の外にいる人たちの理由も様々で住んでる人、久しぶりに来た人、遊び来た人、仕事できた人、地元の人

温度感も、見え方も新鮮でした
大倉山っていうだけあって、線路があるところは山の下
線路から大倉山の梅が綺麗に咲くところまでは、息が上がる坂道がある

街の暮らし方も全く違うんだと思う

それぞれの時間を共有したり、自分一人で向き合ったり
そんな空間を共有できた1週間でした

こうして自分で考える時間
自分で行動する時間
気づけたこともありました
この文字もキーボードを使い打ち込んでいます

なんだかんが考えながら、無言で打ち込んでいます
AIがサポートしてくれるよ!なんて表示も出てくるけど
今回は、人間っぽく自分の言葉で書いてみました

Time isを超えて思うことは、これからも時折あるかもしれない
もしかしたらないかもしれない

それでいいんだろうな。答えはどうなってもいいんだと思います

今度は、自分のお店で作品展をします
2024年5月のどこか
細かい日程はまだ決めてません
でも必ず、お知らせします

内側で描くと外側に出るんだろうということを改めて
やってみたいと思います
どうなるんでしょう

内側を出すことは、外側になるのか?
裏も表もどちらもないのか?
そんな問いを自分で楽しみながら

最後まで読んでいただき、ありがとうございました

またひとつ、これまでと違った人たちに出会えることを楽しみに

2023年11月13日 いがまさのぶ







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