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何を言うか、独裁を目論む男が何を言うか!

 ガンダムって、演説が多いですよね(断定)。

 安彦良和さんが大学でイロイロしていて、親から「演説語りになってしまった」と嘆かれたという話がありますが、おそらくあの世代にとって、人に意見を聴かせる手段として「演説」というのはポピュラーな手段だったし、弁論術に長けている人が意見を通せる時代だった、のではないでしょうか。

 以前、一流大学の弁論部は以前は政治家の培養地でした。今でこそマイナーになってしまったけれども、60年代70年代の大学弁論部といえば、今で言うところの意識高い系の巣窟だった。弁論つまりディベートには広汎な知識が必要だし、それを機に応じて用いる知恵や能力も必要だった。それに声量・声音、動作や表情までも効果的に使わねばならない弁論部は、学生のスターだった。

 現在でも欧米ではディベート術は社会で評価されるスキルとして確立しているし、アメリカ大統領なども演説の巧さで評価が別れたりするわけです(トランプ大統領のボキャブラリーだとか、オバマ前大統領のシンプルで力強いワードの選び方とか)。

 しかし日本では、それは廃れてしまったわけですが、富野監督の世代ではやはりそれなりに思う所があるのかなぁと思います。
 
 歴史上でも雄弁家と言われる演説が巧みな人は数多くいたわけで、中でも一人出せと言われればヒトラーを上げざるを得ない。
 最近、老人が幼き日に聞いたヒトラーの演説の高揚感を思い出せる様子がドキュメント番組で映し出されていましたし、また近著でも高田博行氏『ヒトラー演説 熱狂の真実』(中公新書)が刊行されるなど、注目を浴びている論点ではあると思います。

 ヒトラーの演説は「対比法、平行法、高作法、メタファー、誇張法、仮定表現の修辞の面でも、弁論術の理論にかなったもの」(前掲書)だそうなので、やはりよくできているモノなようです。

 というわけで演説について書こうと思うのですが、弁論術の修辞法などについては私もシロウトなので手を出しません(こういう姿勢が大事(笑))。今回は特に『ガンダム』シリーズで描かれた演説をいくつか取り上げ、その文言の違いなどを見比べながら、その効果や、富野監督の意図していることについて雑感したいと思います。
 なので、今回は引用多め。

 まず初めは当然、ギレン・ザビの演説から(笑)。
 ガルマの国葬に際して、ジオン国民により一層の奮起を促す「立てよ、国民」演説として有名なヤツです。

 ギレン演説の演出については、以前BSアニメ夜話で岡田斗司夫氏が「ギレン自身の口調や話す内容は変わっていないのに、それを聞いている観衆が変わっていくことで、ジオンの国力が減少しているのを表している」と分析していました。確かに戦況が切迫してきているのに、それをギレンはおくびにも出していない。が、視聴者はジオンの状況が厳しくなってきているのが解るという、スゲェぜ監督、な演出だと思います。

 ですが、今回私が注目したのは、初出であるアニメ#12「ジオンの脅威」での演説と、放送から2年後に公開された劇場版での演説内容の違いです。長いですが、引用します。

 我々は1人の英雄を失った。しかし、これは敗北を意味するのか。否!始まりなのだ。地球連邦に比べ我がジオンの国力は30分の1以下である。にもかかわらず、今日まで戦い抜いてこられたのはなぜか。 諸君。 我がジオン公国の戦争目的が正しいからだ。ひと握りのエリートが宇宙にまで膨れ上がった地球連邦を支配して50余年。宇宙に住む我々が自由を要求して何度、連邦に踏みにじられたかを想い起こすがいい。ジオン公国に掲げる人類一人一人の自由のための戦いを神が見捨てるわけはない。私の弟、諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ。なぜだ? 戦いはやや落ち着いた。諸君らはこの戦争を対岸の火と見過ごしているのではないか。だがそれは罪深い過ちである。地球連邦は聖なる唯一の地球を汚して生き残ろうとしている。我々はその愚かしさを地球連邦のエリートどもに教えねばならんのだ。ガルマは、諸君らの甘い考えを目覚めさせるために死んだ。戦いはこれからである。我々の軍備はますます整いつつある。地球連邦軍とてこのままではあるまい。 諸君の父も子も、その連邦の無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ。この悲しみも、怒りも忘れてはならない。それをガルマは、死をもって我々に示してくれた。我々は今、この怒りを結集し、連邦軍に叩きつけてはじめて真の勝利を得ることができる。この勝利こそ、戦死者すべてへの最大のなぐさめとなる。国民よ!悲しみを怒りに変えて立てよ、国民よ!ジオンは諸君らの力を欲しているのだ。ジークジオン!

