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仏教に学ぶ生き方、考え方「肩の力を抜くということ」

 クロールの練習で肩を「痛めた」と以前の投稿で申しました。

 相変わらず「肩の痛み」は続いております。

 腕を下ろしているとそれほど感じないのですが、特に「腕を上げて」何かをしようとするとズキズキと痛みます。

 今朝も「手洗い洗濯」をいたしました。

 洗っているときは普通に押し洗いができるのですが、「干すとき」は腕を上げないといけないので痛いです。

 ということで「自然治癒」を目指して、なるべく肩に「負担をかけない」生活を心がけようと思っております。

 とはいえ、「プール」にはやはり行きたいのです。

 昨日も「水中ウォーキング」だけをしようと市民プールに赴きました。

 でもやはり「クロール」の練習もしたいという欲求が出てきます。

 なので「肩の力」を抜いて、形だけクロールをしてみました。

 「クラゲ」のように脱力して、浮く感覚を味わいながらのクロールです。

 それでも少しずつ進み、とても「楽」に泳げるということを発見しました。

 水の中では浮力が働くので体重が「十分の一」になるそうです。

 なので力を抜いて浮かんでさえいれば、「数キロ」の重さの身体を支えたり動かしたりするだけでいいのです。

 それなのに何故か「力を入れて」「息も絶え絶えに」泳いでいたことに気付かされました。

 真宗でもこれに似た教えがあります。

 親鸞聖人はこの世を例えて、「難度海」とおっしゃられました。

 直訳するとこの世は「渡っていくのが難しい海なのだ」と言われております。

 そこで、もがいたり何かに掴まったりしながら、「なんとか」浮いているのが私たち「凡夫」ということです。

 ならば浮力を「信じ」て、全て「お任せ」して脱力してみると、また新たな気づきがあるのかもしれません。


☆今日の一句☆

 思い知る
    肩の力の
       なんたるか

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