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最後の晩餐【エッセイ】

「明日あなたが死ぬとわかったら、最後の晩餐は誰と、どこで、何を食べたいですか」。
二十年ほど前、久米宏が著名人にインタビューする番組があった。面白く観ていた。が、今考えるとふと疑問をもつ。そんな終焉真際に食欲があるだろうか。私なら、アタフタしてしまい、結局何もできないまま、その時をむかえてしまうのではないだろうか、と。
死刑囚は、どうなのだろう。海外では、スペシャル・ミールといって、希望すれば好物を食べられる制度もあるらしい。日本では、なんの予告もなく、ある朝突然、刑務官が迎えにくる。もし、その前日の夕食に、食べたいものを喰わせてやると言われたら、処刑予告も同然。はたして食欲がでるだろうか。
自殺者は? 思い悩んで発作的に決行するだろうから、そんな余裕などあるはずない。
が、成立するケースはあるかもしれない。例えば、「情死」。決心の二人が思い出のレストランで食事するとか。あと、「安楽死」。発作的に死を選択するわけではない。迷いながらも、体が比較的動いているときを選ぶだろう。家族や友との「最後の晩餐」はあり得る。
冒頭の番組。ゲストの多くは、幼い頃に食べた母の手料理とか、答えていた。が、樹木希林は、「あす死ぬのなら食べる必要はない」と。ミヤコ喋々は、「なんでもよろしいがな」と、忖度なしに、二人らしく答えたそうな。

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