悪の分類と反社会的行為

「悪を分類する」などと言うと、様々な先人達が議論し尽くしたはずで、自分のような無知な人間が語るのはおこがましいが、敢えて、何も知らないなりに、自分の考えを書く。


悪を性質によって分類する

繰り返し説明するように、自分の関心事は反社会的行為であり、これを悪の一種として、明確に分類することが目標である。結論としては、反社会的行為は、「個人的ではなく社会的」であり、「過失ではなく故意」であり、「一時的ではなく反復的」である。

  1. 個人的(私的)か社会的(公的)か

  2. 過失か故意か

  3. 一時的か反復的か

それぞれ簡単に説明すると、1について、面識のない他人への加害は社会的で、そうでなければ個人的とする。電車の中で面識のない乗客に痴漢をすれば社会的であり、知人に暴行すれば個人的である。2は自明として、3については、故意をさらに分類して、一時的な気の迷いか、何度も繰り返してしまう、根深いものなのかどうか。

反社会的行為は社会的かつ故意かつ反復的である

言うまでもなく、反社会的行為は「1社会的」であり、「2故意」であり、そしておそらくは「3反復的」である。例えば、Aさんがタバコをポイ捨てした、それを見たBさんが注意をしたとする。このとき、Aさんが「初めてした」と弁明しても、本当かどうかは疑わしい。電車内の痴漢なども同様である。

人が反社会的行為を繰り返す理由は自明で、その人の反社会的な「人格」が反社会的行為をさせているからである。人の人格は連続性があり、寝て起きたら切り替わるわけではない。さらに悪いことに、反社会的な精神性に陥った上で、反社会的行為を繰り返すうちに、自己防衛あるいは自己正当化のため、自身の人格の反社会性が強化され、さらなる行為に結びつく。

なくならないのは社会制度の問題である

残念ながら、現在の日本の社会制度では、このような反社会的行為を抑制することは、極めて難しい。しかし、長くこの問題を考えるうちに、(SNSのおかげで)かなり深く理解が進み、社会のあるべき姿形が少しずつ見え始めてきた。実現可能性はともかくとして、不完全な提案を公開していこうと思う。

少なくとも、いま社会にある「なぜなくならないのか」という問いに対して、今の社会が不完全であるからと、明確に答えられるように、分かりやすく説明したい。「タバコのポイ捨て」や「差別」や「戦争」がなくならないのは、それらに何かしらの意義があるからではない。


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