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敬語は上下でなく内外2

敬語は上下でなく内外、の続きを述べます。
前回は、最小単位である自他、そして、「仰る」と「申し上げる」について述べました。
今回は「させていただく」にします。

言わせていただく?

私は言わない

私は「言わせていただく」を言いません。
私は「申し上げる」を使いこなしていますので「いただく」をつける必要を見出せないのです。

これは、対応する謙譲語を知っていて、駆使しているから、というだけでも無いのです。
「書かせていただく」も書きませんから。
私は「一筆啓上申し候」を駆使出来ませんけれど「書かせていただく」は過剰であると思います。

「いただく」は相手がいてこその言葉です。
相手を慮り、敢えて書かなければならないようなことってそんなにありますか。

特にnoteは好きに書くものなので過剰です。
読者を慮らないといけない、と怯えて書いているのは不自然です。
「敢えて書かせていただきますけどね」程の苦言ならば分からなくも無いかな、とは思います。

極端な例

私が知っている限りで一番極端な例があります。

「結婚させていただきました。」

婚姻は両性の合意のみに基いて成立しますので、「いただく」をつけるのは過剰なのです。
婚姻は私を慮ってするものではありません。
けれども、結婚報告では珍しくない。
何故なのでしょうか。

老害がいたら困る

失礼だと感じる人がいたら困るから、だと伺ったことがあります。
誰かが失礼だと感じるかもしれない、そうなってしまうと困る、ということです。

意味がわかりませんでした。
結婚報告に失礼を感じるやつはいません。
「結婚しました。」で十分です。

もしいるとすれば、余程の老害でしょう。
何事に対してでも難癖や因縁をつけてくる老害に合わせなくてはならない、そう思わせている、ということです。

老害は「なんか偉そう。」などという暴言を吐く傾向があるため、敢えて間違える人々が悪いわけではありません。
ただ、現代では、「いただく」が溢れてしまっているために、敢えての間違いなのか、それとも、純粋な間違いなのか、分かり難くなっています。
「いただく」が溢れてしまっているのは、老害のリスクヘッジが溢れているのと同義であろう、と私は見ています。

誰が敬語を破壊しているか

何にでも「偉そう。」だとか「失礼だ。」という暴言を吐く老害に、何故困るのでしょうか。

横ではなく上だからです。
横なら「そうですか。間違えていました。」で、済む話ですから。
横ではなく上だと難癖や因縁がきっかけとなり、パワハラに繋がっていきます。
ゆえに、上の人が「失礼だ。」と言ったら、後々困る、後々老害が困らせにくる、といった事態を恐れていると私は見ます。

敬語を破壊するのは、老害リスクのヘッジをする人々ではない。
老害リスクこそが敬語を破壊しているのだと私は見ています。

敬語の基礎基本に戻る

敬語の最重要事項にして基礎基本なので何度でも述べます。

敬語の基礎基本は、上下ではなく内外です。
上下は二の次です。

わざわざプライベートを報告する程に、内側だと思っている人々を、老害が打ち砕いても良い理由なんてありません。
そして、内側だと思っている人々に気兼ねさせるようでもいけないのです。

老人が行うべきは、そして、これから老人になる我々が行うべきは、基礎基本に立ち戻ること。
内側に過剰な敬語があれば指摘することです。
「敬語が過剰すぎる。」と指摘されるリスクより老害リスクのほうが大きいがゆえに、こんなにも「いただく」が溢れてしまっているのです。

過剰な敬語を減らして、内側だと思わせることが出来れば大成功。
上下をわからせるのが大事だ、と言い出すような老害は、昭和の遺物、負の遺産、負債です。

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