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胸さわぎ【エッセイ】一八〇〇字

 普段は楽観的な人間である。が、時として悲観的に考えた方が、良い結果につながることが多いと、過去の経験から学んでいる。
 
 現役の時から年に1回、人間ドックを受診するようにしている。早期に発見し、必要な治療を受けるだけの体力がある歳までは(それ以降は、自然死で良いと考えている)。
 ドックは、自宅近くの四谷・信濃町にある大学病院の予防医療センター。15年以上続いている。しかし、今年は、2か月待たされた挙句に、当日測った体温が37.7度あるとのことで、門前払いを受けた。しかし、自宅に戻ったときには、平熱に戻っていたのだ。「献体」も考えていた大学だけにショックだった。なので、「こんな対応をする病院には、二度と行くか」と、大学病院近くの小規模病院で受診をすることにした。
 近所の住民が” かかりつけ”で通っている古くからある病院で、大学病院のような混雑はない。検査もスムーズに進み終わった。しかし、結果は3日後だった。
 その日も、空いていて10分くらいで診察室に呼ばれる。
同年代くらいの柄本明似の医者がレントゲン写真を見ながら、これまで健診をどこで受けていたかを訊かれた。大学病院のドックであることを説明し、「門前払い」の話もした。
「ごく普通のことと思っていますけど、もっと別な対応もあったのじゃないでしょうか。そうあって欲しかったです。予防医療施設なのですから」
「ま、このご時世、仕方ないだろうなあ。別に私がその病院をかばう義理はないけど(笑)。でもちょっと時間を置いても良かったとは思うけどね・・・」と言いながら、宣った。
「胸部レントゲンに、影らしきものがあるんだよなあ~。念のため、念のためだよ、CTをとろうよ、菊地さん」と。
 確かに、いやな予感があった。門前払いを食らった後。なにか悪い結果がでるかもしれない。この半年くらい、脊柱の神経が圧迫され、左下肢と左上腕部に痛みが続き、日課の8,000歩ウォーキングも週に4回くらいしかできていない。5,000歩に抑えているし。酒は、毎日。量も確実に増えている。なにかいけないことがあるかもしれない、と思っていた方が良いかもしれない、と考えるようにした。
 これまでの人生、高をくくっていると、あまり良いことがなかった。よろしくないことを考えておけば取り越し苦労ということが多かった。
 中学生の頃。野球部の練習で、帰宅が遅くなり、オヤジに烈火のごとく叱られた。そもそも野球は父から教わり理解はあったのだが、自分の手から離れ、「野球をなにも知らんド素人の教師野郎の要領が悪いんだ」と言っていたと、のちに母から聞いた。
 その後も、練習が遅くまで続き暗くなってから帰宅することもあったのだが、あることに気づいた。帰宅途中、自転車をこぎながら、「ああ、きょうは叱られる。叱られる」と呪文のように唱えて、必死に漕いで帰ったときは、平和だった。しかし、なにも心配せずに戻ると、鉄拳が飛んだ。良くない結果を覚悟しておけば、取り越し苦労に終わることが多いと、このとき学んだのだ。
 
 待合室で待っていると、CTの技師から呼ばれる。装置が動いている最中に、呪文を唱えた。「ああ、たぶん、影がある。いや絶対に影がある。ガンかもしれない・・・」と。
 20分後。悪い結果を宣告されるだろうと思いながら、診察室に入った。すると、
「ああ、なにもない。大丈夫。だいじょうぶ」と、明るく宣うではないか。
「あ、ありがとうございます」と、思わず感謝の言葉が出てしまった(必要ないのに)。
 やはり、悲観的に考えていたほうが最悪の事態にはならない。私の経験則通りであった。
「でもねぇ、菊地さん」と続いた。
「悪玉コレストロールが、すこし高いよ、それと、γ-GTP」
「ああ、やっぱり、ですか・・・」
「酒飲むの?」
「ハイ! 先生は吞まないのですか?」
と訊くと、酒焼け声のかすれた声で、
「いや、呑むよ。好きだよ」
と、柄本明は明るく答えた。
「じゃ今度、近場の荒木町あたりで、呑みませんか?」と言いかけたが、
さすがにこの時期、医者は無理かもなと思い、言葉を飲み込んだ。
 帰路、この柄本明を”かかりつけ医”にするのもいいかもなと思いながら、大学病院の前を通り過ぎた。通りの桜の蕾がちょっと大きくなっている気がした。

(おまけ)

悪玉はプーチン、善玉はゼレンスキーとなっているが、
これが戦争です。

東京新聞朝刊(3月27日)

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