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「あの女(ひと)探し」番外編 マンハッタン散歩(3-1)【エッセイ】八〇〇字

 8月7日にアップした「あの女(ひと)探し」の続編。じゃなく、「あの女(ひと)探し」をするきっかけとなった、マンハッタンの旅の話です。

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 『村上ラヂオ』に、こうある。「セントラル・パークがなかったら、そんなにあの街には行かないだろう」と。その街に、図らずも、行くことになる。飛行機嫌いの、私が。
 独立前に17年勤めた会社の中途組の同期で、出身大学が同じだったYさんと、二人とも会社を辞めたあと、正月のラグビー大学選手権に母校が出場するときにはほとんど観戦していた。
 一昨年の正月。早明戦を観戦しているとき。Yさんが訊いてきた。「パフュームのファンクラブに入っていて、3月末にNY公演があるんです。一緒に行きませんか?」と。おいおい、アラ古稀のジジイが、パフュームかよ、と思い適当に聞き流していたが、ある話に興味を持った。
 Yさんの目的は、他にもあった。6年前に87歳で亡くなった母上の生誕地がNYで、その地を訪ねたい、ということだった。セントラル・パーク北端先4kmのウエストサイド辺り。1枚のモノクロ写真を見せてくれた。彼の母上が、母親に抱かれて、公園らしきところで写したものだ。当時のアパートの住所はわかっている。現存しているかどうかと、その写真の場所を探りたいというわけだ。なるほど、“母をたずねて三千里”ね。「それ、面白いかも。乗った」とばかりに、膝を打ったのだった。それと、15年前、私の会社を手伝ってくれた、当時、学習院の学生だった女性Nがマンハッタンにいて、以前から誘われていることもあった。

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 「あの女(ひと)」のローリー・ブラウンならぬ、little ローリー。
Nの3歳半(当時)の娘

 Yさんが一緒なら、とも思った。西海岸だが、彼は米国に二年滞在経験があり、心強い。空路13時間さえ耐えられれば、と、決断したのだった。
ホテルから徒歩で3時間。桜には少し早いようだが、初春のパークの散策、楽しみだ。
 さて、マルコに、なれたか、どうか。

 部屋では、ブルーノートで会うことになる、ボビー・マクファーリンの「Don't Worry, Be Happy」が、流れていた。

 (つづく)

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