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僕はコンサート作りで「アート」がしたい

アミーキティア管弦楽団はおかげさまで、この2月で5年を迎えました。いつも応援したいただきありがとうございます。当初僕たちは、「チャイ5(=チャイコフスキー交響曲第5番)やりたいよね!」で集まった文字通りの一発オケでした。ただ、その当時から、いち音楽家の端くれ(の端くれ)として僕たちも、「多くの人にコンサートに来ていただくためには」とか「クラシック音楽やオーケストラの持つ社会的役割とは」とかいったことを真面目に考えてきました。その時々で考えていることや発言していることに少しずつ違いはあるものの、ある程度連続して考えてきたことを整理する意味で、先日の5周年に併せて、楽団ポリシーを更新し、その中で楽団としての活動の軸として、次の3つを提示することになりました(全文はコチラをご覧ください)。


1. 自分たちは何をしたいのか / 何が言いたいのかに向き合いコンサートを企画する
2. 多様な人びとが集まり関わる場・空間としてのコンサートが持つ意味を考える
3. 様々な芸術表現を参照しながら「コンサートとは何か」「音楽とは何か」を問い直す


今回は、改めてこの3つを軸とするにあたって、そもそもアミオケが設立からどういうことを考えてきて、その文脈で今何をやりたがっているのかについて、書いていきたいと思います。日頃からなかなか思っていることを伝えるのが下手な僕ですが、今回の内容も是非知っていただきたいと思い、最後までお付き合いいただければ嬉しいです。

ローンチ・パートナーズの遺産

僕の音楽活動を決定的に変え、今のような活動をするに至った契機は、あとで述べるようにいわゆる「現代アート」との出会いでした。具体的には、釜ヶ崎芸術大学でのコンサートをきっかけに、クラシック音楽やオーケストラの世界の外で、今を生きるアーティストたちがどのように物を見て、作品を制作しているかということを知る機会がかなり多くなりました。そしてそのアーティストたちの手法・考え方が、僕が設立から長らく考え続けてきたテーマを実現するのにぴったりだと思い、今のアミオケの活動につながっています。ただ、このことをお話する前に、僕がそもそもアミオケで何をやろうとしていたのか、また現在に至るまでに何をしてきたかについて、少し書かせてください。

すでに書いたように、立ち上げから僕たちアミオケは、コンサートを企画しながら「多くの人にコンサートに来ていただくためには」とか「クラシック音楽やオーケストラの持つ社会的役割とは」とかいったことをずっと考えてきました。「毎回の企画でコンセプトを重視して、そのコンサートにおいて観客・演奏者・地域社会が体験する内容の意味を、必ず語れるようにする」という設立当初からの方針は、僕たちなりに、企画を通じてクラシック音楽やオーケストラと、社会との新しい接点を探そうとするものでした。

それをある意味でコンテンツ化して、ビジネス的に結び付けていこうとして設立したのが、いまはなき「一般社団法人ローンチ・パートナーズ」(2016年~2019年)という団体で、ごく一時期ですが、アミオケの運営をローンチ・パートナーズが担っていました。立ち上げに際しては、社会課題や企業課題を軸として、コンサート企画によって音楽の側面からその課題解決の一端を担うことができれば、さきほど言うところの「社会との新しい接点」になるのではないか、というビジョンを持っていました。そこでは例えば、様々な業種の最先端を行く方々とともに、共通の社会課題についてディスカッションをするトークイベント等を開催していました。法人解散の後も、このイベントでの知的な経験が、今も企画をするうえでとても参考になっています。

これ以外にも、結局ローンチにまでには至りませんでしたが、実はアプリ開発も進めていました。このころはまだ大学に在籍していましたが、研究よりもこの手の活動にほとんどの時間を使っていた気がします。このように色々とコンサート企画につながる糧を探して活動してきた団体でしたが、2018年度はアミオケの方で手いっぱいとなり、2019年には解散することになりました。法人設立当時からの一番の変化、そして(経営面以外での)法人解散の一番の理由は、僕自身がアミオケを継続するうえで、コンテンツ化やビジネス化というキーワードが、そこまで重要ではなくなってきたことです。その代わりに僕に開けてきた世界が、現代アートでした。

そもそもなぜコンサートを作っているのか

そもそも、なぜそこまでして「クラシック音楽やオーケストラの持つ社会的役割とは」みたいなことを考えながら、特に本職でもないコンサート作りを続けてきたのか。なぜ「普通のコンサート」をやるのじゃだめなのか。実際にこの5年間、僕は、毎日のように「どんなコンサートを作るか」について毎日のように考え続けてきました。かように「多くの人にコンサートに来ていただくためには」とか「クラシック音楽やオーケストラの持つ社会的役割とは」とか言うことを考えずにはいられないことには、やはり原体験として、いわゆる「橋下ショック」があったことは間違いありません。

