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路【エッセイ】八〇〇字

 今週の土曜日から、8月の夏休みをはさみ、早大のオープンカレッジ「エッセイ教室」の夏講座(6課題)が始まります。今回は、“お題”を想定して書いてみた。あなたは、どんな「路」を書きますか?
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 60年前、札幌から北に1時間の雨竜町にいた。雑誌「小学六年生」に文通の募集欄があり、東京・府中の子とやりとりしたことがある。その町に戦前の2年、母が養女として遠縁の家にいたと聞いていたからだった。が、戦火が激しくなり、縁組を白紙にし、郷里に戻ってきたのだ。

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 東京の子からの返信に、スターから手紙をもらったような興奮があった。大都会は、食卓にバナナの房があり、長嶋や、『潮来花嫁さん』の花村菊江なんかに会えるんだ、きっと、と勝手に妄想を、膨らませていたのだった。
 「東京ってどれだけ大きいの?」と、母に訊ねると、「札幌から雨竜まで街が繋がっているような感じだよ、大きいよ」と、教えてくれた。
 養父の会社がある浜松町に通っていたらしいのだが、“銀ブラ”を楽しんだことも聞き、言った。
 「おかあちゃん、大きくなったらさ、オレ、東京に行くからさ、その“銀ブラ”ってのを、しような」と。
 父親は、食糧庁の検査官として、米の等級査定の仕事をしていた。結果が収入に影響するので、農家との癒着を防ぐために、1、2年で転勤。美瑛で生まれ、6か所目の町。検査済の米は、倉庫で保管され、のちに貨物で運ばれるので、職場は駅の近くにある。田舎なので、事務所と住まいが、一緒が多かった。
 クラブで野球をやっており、練習がない日は、父との特訓があるのだが、仕事が終わるまでは、倉庫が練習相手。赤レンガの壁に、チョークで長方形を描き、投げる。内側に入ると、「ストライク!」と、ひとり言いながら。
 疲れると線路に座り、ぼーっと札幌の方を見ながら、「この先には、東京があるんだ」と、想いを膨らませた。その頃は、青函トンネルはなく、線路は繋がっていないのだが(その年にトンネル工事が始まり、完成は、1988年3月13日だった)。
 大学で上京し、2年のとき。母は、50歳で、急病で旅立ってしまった。仕事が安定した頃には、“おかあちゃん”を呼び寄せ、腕を組んで銀ブラとしゃれこみたかったのだが、叶わずに—————。

(おまけ)
 中学に入るまでは、母のことを“おかあちゃん”と呼んでいた。
小6のとき。親戚に遊びに行っていたとき、同い年の従妹に言われる。「マサボ、“おかあちゃん”と言ったら、1円(いまの価値で10円位)の罰金にしよう。“おかあさん”にしようよ」と。従妹も、ちょっと前までは、“おかあちゃん”と言っていたと思うが・・・。ついつい、「おかあち」と言いかけ、「あ、罰金!」と、何回か1円を取られた。“おかあちゃん”と呼ばなくなったのは、中学に入ってから。しかし、“おかあさん”じゃなく、“おふくろ”だった。

【母の呼び方】
ママ、(お)母さん、マミー、お母(ちゃん)、(お)かあ様、おかん、おっか(さん)、おふくろ(さん)、母上、母君、マザー、母の名前、母のニックネームなどなど。
「(20~40代)に聞いた、母親の呼び方ランキング」
https://www.danlan.jp/_ct/17229622

<女性の場合>
1位:「お母さん・母さん」(69.0%)
2位:「ママ」(9.1%)
3位:「母親の名前」(5.1%)
4位:「ニックネーム」(4.8%)
5位:「お母ちゃん・母ちゃん・おかあ」(2.5%)
6位:「おかん」(2.5%)
7位:「その他」(7.0%)
<男性の場合>
1位:「お母さん・母さん」(58.0%)
2位:「おかん」(10.1%)
3位:「おふくろ」(6.9%)
4位:「母親の名前」(4.5%)
5位:「お母ちゃん・母ちゃん・おかあ」(3.1%)
6位:「ニックネーム」(3.1%)
7位:「ママ」(1.4%)
8位:「その他」(12.9%)

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