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舟を編む

監査役員の望ましい姿を追い求める試行錯誤の日々。

話言葉と書き言葉。どの言葉を使うか、その重要性をわかっていたはずだったのだが。

同じ言葉を使ったとしても、相手が変わると異なる受け止め方となる。同じ相手であっても、一か月前なら気に留めない言葉が、今日は圧ととられる可能性がある。

CGコードに、「自らの守備範囲を過度に狭く捉えることは適切でなく、能動的・積極的に権限を行使し、取締役会においてあるいは経営陣に対し て適切に意見を述べるべき」(原則4-4)とある。また、監査役員が踏み込まなかったが故に会社の不祥事が発生し、結果として善管注意義務違反に問われるケースは、監査役員の権限の広がりと同期をとるように、増加しているような印象もある。

だからといって、特に妥当性監査領域に踏み込んで意見をする場合は、慎重に言葉を選ぶ必要がある。善管注意義務違反かどうかという場合ですら同様。これは社外取締役も同様だろうが、「そこは気づかなかった」といった、見逃している(と思われる)ポイントを突くことが執行側には価値があるし、むしろ「ねば」「べき」論を振りかざしマウンティングととられるような発言は慎むのがベター。

言葉を選ぶことの重要性は、まずは高校時代の新聞編集で学んだ。学生運動で廃刊になっていた学校新聞の復刊プロジェクトに中三~高一のときに仲間とともに参画し、その後足掛け二年以上、取材し、記事を書き、編集も担当した。文章を書く楽しみに気づき、いつの間にか苦手だった現国の成績も向上していた。

銀行に就職し、営業店から本部に最若手として配属された三年目。先輩から文章のダメ出しをくらった。「君の文章は抒情的過ぎる」との指摘。要するに箇条書きや体言止めも含めて簡潔に書け、ということだった。そのダメ出しという名の助言は、その次の異動で「企画グループ」という、文章を書くことが仕事のような部署に配属されたときに非常に役立ったし、その後も、報告書の質には自信を持てるようになった。

社会に出て20年弱経過し、ある経営統合プロジェクトの企画チームに入った。そこでA4八枚のレポートを提出した。提出相手の執行役員総合企画室長は、「これは下書きだな」「せめて半分」と。途方に暮れた顔をしたのだろう、彼は親切にもスケルトンを示し、「この見出しに沿って、君の文章で本当に伝えたいことを短く纏めてみたらどうか」とアドバイスをくれた。これは目から鱗のような体験で、若いときの「簡潔に」といったレベルよりはるかに高い壁だったが、逆に吹っ切れて、無駄な(いや、必ずしも必要でないかもしれない)文章をそぎ落とすことができた。そして、そぎ落とした簡潔な文章は、そのままプレゼンにも使えることがわかった。

40歳頃に身に付いたスキルを武器に、その後の20年強を過ごしてきた。が、60歳を過ぎて改めて気づいたのは、選択した「言葉の正確さ」への取り組み不足だった。簡潔さやスピードを重視する一方、より適切な言葉の選択に、どれだけ時間と労力を費やしてきたか。早く結論を出したがる癖。もちろん推敲はしてきたが、その推敲は重ねることが大事だった。

そんなときに、NHKBSのプレミアムドラマ「舟を編む」に出会った。またまた目から鱗が落ちた。俺の眼にはそんなに鱗がこびりついていたんだ、と。三浦しをん作、2012年の本屋大賞を受賞した辞典編纂のストーリー。柴田恭兵演じる言語学者「松本先生」は、「自由な航海をするすべての人のために編まれた舟」を作ることが、編纂の意義である、と。「ダイトカイ」は「大都会」ではなく「大渡海」。「言葉という宝をたたえた大海原をゆく姿がまざまざと見える」。その「大渡海」の編集を通じた毎回のエピソードに都度心を打たれる。とても良質なドラマだ。そう。言葉は広大な大海原を進んでいくのに必要な舟、指針だった。

もちろん、辞典・辞書も、その語釈に簡潔さを要求される。その簡潔さの中に、どれだけの情報を的確に埋め込むか。それは辞典・辞書だから当然かもしれないが、私たちが使う言葉だって同じではないか。相手によって受け止め方が違うならば、その言葉は適切なのか。推敲というのは、そこまで考えることが求められるのではないか、などと考える良い機会となった。

先日の監査役全国会議で、ソニーの平井さんによる特別講演を聞く機会があった。Motivational Leadershipに関するお話で、心に残った言葉の一つが「IQよりEQ」。仕事ができる上司より、話を聞いてくれる、或いは部下の立場になって助言してくれる上司が(現代では)求められている、と。そう、ロジックや知識、或いは率先垂範型ではなくエモーション。「君の文章は抒情的」という40年まえのダメ出し。一旦は反発し、その後納得して、文章の書き方、或いは言葉の選び方が今に至る。そして現代は言葉の選択に抒情的かどうかは別として「エモさ」のフレーバーも必要とされるのかもしれない。あ。今気づいたが、その先輩はEQ型だったような気がする。

私が編んだ舟に用いた言葉は、あの航路には有効だった。でもこの航路には不向きだったから舟が転覆したのかもしれない。

そんなことも考えて、この文章もまた推敲を重ねることとしよう。そういえば統合企画のときに、何度も報告書・企画書を書き直したっけ。
(第二稿)


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