見出し画像

新しい時代を、つくる人。

学生時代、「経営」に全く興味がなかった自分が、この5年ほどは出会いや仕事を通じて、いろんな経営者にお会いするようになってきました。
こんなに「おもしろい」と思うようになるなんて10年前の自分では到底考えられず、つくづく人ってどうなるか分からない…と思うこの頃です。

とある取材を通じて最近は特に、「やっぱり “オーナー経営者” って大事だな」と改めて思うようになり、今回少し考えをまとめることにしました。あまり言ってこなかった自分の出自(家業)のことも、いい機会なので振り返ってみようかなぁと思います。

先日、「ぼくらのアトツギベンチャープロジェクト」というメディアを通じてインタビューさせていただいたのは、京都で老舗小売業の4代目を継いでおられる、伊藤忠弘さん(株式会社伊と忠/スーベニール株式会社・代表取締役)でした。

伊藤さんのされている事業は、120年の老舗での「ブランド継承」と6年目のベンチャーでの「新しい市場の開拓」。真逆のような2社を、絶妙なバランスで経営しています。そこに至るまでのお話はとてもおもしろく(良ければ上の記事を読んでいただけると…!)、そもそもの “後継ぎ” という言葉の意味の見直しも含めて、自分を振り返る考えるきっかけをいただきました。

※ 「ぼくらのアトツギベンチャー」は、“後継ぎよ。家業で起業せよ。” をメッセージに掲げる、事業承継を応援するプロジェクトです。大阪を拠点とし、家業を継ぐことに関心がある若い世代に向けて、ベンチャー型事業承継の事例を発信したり、アイデアソンなどのイベント運営をしていたり。当プロジェクトの想いは、カナエナカさんがこちらのnoteでアツく語られてます。「後継ぎ」「家業」というワードにちょっとでもひっかかる方は、ぜひご一読を…!

実は僕も、後継ぎ候補の一人だった(かもしれない)

別に隠している訳でもないのですが、僕にも家業があったりします。
祖父が創業し、現在は叔父と父で経営している小さな会社で、養殖に使う網とか浮きとかの資材づくりを主な事業としています。

僕自身は、生まれてこの方「継いでほしい」と言われたことも一切なく、何なら「○○(僕のイトコ)が戻って継ぐだろう…」という空気が、昔も今も親族間をゆるく流れているので、正直自分が継ぐイメージをしたことはありません
一昨年、大阪を離れて「奥さんの地元の滋賀に移住する」と伝えたときも、(これで僕が後継ぎ候補からほぼ完全に外れるわけですが)何も問題は起きず、両親も全く反対しませんでした。

そもそも僕は高校生から寮暮らしをさせてもらってて、家とは距離を置きたがってました。そんな生意気な性格も、たぶん親はちゃんと見抜いていたんだろうなと思います。

加えて家業については、僕が事業内容に興味が持てなかった…というのもありますが、なんとなくオーナー経営ってイマドキじゃないなぁと思ってた(ただのイメージ)こともあるかもしれません。

いざ自分が今、会社員の肩書きを捨ててフリーランスになってみると、親が家業で経営の一翼を担ってきたという事実は、ずいぶん変わって見えてくるものです。

取材などで経営者のいろんな話を聞けばきくほど「おもしろい」と思うし、特にオーナーを兼ねている方の話は別格。重要な局面であればあるだけ、そこの意思決定は “オーナー経営者” じゃとできないな、と感じることばかりです。

規模含め比べられるものではないけれど、個人事業主だってある意味そう。
自分が、自分の責任でどんな働き方をしたいかを考えるときに、頭の片隅にはかつての父親の姿が出てくるようになりました。

“オーナー経営者”ってネガティブワード?

