WEB1 以前からWEB3 までの体験と考え
1990年くらいに、友人とあって、メールアドレスの話をしたら、それはそのまま俺の会社にも届くから試して送ってみてと言われた。
試したら、届いた、今から見ればあまりに当たり前のことだが、当時の自分には驚天動地のワクワクする出来事だった。
自分がマイクロソフトにいたときで、友人はソニーにいた。メールは社内だけのやり取りをするものだと思っていた。それは私だけでなくそう思っている人が絶対的多数の時代だった。外部の組織に目の前のPCからメールを送れるなんて、どこでどうつながってそんなことができるんだまさかという時代だった。
それができたのは、日本での本当の最初のインターネットである ”JUNET”のおかげだった。
JUNETとは
*JUNET(ジェイユゥネット、Japan University NETwork)は、1984年から1991年に存在した日本の学術組織を結んだ研究用のコンピュータネットワーク。今日インターネットと呼ばれているネットワークの日本における実質的な起源。
これが私個人の大袈裟な感想ではないことはJUNETのこの特徴からも想像してもらえるかと思う。
JUNETの特徴
電話回線を使用して、主として UUCP によるバケツリレー方式で、電子メール・ネットニュース等の情報交換を行うシステムであった。
インターネットに先駆け、組織や端末の表記・識別に有用な、ホスト名部分を活用した「階層型ドメイン名」でのアドレス表記を採用したことが特筆される。
これがWEB1以前のインターネットだった。この頃はWEBを使えていた人は実質いなかったから、そういっていいと思う。
メールだけでインターネットとは今から考えると寂しいとように思うかもしれないが、かなり楽しい時代だった。それは技術的にはメールだけでも、参加者が個性的で善意にあふれる、牧歌的なアカデミック寄りの人が多かったからだ。だから文字だけでも暖かいやり取りが多かった印象がある。
他の企業と仕事時間中に簡単にメールでやり取りできている人も少なかった。小人数しか使えてないツールを使えている感じも楽しかった。
メールヘッダーを見るとどんな経路で相手にメールが届くのかも見ると好奇心をそそられた。
2022年の今から見ると、参加者が牧歌的で善意にあふれる人多かったのが一番のポイントだったように思える。
WEB1.0時代
日本語の記事でどこにも書いてあるのを見かけないのだけど、私の記憶ではWEB1.0が何から始まったかは明確だ。
ネットスケープのブラウザができたときからだ。1994年から商標等の変更があって、1995年とすべきかもしれないけど、このタイミングでインターネットは、実質、2022年現在にブラウザで見るのと同様に画像もみることができるようになり、自分でHP(WEB)で発信する人もでて、急に思いっきり魅力的に、使わずにはいられないほど、セクシーになった。
マイクロソフトはWindows95を出して、日本では社会現象を引き起こすほどだったが、アメリカでは、ネットスケープにインターネットで出遅れたと酷評された。僕はネットスケープナビゲーターを秋葉原の店でみて、そこから世界の情報を画像付きで見れる興奮にうなされていた。そんなタイミングでネットスケープから仕事の誘いがきた。断れるわけがない。
このブラウザーの先には世界が見れて、世界とやり取りできて、世界の面白い人とつながれて、凄い世界がやってくるという大事件に興奮していた人は多かった。心ある人なら興奮せずにはいられない瞬間で時期だった。
ただ、ブラウザーから大ビジネスを作る前のネットスケープと同等の製品を全部無料で提供して、かつネットスケープという企業名をだすだけで、マイクロソフトの製品の契約条件を変えるという激しすぎるほどの窒息戦略のもとネットスケープは砕け散った。
すっかりターゲットにされて、今はネットスケープという企業名を知っている、若者もいない。
ネットスケープの創業者と技術責任者の名前を冠したアンドリーセン・ホロヴィッツはWEB3でも最有力のVCになっているのだから、彼らの先見性はその後も証明されている。
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