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固定観念(2の1)【エッセイ】一二〇〇字

 いつも同じ時間に、同じことをする。まるでイマヌエル・カントのように。
 過日、心構え【エッセイ】六〇〇字で、そのようなことを書いた。

(抜粋)
 時間に縛られることなく気ままに過ごしたい、という人は多いようだ。しかし、私は逆だ。65歳で仕事に終止符を打ち、7年。自由の身になったのだが、現役のときよりも、規則正しい。楽なのだ。決めた時刻に、決めたことをする。何をするか、悩む必要がない。
 10時には就寝し、8時間寝る。朝食はヨーグルトに果物か、具沢山の味噌汁。午前は、大谷の試合があれば、趣味のエッセイを書くか読書しながら観る。昼食はとらない。3時には、ウォーキング。速足で8千歩(酷暑に日は、5千歩・・・)。決めたルートを、回る。自宅近くのスーパーで、その日呑む酒と合う肴を買って、戻る。夜は、映画かナイターを観ながらの、独り酒宴。
 しかし、あることに気づいた。
 新しい“ある試み”をすると、フローリングの白い小さなゴミくずがなくなったのだ。その試みだが、またまたトイレに関することになる。洗浄後、トイレットペーパーで拭く前に“温風”機能を使ってみた(機能がないお宅には恐縮だが)。結果は、ご想像の通り。ペーパーがへばりつくことがない。これまでは、ペーパーの切れ端が、パンツの中で細かくなり、小さなゴミとして床に落ちていたのだ。

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 床の白色の小さな物体が気になりながらも、何の疑問ももたずに毎日掃除機をかけていた。が、この試みをやってからは、3日に1回で済んでいる。温風と掃除機で消費する電力まで計算していないが、気持ち少なくなっているように感じる。
 ご不浄な話は置くとして。一度ヨシとして決めたことを日々行う規則正しい生活というのは聞こえはいいが、いちいち考えるのが億劫で、単に横着者なのかもしれない。思考停止に陥っているとも言える。つまり、固定観念に支配されているかもしれない、と気づいたのだ。
 野村克也の『野球論集成』に、「固定観念は、悪」とある。野村は言う。「例えば戦略・戦術上、『相手ベンチは送りバントでくるだろう』『この打者は内角球を打てないはずだ』などと思い込み、決めつけてかかると痛い目に遭う、という戒めだ」と。
 同様に、日々の厳粛な儀式となっている、“飲酒”。「悪の固定観念」になっているかもしれない。「酒を飲まないと寝られない」という。思いおこせば、今年の2月に3泊4日の入院を経験したが、寝られないということはなかった。病室では、むろん“禁酒”(こっそりと持ち込むなんてワルはしていません!)。飲めないと諦めれば、毎晩飲まなくても済むのかもしれない。ただ惰性で、思い込みで飲んでいるにすぎない、のかも。
 つまり、ヨシと思ってルーチンで行っていることも、ときどき“棚卸”が必要なのかもしれない、と思ったのである。さっそく、きょうから“休肝”を試してみようか。
 いや、カントも毎日、ワインを嗜んでいたようだ。少しならいいかしらむ・・・。

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