仏教に学ぶ生き方、考え方「ただそこにいてくれるだけでいいということ」
仲の良い「友達」や「パートナー」ができることは嬉しいものです。
孤独を癒やし、楽しい時間を共有し、「充実した人生」を送れる期待感に溢れます。
でも一緒に過ごしているうちに、いつしか一緒にいるということが「当たり前」になり、その上あれこれ何かを「求めてしまう」ことも多いと思います。
好きだった人と一緒になれて嬉しい気持ちはだんだんと薄れ、週末にゴロゴロしていたり片付けをしなかったり、テレビばかり見ていたりするとそれが「気になって」仕方がなくなるものです。
そしてついつい「不満」をぶちまけてしまいます。
もちろん言われるほうも、何かを求められると「頼りにされている」ようで嬉しかったり、求められている「満足感」もあったりします。
でもそもそも何かを求めると言うことは「利用しようとしている」とも言えるのではないでしょうか?
そして利用しようとすると、それは「ご縁」というより「契約」になってしまうと思います。
つまりは私のために働いたり、私を喜ばせてくれたりするための「契約を結んだ人」になるわけです。
そんな見方でパートナーや友達を見ていると、やがてはその行いは自分に返ってくるときがあるのではないでしょうか?
そして、ほとけさまはあなたに何かをしてくれたり、何かを与えてくださることはないかもしれません。
ただそっと「そば」にいてくださる。
それ以上でもそれ以下でもない存在が、「ご縁をいただいた」間柄ということなのかなと思い始めております。
☆今日の一句☆
ほとけさま
ただただそばに
立っておる
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