2008年に大阪大学でオーケストラの世界に入った僕は、ようやく舞台に上がり、人前で楽器(ホルン)が鳴らせるようになったころに、行政がオーケストラや文楽に対する支援を打ち切るセンセーショナルな出来事を目の当たりにしました。「芸術が何の役に立つのか」と自立を迫られる様子は、正直に言ってショッキングでした。ただ他方で、僕は、特に幼少期から音楽に親しんできたわけではありませんし、僕の友人は、クラシック音楽のコンサートを聴きに行く経験などほとんどない人たちばかりです。つまり僕には当時(そして今も)、他の音楽仲間のように音楽の価値が内面化されていたわけでもなく、こういった出来事においても、「クラシック音楽は素晴らしいものだから」と言うだけでは乗り切れない複雑な気持ちがありました。ここにあって、こうしたクラシック音楽やオーケストラに関する「存在をめぐる問い」(=芸術は社会に何の役に立つのか、芸術は今の社会で何ができるのか)は、僕の原体験となったのです。

要するに、僕はこの「存在をめぐる問い」に答えることを、大きな活動の軸としていると言えます。ですがそれは、どうにかして「存在を肯定したい」と言うモチベーションではありません。ですから、がっかりされるかもしれませんが、クラシック音楽やオーケストラのすばらしさを伝えたいとか、あまりそういうことは考えていません。それ以上に僕は、この「問い」が起こることの社会的な意味、音楽(学)的な意味に関心があります。つまり、この「問い」が社会で起こることの意味を深く理解することで、また理解しようとする過程で、これまで見過ごされてきたクラシック音楽やオーケストラに内在する問題・課題・価値に気づくことができるのではないか。僕はこの問題・課題・価値を確認し、問いかけるコンサートを作りたいと思うようになりました。そしてそれが、僕の今の音楽活動の軸なのです。

京北や釜ヶ崎でのコンサートにおける「音楽的」意味

例えば、過去2回、京都市右京区の京北地域で開催しているコンサートけいほく うたと未来コンサートでは、演奏者が、山間地域の中高生とともにこれからのキャリア・生き方を考えるワークショップを、コンサートの中に組み込んでいる企画です。その内容の詳細はリンク先をご覧いただきたいのですが、コンサートそれ自体は、人口減少、教育格差、そして芸術に触れる機会の格差といった、まさに社会課題と接続する企画となっています。

他方で音楽的には、このコンサートは、プロではない(=多様な社会的背景や経験を持つ)集団としての「アマチュア」オーケストラが作る音楽 / コンサートが持つ、社会的・音楽的意味(価値)を語る、その語り方のひとつを提示しようとして企画されたものです。音楽史、より的を絞れば「戦後日本オーケストラ史」の中から「アマチュア」はがっぽりと抜け落ちています。職業オーケストラや音楽大学といった「制度」に支えられた「プロによるオーケストラ史」の中では、アマチュアが現場で作っている音楽について美的・社会学的・地理学的に評価することが、十分にできません。誰がどこで、どのような関係性でアンサンブルするかによって、その場で起こっている音楽の意味は変わるはずです。その問題意識の中で、ここではまさに「プロではないアマチュア」がどのようにその場限りの意味を構成しているかを表現しようとしたコンサートでした。

ところで「アマチュア」自身もまた、そうした「制度」によって自分たちの音楽観を狭められていると言えます。もちろん、クラシック音楽やオーケストラが好きで出発しているアマチュアとしては、技術的に成長すること、憧れ(プロ)に近づくことを目指すのは自然の志向です。とは言え、結果として鳴り響いた音楽それ自体を「モノ」として把握して、その質を問う音楽態度があまりにも支配的な現状で、もっと広く「現場で起こっていること / なされていることの意味」を考えミュージッキング的な意味で)、感じることができる機会があってもよいはずです。そしてそれにより、演奏者や観客が新しい音楽の楽しみ方に出会えると思っています。

「釜ヶ崎芸術大学」で過去3回開催しているコンサートは、このような問題意識に立ち、何より演奏者がそうした新しい音楽の楽しさを実感できるようにと企画したものです。オーケストラ的な作法が(いい意味で)まったく内面化されていない人たちの合唱に合わせて、それも野外で演奏するときに、予定調和など一切期待できないアンサンブルが生まれます。そのとき、「モノ」としての音楽を作ろうとするよりも、現場においてその時一番楽しい音楽にしようという、「行為」としての音楽が現れます。これは、アマチュアが日頃のコンサートだけではなかなか経験することの減った、もうひとつの音楽の楽しみ方なのです。