 対して、劇場版での演説。

 我々は1人の英雄を失った。しかし、これは敗北を意味するのか。否!始まりなのだ。地球連邦に比べ、我がジオンの国力は30分の1以下である。にもかかわらず、今日まで戦い抜いて来られたのはなぜか。諸君。我がジオン公国の戦争目的が正義だからだ。それは諸君らが一番知っているはずだ。 我々は地球を追われ、宇宙移民にさせられた。そうして、一握りのエリートが、宇宙にまで膨れ上がった地球連邦を支配して50余年。宇宙に住む我々が自由を要求して、何度連邦に踏みにじられたか!ジオン公国の掲げる人類一人一人の自由のための戦いを神は見捨てるわけはない。私の弟、諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ。なぜだ? 新しい時代の覇権を、我ら選ばれた国民が得るは歴史の必然である。ならば、我らは襟を正しこの戦局を打開しなければならん。 我々は、過酷な宇宙空間を生活の場としながら、共に苦悩し、錬磨して今日の文化を築き上げてきた。かつてジオン・ダイクンは、人類の革新は宇宙の民たる、我々から始まると言った。しかしながら、地球連邦のモグラ共は、自分達が人類の支配権を有すると増長し、我々に抗戦をする。 諸君の、父も、子も、その連邦の無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ。この悲しみも怒りも、忘れてはならない。それをガルマは死をもって我々に示してくれた。我々は、今この怒りを結集し、連邦軍に叩き付けて、初めて真の勝利を得る事ができる。この勝利こそ、戦死者全てへの最大の慰めとなる!国民よ!悲しみを怒りに変えて、立てよ国民よ!我らジオン国国民こそ、選ばれた民である事を忘れないで欲しいのだ。優良種たる我らこそ、人類を救い得るのである。ジークジオン!

 もう頭に総帥の声で再生されるし、間にシャアのあのセリフとか入ってきちゃうのですが、一見して分かるのはテレビ版の段階だと、人類の革新とか優良民族とか一言も言っていないということです。
 ギレンは連邦は「エリート」であると連呼し、自分たちは虐げられてきた、それを覆す「正義」の戦いが今回の戦争だ、だからより一層国民の協力が必要である、とテレビ版では言っています。

 しかし劇場版になると一転、ジオン国民はダイクンの唱えた人の革新=ニュータイプであり連邦に優っているのだ、と叫んでいます。

 つまりギレンは、テレビ版では「我々は虐げられてきていて、反抗には全国民が総力を結集する必要があるから立てよ、国民!」と言っているのに、劇場版では「我々は人類の革新であり、地球の古い人類を倒すべき責務があるから立てよ国民!」と言い換えているわけです。「正義」の意味を変容させている。

 このあたりは、私が以前書いた文章(「いわゆる『ニュータイプ論』論」 https://note.mu/masashi3122/n/nb9820ac87e26)でもお話したように、視聴者が富野監督の考えていた以上に「ニュータイプ」というワードに反応したこと受けて、それを作品の中に組み込んでいったから、と窺えます。

