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『夜』―自己添削の試み― 【エッセイ】二〇〇〇字

先週土曜日に投稿した『夜』に、添削者の視点で赤を入れてみた! モンテーニュ大先生の『エセー(Essais)』によれば、「エッセイ」には、「試み」という意味もあるということらしい。なので、試みてみた。

すると、まあ~、赤が入るは、入るは。投稿したのは、駄作だったということ? その駄作をみなさまに読ませたわけ? って言われるんじゃないかというほどに。無駄な表現が、ワンサカありました。すみませぬ・・・💦 (ですが、言いわけでありますが、あれはあれで、なかなかの出来とも言えますけどね。www)
 
1週間後に読み直してみて気づいたのは、文中にあった「母の企み」。最後まで明かさない方が良いのではないかという点。そうなると、その内容を最終部で表現するには文字数が膨らみ、他を削らざるを得なくなった(なんせ原稿用紙1枚半なんで…)。すると、削ってもよい(削るべき?)箇所がけっこう見つかった、ということであります。本来は、書き始めからその視点で書かなければならなかったし、推敲の際も、然り。「ハンセイ!」であります。
また、「母の企み」を冒頭部の「寝られた?」と呼応させたことで、ひょっとしたらタイトルは、「夜」ではなく、「企み」になってしまうのじゃないかという疑問。ですが、あくまでも主題は、(“おねしょ”が不安な)「夜」。根底に流れるのは、(母の)「企み」。とすることもできるのではないかと、思ったのですが、如何に?
このエッセイは、「エッセイ教室」の仲間向けかもしれません。が、敢えてここにも投稿させていただきます。修正点と、その理由も記します。添削者なら、どう赤を入れるだろうか。ご一緒にお考えいただければ幸いであります。
要するに、今回の赤字の箇所は、「推敲で気づけよ」ということなのかもしれませんけどね…。そもそも、書き終えて「なかなか良いんじゃん!」なんて思ってしまうことに、落とし穴があるようです。推敲しても、見えなくなってしまうのです。“Love is blind.”と、言いますしね。
多和田葉子は推敲についてこう宣った。
「(毎朝の推敲は)いつの日か、『これでいい』が、『これ以上いじると悪くなる』に変わる瞬間が訪れて、旅立ちになる」
しかし、いじった結果、悪くなることもある。ワタクシのような凡才は。結局、翌朝の推敲ぐらいでは気づかず、一週間ぐらいは置かないと客観的に見直せない、ということなのかもしれません。💦

<添削>


(以下、添削後の本文)
「寝られた?」。二週後に戻ると、母の第一声。「ん? ああ。行った日サー、汽車の音がサー、うるさくてサー。なかなか寝られなかったヨー」と、誇らしげに、答える。
小三のとき、旭川の北にある町、愛別にいた。夏休み、滝川にある母の実家に、遊びに行くことに。迎えの祖母と汽車に乗り、見送りの母の手を振る姿に、涙が。強がりを言っていたのだが…。景色ばかりを、見ていた。
実家は、母の弟夫婦と末の妹、三歳と一歳の従弟の六人家族。着いてまもなく、夕飯が始まる。だが、みんな話しかけてくれているのに、口数が少ないまま。もらわれてきた子猫のように。ご飯も、喉を通らない。
床に入っても、寝付けない。初めて経験する「独り」の寂しさもあるが、他にも、深刻な、事情が。年に何回か、蒲団に「地図」を描くことがあったのだ。
滝川は、函館本線と根室本線の分岐点。機関区がある。気が張り、耳も過敏になり、しかも、夜…。機関車の入れ替えの、ガシャンガシャン、汽笛のポーーポーーの音が近くに聞こえるのだが、その音よりも、「地図」が浮かび、寝られなかったのだ。が、幸い、二週間は、物干しに掛けられることはなかった。
後に聞く。旅は母の企みで、夜尿症を治す訓練として預けた、と。しかし、成功したかに見えたのだが、完治したのは、翌年だった。

《修正点》
<母の企み>=「夜尿症を治す訓練として預けたと、後に聞く」という表現は、最終部で明かした方が効果的
「母の企みは成功したかに見えたが、そう簡単な問題(おねしょ)ではなかった」というオチに

・<最初の夜は>→「行った日」(寝るのは夜なのだから、夜と表現しなくてもいい)
・冒頭部の「汽車の音」は、後半で具体的に出てくるので、重なるし、簡単に
・<「寝られた?」。二週後に戻ると、母の第一声>に対して、「答えた」だけでは心情が伝わらない。その母の第一声を、「独りで淋しくて寝られなかったんじゃないの?」「“おねしょ”が心配で寝られなかったんじゃないの?」という意味とわかっているので(“企み”があったのは分からなかったにしても)、「誇らしげに」と付けた方が良いかなと。
・<母の実家がある滝川に>は、遊びに行ったのは滝川ではなく、あくまでも実家なので実家にウエイトを置き、「滝川にある母の実家に」だよね
・<親元を離れる、初体験>は、のちの<初めて経験する独りの寂しさと>と被るので、削除

あと、余計な(削っても伝わる)部分
(例)
・<遊びに行くことになる>→「遊びに行くことに」
・<涙が出てきた>→「涙が」
・<泣かないと、強がりを言っていたのに…> →「強がりを言っていたのだが…」

(ふろく)

野球でも、ゴルフでも経験がある。上手いひとは調子が悪くてもすぐに立ち直る。それが運動神経ってもんなんでしょうね、ワタクシと違って。「文章神経」なんて言葉はないだろうけど、きょうのエッセイで、その神経の鈍さがバレたかも・・・。とほほ。💦

朝日新聞朝刊(11月11日)



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