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ようこそ、「かもしれない、のどん底」へ。「Maybe a Crane 鶴かもしれない2020」

前回のあらすじはこちら

2020年早春そうそうにインパクトを与えた、「鶴かもしれない2020」。
ただ一人で900人以上に衝撃を与えた駅前劇場から、わずか1ヶ月しか経ってない
2月中旬。
傷ついた鶴は、横浜伊勢佐木町に舞い降りました。

前回からまさかの1ヶ月後に「鶴かもしれない」の再演。
横浜のライブバーに場所を移し、
「3台のラジカセに加えて映像を使います」と大幅に演出を
変更するとのこと。
たった1ヶ月でどこまで変えるのか、変えられるのか?
大きな期待と、ほんの僅かな不安を胸に、いざ伊勢佐木町へ。

〜開演後、60分経過〜

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カーテンコールを終え、主役がいなくなってからも、
呆然と舞台を見つめる私。
1ヶ月でよくぞここまで印象を変えてきた…。
しっかりと衝撃を頂いて、参りました。

実際のところ、脚本・音楽・衣装など基本的な部分は全く変わらず、
ただ演出と(若干の)小道具、(背景映像を含む)舞台装置が
変わったぐらい。
だけど「ライブバー」という場の力と、映像が合わさった構成が
噛み合うと、この作品はこんなに違って見えるものなのだと。

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駅前から一気に小さくなった公演会場はシンプルゆえ嘘がつけない空間となり、
初演時に戻ったかのような舞台と客席(今回は最前列に座れた!)の近さは、
まるでストリップバーのような如何わしさと純粋さを醸し出してます。

そして今回の一番の売りである「映像とのコラボ」。
…なるほど!こういうアプローチで使うのね!と。
「逆プロジェクション・マッピング」とでも表現したらいいのでしょうか。
むしろ駅前劇場Ver.より小沢道成くんの負担、増えてるんじゃないかと。

1月の駅前劇場Ver.が「これまでの「鶴かもしれない」第1期の集大成」
であるとするなら、
この横浜Ver.は「これからの「鶴かもしれない」第2期の試金石」として、
あと数年したら語られることになるのかもしれません。

映像を駆使した演出変更による印象違いは、
これからこの作品の持つ可能性の幅を一気に広げ、
「大きな舞台でも小さな舞台でもいくらでも変えられる」事を証明し、
例えば「色んな小さい劇場で週末ロングラン」という新たな展開だって
出来るのではないかと。
たった1ヶ月で、小沢くんは「未来」を見せてくれました。

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ただし。

横浜Ver.という挑戦が作品の「可能性」を広げたのに対し、
より原点を意識したその演出変更により、
作品の中で語られた「「かもしれない」という可能性」は
登場人物二人をより傷つけ苦しめる事を観客に見せ付けた、
そんな風に私は感じました。
これも、私が終演後に呆然と舞台を見ていたもう一つの理由。

駅前劇場Ver.を観た後の感想で、私は
「二人は決して愚かではなかった」と書きました。
「ただ、お互いそれぞれの形での「依存」が強くて、
特に女はその「依存」を解消する方法を「それ」しか
出来なかっただけ。」、と。

そのお互いの「依存」の根拠が、
「かもしれないという可能性」により強く現れてきたのが、
この横浜版の特徴なのではないかと、私はようやく冷静になった頭で
考え始めています。

「かもしれない」という、優しく甘えさせてくれる言葉。
その言葉の力がより二人を苦しめ、追い詰める。
「かもしれない」という言葉が、鶴の足を引っ張り、
羽ばたきを押さえつける。

彼の歌う「どん底」の歌こそ、
その「かもしれない」という甘えた夢の現れ。
(歌詞についてはぜひ横浜版パンフレットでご参照を!)

鶴の羽が舞う時、「かもしれない」の夢も散る…はずだったけど、
でもまた羽は生えてくる。
次の「かもしれない」が生まれてくる。

そう、駅前劇場でゾクゾク震えたあの「最後の表情」、
この横浜では全く違う表情が、表情の意味が変わったことに、
私は呆然としてしまったのです。

小沢道成くんはこれからも何度でも、いろんな形で、
「鶴かもしれない」を演じていくでしょう。
そして、そのたびにこの「最後の表情」の意味は
どんどん変わっていくのかもしれない。
10年後に魅せる表情、20年後に魅せる表情はどうなるのか。

可能性は拡大し、意味も拡大されるのなら、
私はあとどれだけ「最後の表情」を観れるのか。
どれだけ観させられるのか。

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しばしその可能性に呆然とし、クールダウンさせるために、
終演後に注文した「鶴子ドリンク(ノンアルコール)」が、
とてもとても美味しかったです。

1ステ1ステにすべての力を傾ける小沢くんは、
横浜でようやく面会できた時、流石にひどく疲れて、
でも本当に満足そうに微笑んでいました。

その微笑みは、確実にこの先に向かってました。
私はちょっとだけ彼の体力を心配しながら、
でもその先に向けた微笑みが凄く嬉しかった。

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まだまだ、この作品は進化します。
「かもしれないどん底」は、実は底ではない模様です。
私はもう、その次の底の事を考えるだけでワクワクしてしまうのです。

小沢くん、
やっと買う踏ん切りがついたビリー・アイリッシュを聞きながら、
次の底をお待ちしております…!

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