 同様に放送終了後81年3月に刊行された小説版『機動戦士ガンダム』の3巻でもジオン・ダイクンの演説としてこう語られています。

 宇宙!その大地を離れた新しい環境こそ、過去に眠っていた人の考える力を目覚めさせるのだ。神が……神が有史以前から必要以上の大脳を人に与えたのはなぜか?過去の環境の中で人が生きてゆく上では、人は己の大脳の三分の一の機能を使えばよかったのである。そして、残りは、人がより人として生きるべき巨大な空域で、時空で生きてゆくときのために神があらかじめ用意されていた部分なのではないだろうか?潜在能力という曖昧な人の力のあり方の中に、人は、現在考えられている以上の力を発揮できる部分があるのだ。宇宙の民よ。今こそ、己の眠れる力を宇宙という環境の中で目覚めさせよ。その時に、人は革新する!

 政治家の顔じゃない

 小説として世界観を形作っていく中で肉付けされたジオン・ダイクンのキャラクターは、明らかに政治家のそれではなく求道者や宗教家といった風情になっていきました。そして、そのビジョンは今もガンダムファンの中に根強いと思います。

 次に取り上げるのは『Ζガンダム』#37「ダカールの日」のダカール演説。そして、アニメではないのですが、もうすぐ映像化される?はずの『閃光のハサウェイ』よりマフティー・ナビーユ・エリンの演説です。
 どちらも実力をもって議場に乱入し演説したというところが一致しているものです。

 ……現在ティターンズが地球連邦軍を我が物にしている事実は、ザビ家のやり方より悪質であると気付く。人が宇宙に出たのは、地球が人間の重みで沈むのを避ける為だ。そして、宇宙に出た人類は、その生活圏を拡大したことによって、人類そのものの力を身に付けたと誤解をして、ザビ家のような勢力をのさばらせてしまった歴史を持つ。それは不幸だ。もうその歴史を繰り返してはならない(シャア・アズナブル)


 ……すべての人びとが宇宙に出なければ、地球はほんとうに浄化されることはありません。現在、人類は、宇宙で平等に暮らしていけるのです。オエンベリでは、地球に不法居住しようとする人びとが、軍を組織しようとした非はあります。しかし、それを力ずくで排除したのは、幾多の種を絶滅させた旧世紀人のやり方と同じではないでしょうか?問題は、新しい差別を発生させて、連邦政府にしたがう者のみが、正義であるという一方的なインテリジェンスなのです。……今回のアデレード会議が、この連邦政府の差別意識を合法化するための会議であることは、どれだけの方がご存知でしょうか?アデレード会議二日目の議題のなかに、地球保全地区についての連邦政府調査権の修正、という議題がありますが、これはとんでもない悪法なのです……(マフティー・ナビーユ・エリン『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ(下)』)

 どちらも乱入したということもあり、まず前提として状況を否定することから始めています。
 両者ともこれは明らかにテロ行為であり、そうする理由はこの議会、つまり地球連邦政府に対しての反論を、実力をもってするためです。
 ですから、演説内容としては「これ(現状)は間違っている!」という主張が最大で、私はこうしたいという意見より、まずは現実を見ろ、みたいなものになっています。

 演説のテクニックとしてまず相手と自分を対比し、自分を正当化する「対比法」というものがあり、ヒトラーも、例えば「『開戦』することが『平和』に繋がる」といったすり替えをよく使っているそうですので(高田前掲書)、シャアとマフティーの演説もこれから自己の正当性を発言するための前段階、とも受け止められます。

 次にそれとは逆に、全く新たに打ち立てる意思表示である演説「建国宣言」です。

 ……宇宙世紀一世紀を経た今日。地球連邦政府の高官たちは再び地球を汚染して、人類にとって唯一の宝を破壊している!もはや体制の改革は無理と判断して、このコスモ・バビロニアの建設を決した。(中略)我らと意見を異にする者よ!私を殺しに来るのはいい!私は逃げも隠れもしない!

