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握手【エッセイ】一四〇〇字

 前の東京五輪の翌年。暑寒別岳の麓にある雨竜には、雪がまだ多く残る。その町営中学の卒業式の日、先生方にお礼を申し上げようと、職員室にいた。2年から担任の(暴力教師と恐れられた)北村先生(殴られたことはないが)。住職でもあった、英語の藤谷先生。いじわるして泣かせてしまった、音楽の美智子先生・・・。———— そして最後に、鎌田先生を前にした時、
「先生! ボクが抜かれて2位になってしまって、スミマセン!!でした!」と、顔が太腿につくくらいに最敬礼をした。
 鎌田先生は、3年間所属した野球部の、顧問。地区予選を勝ち抜き6月の全道野球大会北空知予選に。その後敗退したが、10年ぶりだった。直後に3年は退部する。そして、9月には全道駅伝大会予選がある。先生は、その顧問でもあった。学年4クラスしかない小さな学校。陸上部はあっても、駅伝専門の部員はいない。不足する選手を、野球やバスケなど他のクラブの韋駄天で補う。私もその選手候補に選ばれ、約2か月、6から10キロを走るための訓練を重ね、6キロの7区を任される。
 1区からトップになり、そのまま6区までキープ。200メートル以上の差でタスキを渡された。同じ区には下級生だったが陸上部の中距離を走る者が候補でいたのだが、直前になって、私のほうが調子を上げ、急きょ選手に選ばれたのだった。しかし、当日、身体が重く、練習とは様子が違っていた。徐々に2位の選手が迫ってきて、背後につかれた時、オートバイに乗った鎌田先生が、「菊地ガンバレ! 相手もキツイんだから」と励ましてくれた。が、追い越される。そのとき抜いたヤツが、「キツくないですよ~~」と、憎たらしい表情で言い放ち、一気に行ってしまったのだ。
 その後、後続の仲間が追い詰めたが、結局、全道大会への出場資格である優勝を逃がす。ゴールのときには100m差だったという。自分が追い抜かれなかったら・・・。
 そのことがずっと頭から離れずにいて、最後の日に、謝ったのだった。
 鎌田先生は、「菊地、握手しよう」と、手を差し出した。握ったとき、痛くなるほど強く握り返された。
「いいんだ、菊地は頑張った。いいんだ。あれだけ頑張れば。オマエのいい想い出になる。譲ってやったと思えばいいじゃないか」
「えええ~、だって先生は抜かれるなとハッパかけてくれたじゃないですか」

「そうか~?(笑)人生は、抜くことばかりじゃない。抜かされることのほうが多い。将来、きっとわかる」

「———— 菊地さ、あの日も握手したよな。決定戦の前の日。本田とオマエと。明日の先発を握力で決めるって」
「ハイ…」
 初戦は本田が、2戦目は私が投げ連勝。あと1勝すれば全勝で道予選だったのだが、3戦目で負け、1敗チームの決定戦となった。
「結局、オマエを先発にした。そして道予選に久しぶりに出場できた」
「ハイ! ボクに投げさせて欲しいと、力いっぱい握りました!」
「おお、そうそう。痛かった。でもな、いまは、ふにゃふにゃだぞー。あの日のように強く握ってみろ!」
「おお、そうそう、痛てえーー」と笑い、続けた。
「3戦目、全勝で行けたはずの試合なぁ~。迷ったが、2年の赤石に投げさせ負けた。あれは、オレのミスだ。でもな、一応な。来年のためにな。(笑)」と、ウィンクしたあと、明かしてくれた。

「ところで。菊地はわからなかっただろうが、あのときなぁ~、本田のヤツ、ほとんど力を入れなかったんだ。ふにゃふにゃだった ————」

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