会社員の頃は自分も周囲も、“オーナー経営者” というワードをポジティブに捉えている人って、正直少なかったと思います。

多数決の論理が通じないので、不公平感がある(ワンマン経営になっても止められない)
年功序列が通じないので、不公平感がある(後継者が若い場合)

たぶんこんな理由だったなぁと。なんとなく、出世階段を登ってきたサラリーマン経営者の方が “良さげ” なイメージがありました。

でもこれって実は、時代によるところも大きかったんだろうなと、今は思っています。

結局、日本が戦後ずっと成長してきた間は市場が拡大しているので、乱暴に言えば「やればやっただけ結果が出る」時代でした。分かりやすいロールモデルもあり、正解は見えやすい。前例を引き継ぎながら効率よく物事を処理できる人が、ビジネスパーソンとして “優秀”とされていました。
減点主義が基本となりがちな評価軸では、チャレンジが裏目に出ることも多かっただろうと思います。

そんな中で、何だかよく分からない不確定な未来に向けて、出世の文脈を無視したトップダウンの指示を出す存在(=チャレンジする “オーナー経営者” )は、まぁ煙たがられると思います。かといって周囲も、それをいちいち諌めるようなことも言いたくない。

日本は「みんな」というマジョリティを指す主語が強いので、多数派にとっての公平性がすごく求められます。安定して成長できた時代に、年功序列と終身雇用をベースにした経営は、日本でドンピシャにハマった。出世の延長で(ミスなく)選ばれ、株主に一定期間(ミスなく)雇われる経営者が公平だ、というのは時代的に正しかったのだと思います。
一方で、公平性から逸脱する “オーナー経営者”、特に事業承継をする人にとっては難しい部分も多かったかもしれません。

新しい時代を、つくる人。

時代は変わって、日本も低成長社会になってずいぶん経ちます。
いま社会が求めているキーワードは「多様性」だったり「イノベーション」だったりしますが、要するに「合議や多数決では答えが出なくなってきた」状態

そんな中、もはや何をやるか(What)は結果論にすぎず、誰がやるか(Who)なぜやるか(Why)が重視され、そこへいかに共感してもらうかが変化の土台になっています。
決裁権と覚悟をもった “オーナー経営者” だからこそ生み出せる価値が、改めて高くなってきた気がします。特に以下のような点。

意思決定の大きさ、スピードの速さ
チームとして成し遂げたい社会を明確に語れる
組織に新しい価値観をもたらす(事業継承の場合、まったく違うキャリアを歩んだあとでも経営に入りやすい)

サラリーマン経営者を否定するわけではありませんし、もちろんオーナー経営ならではの課題も挙げればキリがないでしょうが、変化が求められる状況を突破できる存在として、僕は今こそポジティブに “オーナー経営者” を語っていいのかなと思います。

家業を継ぐという選択肢を取らなかったことに、僕自身は心残りはないのですが、それでも冒頭の取材の中で、伊藤さんが口にした「自分の熱意ひとつで、何だってできますから。」という言葉は、やはり印象的でした。
伊藤さんの周りにはブレーンと呼ばれる方が何人かいらっしゃいましたが、きっと伊藤さんが本気で「やる」と決めたからこそ、一緒に事を為そうと決めたんだろうなと思います。

振り返って僕自身、このままフリーランスをずっと続けるつもりはなく、どこかで法人化して事業を立てられるかもしれないし、ビジョンが共有できる人の元で再び雇われるかもしれない。

ただどんな立場にあっても、オーナーシップを持った誰かが、ありたい姿を語ることはこれからめちゃめちゃ大事だなと思います。それが自分でなくても、それを応援すると決めたなら、全力で為したいと思うのです。
( “オーナー経営者” が社会にインパクトを残すためには、周りの人もめちゃくちゃ重要なので。この話はまたいずれ。。)

おまけ : ローカルには、覚悟をもった “オーナー経営者” がたくさんいる

運営に携わっている、滋賀ではたらく魅力再発見するプロジェクト『しがと、しごと。』では、オーナー経営者がたくさん登場します。せっかくの機会なので、ちょっとだけご紹介させてください◎


想いを伝え、どうやって中の人、外の人と関係を構築していくか。まだまだ試行錯誤のプロジェクトですが、僕らも負けずに顔出ししながら運営していきますので、よろしくお願いします。






この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?