 コスモバビロニアの建国を高らかに宣言する鉄仮面カロッゾ・ロナ。
 この中略の間に狙撃されています(この暗殺者、一撃で頭にヒットさせているところからかなりの腕前だと思うのですが、なぜ敢えて頭を狙ったのかわからない(笑)。そのデカイ身体を撃てばいいと思うのだが。でも恐らくマントの下もサイボーグなんだろうな……)

 『ターンAガンダム』のディアナ(キエル)の「非」建国宣言も感動的で良いのですが、今回注目するのは『F91』小説版のカロッゾの演説です。

 ……世を平らかにできるものは、精神が高貴であり、理想を描くことのできる能力を持った者でなければならないのです。宇宙世紀の人類圏が行ったもっとも決定的な過ちは、それらの資質を持たない普通の人々によって、あらゆることが統治されてきたからであります。(中略) わたくしは、高貴なる者ではありませんから、このように醜い鉄仮面をかぶり、捨て石になる覚悟をいたしました。私の任務は、コスモ・バビロニアを支えてくれる高貴なる者を発見して、われわれに道を示してくれるための器をつくるためなのです。ですから、私と意見を異にするものは、わたしを討って良いのです。そのための仮面です。わたしは、わたしを討つ者の顔を見たくないために、この仮面をかぶりました。ですから、いつでも、背中からでも、わたしを討ちなさい。しかし、ここで、今、その者に呼びかけておきます。わたしを討ったあとは、ここで語った理念だけは、まちがったものではないのだから、それを引き継げ、と!遠くの市民の方々には、見えなかったでありましょうが、いま只今、このわたくしを狙撃したものがおりました。その弾丸が、わたしの胸と頭部にあたったのです。しかし、これで良い!これで良いのです。意見を異にするものは、討って良いのです!

 いやぁ、カッコイイ(笑)。嫁に逃げられた男とは思えない(笑)。
 アニメとはかなり違った印象になります。特に注目されるのが「高貴なる者の義務(ノブレス・オブリージュ)」を強く謳っているところ。そして自らは高貴なる者ではなく、その人物が現れるための「器」になるだけの人間であり、自分を否定する者は容赦なく討ってくれ、とカロッゾは言う。その口調はあくまで丁寧で、アニメの時のような上から目線ではありません。

 でありながら、しっかり訴えるべきことは述べている。アニメでは様々な都合で描き切れなかったであろうカロッゾのキャラクターを垣間見ることのできる、見事な所信表明だと思います(けどやっぱり狙撃されている)。

 そして、最後に『逆襲のシャア』より、シャアの演説。

 ……その結果は諸君らが知ってるとおりザビ家の敗北に終わった!それはいい!しかしその結果、地球連邦政府は増長し、連邦軍の内部は腐敗し、ティターンズのような反連邦政府運動を生み、ザビ家の残党を騙るハマーンの跳梁ともなった!これが難民を生んだ歴史である!!ここに至って私は人類が今後、絶対に戦争を繰り返さないようにすべきだと確信したのである!

 現状を否定し、そして自分の決意を示す。心に残る名演説になっています。一年戦争当時と比べて30分の1どころか、遥かに地球連邦に対して劣勢であることを知りながら、スペースノイドの希望の星として、兵士たちに「力を貸してくれ」と訴えるシャアを、兵士たちは歓喜をもって受け入れています。

 さて最後に、今のところの監督最新作『Gのレコンギスタ』ですが。

 最終話、我が子クリムを死んだという事にして、それを政治利用しようとしているズッキーニ・ニッキーニ・アメリア大統領は演説の最中、現れたクレッセントシップに蹂躙されて吹っ飛ばされます。

 「今次宇宙戦争に命を捧げてくれた勇敢な兵士士官たちは祖国アメリアへの義務を立派に果たしたのであります。私の息子クリムトン・ニッキーニもこの祖国のために命を捧げ………」

 これでよく生きてたもんだ

 ……ここまで分析してきておいて何ですが、なんだか監督がウソも含めた言葉巧みな弁論で大衆を操ろうとする政治家と、それに賛同して恥じない大衆を「踏み潰してしまえ!」と言っているようにも思えたりして。


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