謝罪と反省

悪の分類で書いたように、「反社会的行為」は「人格」の問題の結果で、反復性があり、処罰だけで問題が解決する見込みは少ない。さらに言うと、悪意を持って、計画的に悪事(=反社会的行為)をする人は、法的な処罰をリスクに含めて行動することも想像できる。こういった反社会的な人格にとって、謝罪というのは瞬間的で、形式的で、謝罪をすることで証明できることはない。

例えば、タバコのポイ捨てを見かけて注意したとする。その人が「ごめん」とだけ言って、自分が捨てた吸い殻を拾いもせず、立ち去ったとする。この状況で「謝罪」にどれだけの意味があるか。また、ポイ捨てをして注意された人が、それまでに一度もポイ捨てをしたことがない、と主張しても、説得力はない。

ポイ捨て常習者に(わざわざ)注意をして、その後社会をよりよくするためには、その人が「反省」し、その後二度とポイ捨てをしないことを、社会に対して証明する必要がある。反社会的行為に関する反省を、仮に「社会的反省」と呼ぶことにする。つまり、社会的反省には2つの意味があるといえる。

  1. 自身の人格を個人的歴史(時系列)をもとに客観的に批判し、その反社会性を認め、修正するべき部分と、修正された部分を、ともに説明すること

  2. 自身の人格が修正されたことを、誰の目が見ても明らかになるように、自身の言葉で社会に発信し、さらに継続的に証明すること

要するに、反省をするというのは、とてつもない労力が必要で、それは表面的な謝罪の比ではない。人格がおかしくなること、反社会的であることは、それほど罪深いことである。そして、繰り返すように、日本に限らず、現在の社会制度では、こういった「人格」の問題に対する対応、対策は、実質的に不可能である。結果として、反社会的行為が放置されたまま繰り返され、さらに、反社会的な人格が引き起こす重大な問題を、事前に予防できてもいない。

まとめると、反社会的行為や言動をきっかけとして、反社会的な人格を発見した場合には、対話を持ちかけ、深く深く反省させ、根底の人格から問題を解決しなければならない。


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