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虎の威を借る狐2

虎の威を借る狐について、もう少し述べます。
今回は、狐と我々の違いについて。

狐の行動原理

狐の行動原理の最上位には忖度がきます。
虎がこう思っているだろうから、という理屈で、代理人として暴れる。
上に迷惑がかからないようにしろ、と言い続ける作業で、上になった気分を味わう為です。
上に迷惑がかかったらどうするんだ、という作業で、虎と狐を同一のものとして見る作業が好きだからです。
なので、上が路線変更をした瞬間に狐は掌返しをすることになります。必ずなります。

狐に判断なんてものは無いのだから。
狐にあるのは追従です。

狐本人が確認をしてみるまで、「本当かな。」と懐疑に留まることはありますが、それだけ。
虎の路線変更が明確となれば、あとは追従です。

我々の行動原理

対して我々の行動原理は何か。
判断、決断、決定です。

狐の言う「もう決定したことだから。」とは次元の違う判断、決断、決定です。
虎が決定したことに従え、とほざく狐は、自身がそうしているから、従う以外には何も無いから、従え従えとほざきます。

我々は、自分で自分を経営しているんで、判断、決断、決定は自分でします。
引用するべきものと、引用するまでもなく自分の言葉であるものと、両方が形成されているから、引用元を示すも示さないも判断できるのです。

狐と我々の違い

狐の「ソース何?」攻撃に、呆れ果てたり、疲れ果てたりするのは、我々が狐では無いからです。
自分の言葉を持たない、言わない、示さない、の悪の三原則を駆使する狐とは土俵が違うので話が通じないし、話にならないのです。

これ、私だけでは無いと思っています。
「ソース何?」攻撃をする割に、自分のソースは「とにかくネットに書いてあった。」という狐。
あなたの周りにいませんか。
ネットの有識者という虎の威を借ると、責任逃れが容易ですからね。
狐は責任を問う割に、責任を取ることを徹底的に避けていますから、非対称性ですぐわかります。

狐と根幹

ネットで誰々さんが書いた、と狐は言わない。
思い当たる節がありませんか。
狐が「誰々さん」と言ってしまったら、態度表明になりますからね。
有識者っぽい感じの意見を拾い集めただけの狐がそれをやると、メッキが剥がれます。

ネットで有識者が述べていることには、有識者のバイアスがきちんとありますから、有識者が繋ぎ合わせた文脈が、根幹があるのです。
バイアスは差し引くだけではいけないのです。
だからこそ、我々は引用元を示すべき時は示すのです。

一方で、狐がネットで有識者っぽい感じの意見をバラバラに拾い集めると、文脈も根幹もないただの寄せ集めとなる。
根幹の無い枝葉だけ。
いや、枝もありません。枯葉だけです。
枯葉を拾い集めただけのものに、根幹が混ざるとバレます。ゆえに狐は根幹を示さない。著者名を言わない。言おうとしない。

責任逃れのために、意図的に著者名を避ける狐もいます。
元々、著者名はどうでも良くて、言いたいことを正当化するためならなんでも良い狐もいます。

狐と匿名性

狐が好きそうなX(旧Twitter)アカウント、特に捨てアカウントで言いたい放題のものなんて、大したこと言えるはずが無いんですよ。

バレるから。
専門中の専門、そのど真ん中の話をしたら、秒でバレる。
私は炎上していないんで、特定されていないですが、特定しようと思えば秒でできると思います。

アカウントの匿名性を担保するためには、誰かが言っていそうなことだけを言わないといけないのです。
ひょっとしてあいつじゃねえの、と思われるようでは、匿名性を担保できないのです。

実名アカウントであろうと。
匿名アカウントであろうと。
大多数が言っていそうなこと以外はバレます。
あなたにしか言えないことを言えばバレます。

攻撃的な捨てアカウントから落ち葉を拾い集める狐が、一般論、べき論、極論を好むのは必然なのです。
バレにくいアカウントから落ち葉を集める作業の習慣化の行きつく果てなんですよ。
狐に団塊老害のような団塊ジュニアが多いのは、そういう側面もあると私は見ています。
団塊老害は多いから身を隠すのに最適で、昭和型男女差別をするのに都合が良いんでしょうね。

狐はこう言うでしょう。
「俺は言っていない。ネットに書いてあった。」
とね。やれやれ。

狐という人災からは避難一択ですよ。

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