この釜ヶ崎芸術大学のコンサートは、メニューとしては、地域の歴史的文脈に沿った選曲をしたり、地元の人々がワークショップによって作った合唱歌をオケ編曲で一緒に歌ったりなど、地域づくりに結びつくようなものとして企画されました。こうしたコンサートの持つ社会性から、社会活動の枠でのみとらえられがちですが、他方で、ここでもやはり、以上のような音楽的な問いかけがこのコンサートを貫いています。そしてそもそも、そうした「社会的」「音楽的」といった側面は、きれいに分けられるものではなく、不可分に結びついているのです。

僕はクラシック音楽やオーケストラを愛してはいますが、その内在的な問題、つまり制度や音楽史観についての問題、そしてそこに起因する「音楽とは何か」と幅の狭さの問題には、大いに批判的に問う余地があると思っています。そしてこうした問題は、社会との関係性を抜きにして考えることはできないものです。アマチュア音楽を語ることは、音楽家(や観客)の社会属性や背景を考えることであり、人びとが音楽とどう関わってきたかを考えることです。また、観客として立ち会った人びととどのように現場を作っていくかという問いも、僕たちがコンサートを通して社会とどう関わっていくかという問題にそのまま結びついていきます。

現代アートとしてコンサートを作る

現代アートとの出会いは、まさにこういったことを僕が意識するようになったきっかけでした。文脈を踏まえて問いを立て、それを作品として表現するという態度は、まさに(ざっくりとした言い方で恐縮ですが)現代アートが社会と向き合ってきた作法です。デュシャン以降のコンセプチュアル・アートはまず「問い」ありきで作品が作られます。その「問い」は往々にして制度批判であり、近代批判でした。そして近年アートシーンにおいて大きな流れとして注目されているリレーショナル・アートや、ソーシャリー・エンゲイジド・アート(社会関与型アート)は、そのプロセスや現場で起こっていることに美学的な目線を向ける可能性を開けました。僕は今、こうした考え方を参照しながらコンサートを作っていくことで、自分自身の原体験と向き合っていると自覚しています。なので、馬鹿にされることを承知で書くならば、僕は「現代アーティスト」なのだと思いながら、オーケストラに関わっているのです。

だから、決して自分の企画が「アウトリーチ」だとは呼ばれたくありません。むしろ現場で新しいクラシック音楽やオーケストラの価値に出会い、もしくは、それに内在する限界について問いかけを行うことが、僕がコンサートで一番やりたいことなのです。決して、予め作り上げられた何かを「外に」届ける、といった行為では、僕の場合はあり得ないのです。

少なくとも20世紀後半以降、クラシック音楽やオーケストラは、市民を「消費者」として認識し、商品を提供する形で社会と向き合ってきました。かなりおおざっぱな言い方ですが、マーケットに向けて商品を提供する経済的主体になり切ってしまうのであれば、その主体はいつでも「交換可能」となってしまいます。その交換可能性に従って「橋下ショック」が起こったのであれば、僕たちはもう一度、広い世界の中で多様な人びとと向き合い、共に音楽(文化)を作っていこうとすることが大切です。そしてそれが新たな芸術表現へのヒント、そして伝統の継承へのヒントともなり得るはずです。それがクラシック音楽やオーケストラには本当に似合わないのか、それはそれこそ、僕たちの音楽史観の問題であり、社会観や芸術観の問題ではないでしょうか。

もちろんそのやり方は、音楽家によってそれぞれでしょう。プロとしてできることもあれば、アマチュアとしてできることもあります。それぞれの立場から「音楽とは何か」や「音楽の楽しみ方」の幅を広げていくことができればよいと思います。忘れてはならないのは、これまで当然のように思って目を向けてこなかった、社会や、クラシック音楽・オーケストラ自身が内に抱える問題にひとつひとつ丁寧に、具体的に向き合い、その瞬間一番光るコンサートを作っていこうとする態度です。そこにプロもアマもありません。毎回できることはとても小さくても、この意識さえあれば僕たちはいつでも音楽家だし、アーティストだと思います。

今回の冒頭でご紹介した3つの軸は、以上のような考え方を少し言葉としてわかりやすくしようとしたものです。そして、アミオケの楽団ポリシーでは、最後は次のように書きました。

私たちが当たり前に思ってきた「クラシック音楽」や「オーケストラ」を良い意味で裏切ることで、参加する演奏者やお客さま、そして地域社会が、これまでに触れることのなかったいろんな世界に出会ってほしい。​

「音楽で、いろんな世界に出会おう。」
こんなちょっと変わった企画オーケストラ、アミオケを応援よろしくお願いいたします!

正直、本当に変わったオケだと思っています。でも、ここには他では出来ない楽しみ方があるよ!ということを、参加してくれる演奏者の皆さんにも、お客さんにも、知ってほしいし、実際に楽しんでほしい。そのための活動をこれからも全力でやっていきたいと思いますので、これからも、どうぞよろしくお願いいたします!

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