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仏教に学ぶ生き方、考え方「愛と愛着の微妙な違い」

 皆さん、愛する人はいますか?

 もちろん人じゃなくても「ペットや趣味や二次元アイドル」でも構いません。

 愛によって「幸せな気持ち」を味わったり「孤独を癒やし」たりできますよね。

 特に孤独感は不思議なもので、もう一人「一緒にいてくれる」だけでほぼなくなるものです。

 でもその愛がいつの間にか愛着に「変性」していることはよくあることです。

 というかむしろほとんどの場合、愛着のほうが「大きくなる傾向」があるように思います。

 出会った頃は一緒にいてくれるだけで幸せだったのが、同棲したり結婚したりすると「もっとわかってほしい」「ここでこういうふうに言ってほしい」などと思うようになります。

 ところがもともと「業が違う」二人が一緒なわけですから、完璧に分かり合えることなど「天文学的に有り得ない」ことです。

 そして有り得ないことを求めてしまう、これが「愛着というもの」なのかなと感じています。

 これを防ぐためにはどうすればいいのでしょう?

 それは人それぞれ答えは違うのかもしれません。

 私の場合は、心のなかで「愛と愛着を区別する」ことです。

 そして愛とはサラサラと流れ変化するものなのだと意識するようにしております。

 今日好きであっても「明日は違う」かもしれない。

 愛もまた諸行無常であり、「留め置く」ことなど誰にもできないのです。

 もちろん、形は留めることができるかもしれません。

 でも「心」はコロコロと変わるものであるのです。

 これを聞いて残念がる人がいますが、変わるということはつまり「明日はもっと好きになっている」かもしれないのです。

 また明日は「別のこと」で好きな気持ちが湧いてくるかもしれません。

 日々新しい愛をいただいたり渡したりすることができれば、それこそ「いい関係」になれるのではないでしょうか?


☆今日の一句☆

 好きならば
     愛に着かずに
          愛を生もう

 

 

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