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糖尿病の病理学:指すような痛み、アザが出来る、臍下にジクジクした所、壊疽の予備軍

糖尿病は壊疽で足を切断すると脅かされる。まさにその一歩手前だったかもしれない。皮膚が脆くなって、ちょっとした圧でアザになるのだ。

身体の色々なところに針でさすような痛みがあったりした。この痛みは、随分最近まで続いた。多分2017年〜2018年くらいまでは時折足の甲のアタリがいたんだ。

ベルトのバックルが丁度おへその下辺りに擦れて、そのあたりがジクジクしたいたのだ。これは嫌な気持ちだった。相当に太っていたので(今くらい)嫌な気持ちであった。

丁度、八王子の国体の出張中に気がついたと思う。写真に撮って皮膚科に行った。当然見ていただいた。パンツのヒモが強すぎるからだと言われた。ひどい診断である。確かに出張に行くためにパンツを買ったしそのことを医師に話したが、いくらなんでもそれはないだろうと思う。

壊死・壊疽の治療方法に、マゴットセラピーというものがあるということを随分後で知った。皮膚の疾患に関しては色々と考えることが多い。糖尿病rと診断される前にはとんでもなく重症な水虫に苦しめられた。結婚してからは爪水虫の治療をするように妻に命じられた。

今では皮膚の災厄は同じルールがあると感じている(注)。

壊死・壊疽は怖い、何よりも怖い

刺すような痛みと、壊死の関係性はあるかどうかはわからない。しかし、一番怖いのは壊死だ。

今も地球上では、30秒に1本足が切り落とされている。僕の叔父は切断手術のの3日前になくなった。父はもし輸液などで生きていたら足の切断につながっっただろう。僕の同級生のおじいさんは両足を切断している。身の回りにこの病気と同じ「律」を奏でる病で死ぬ人が多いことに驚くだろう。

僕の友人は、足の傷の治りが遅いと思っていたらそこからバイキンが全身を回り、腎不全になったという。私たちの身体は、マイクロバイオームのコロニーであり、住みやすい豪華客船なのだ(笑)。

商品化された食事は私達を少しずつ殺す。

僕は、病原菌が強くなったとは思わない。身体は毎瞬間作り直されている。「皮膚と言う臓器」は毎日100gずつ新たに作られ、古い皮膚は外に押し出されている。。とても活発に新たに作られているのだ。

地上に上がった、生命のコロニーは乾燥から自分の身体の内側の海を守る必要がある。植物は『葉から「水」を常に蒸発させる道』を選び「動物」は『内部の水を抜いて脂質の膜にした皮膚』を脱ぎ捨てる方法を選んだ。

そのために大量の細胞を作る「臓器」が必要になったのだ。それが「皮膚と言う臓器」である。皮膚は外に向けて様々な要素を捨て去る。その真逆が粘膜なのだ。いつもジクジクと体液を分泌しながら外部を吸収していく。閉じられた口腔〜肺〜消化器〜肛門を覆う組織が粘膜なのだ。この両者は対応関係にある。非常によく似た特徴がある。

食事は身体を作り直すためには重要な物だ。

栄養学は人の食事の必要量を算出するのにこの事をどう扱っている?一色の中にどれだけのエネルギーと細胞の要素が必要だと思う?

僕は栄養学の教科書でこの話を見たことがない。解剖生理学で皮膚のことを学び、栄養学的にどうあつかわれているのかと思ったら、「カロリー」と言う単位で食事を分析している。その算出は(18世紀の栄養学の黎明期以来、)身体の表面積と体温の関係から算出している。単位をジュールに変えても、燃焼して発生する熱量を基準にして身体の大きさ(表面積)で計算するという。細胞を作ることに費やすエネルギー(ADP<=>ATPのリサイクルの回数)うぃ維持するためにどれだけの水素を安全にミトコンドリアに運び(ブドウ糖とアセチルcoaで炭素をパートナーして運び)、体外に排出す(呼吸=CO2、と小便=H2O)るかなどということを考える頭がない。

やっぱ、コイツラ(過去の通説を守り古い知識を売る商売人=医師や栄養士)馬鹿だ。

若い頃は、軽い症状に見える、やがて治りにくくなり、手術が必要になる。そして、終わらないっ投薬が始まり、繰り返し手術をうけながら、「輸液、経管、胃瘻」の辛い10年を過ごして、病院で一人孤独にあの世に行くのだ。医師のいう通りの生活していたら統計的にそうなるのだ。

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2016年1月には突然足の親指のツメの内側が真っ黒になった

車で20分くらいの病院の整形外科でマゴットセラピー(注)を施術するという整形外科に行った。沢山の人が並び、随分待って看護師さんに「糖尿病だが医師にかかっていない」と話をした。「2015年の末に眼底網膜症で失明すると言われたこと」も話した。当然「30年来の糖尿病だということ」を話した。

紹介状がなければ見れないから、まず無いかいけと言われ、追い返された。当たり前である(笑)。

仕方ないから、食事で向き合うことにしたのだ(笑)。

今だからこそ笑っていられるが、家に帰る車の中ではもう、バーンアウト状態であった。母が亡くなって直後の話である。丁度、人生の大騒ぎのときであった。かえってよかったかもしれない。もうどうなってもいいやと思っていたから。足が切断することになったら、父を殺して死ねばいいと思っていた。物騒である。

しかし、医者の権威を否定して自分の信じる道を生きるというのは並大抵ではない。

医師に見捨てられ、追い返されたからこそ、今も頑張っていれる。僕は幸運である。

そして、2020年、壊疽については全く心配していない。

足の感覚もしっかりしている。何よりも自分の食事に自信が出来てきたのだ。けどね、飲みすぎが続くと少し具合が悪くなる。これは自戒の印だと思う。人生は辛いが、飲んだところで変わらない。けど飲んでしまう。

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親指真っ黒ツメ

この爪の色にはびっくりした。ある日突然である。2016年母が亡くなった直後のことだ。

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2013お腹アザ


最初のおへその下のジクジクの時2010年位からだから。第一期の糖質制限の時期(注)と重なる。医師の治療を放り投げながらも、別な権威にすがりついていたのだ。

「口乾き多尿」の時期は新潟に事務所があった時期だった。あれもひどかった。

この頃から、事務所を引き上げて、新発田で企業を作れるかを考え始めたのだ。父と母の食事を毎食作ることができるようになったのも、新発田に事務所を移してからのことである。

「百年しばた」という運動も恥めた頃だ。

八王子は楽しかった。国体も4年目だった。

2011年、東京の糞みたいな会社にはめられて、死のうと思っていた時期があり父に助けてもらった後であった。

もちろん、はめられた僕が悪い。

何か、毎年のように「死ねばいい」と思っているなあ。なかなかまだ死なない(笑)。

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僕のお腹見れます。ひどく悪い色になっていた。

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注)マゴットセラピー.....ルールがあると感じている。

壊疽・壊死の事を色々と調べた。糖尿病を恐ろしがらせる専門家たちは、簡単に高血糖が起こすという。今の僕には信用できないが当時は真っ青になって、必死に血糖値を下げようと頑張った。

今の僕は、食事の為に「皮膚」という身体最大の組織の機能不全が起こってしまっていると思う。特定の単純で誰にでも効く薬がないと「手荒な手術」しか出来ないのは愚かな医者の特徴である。自分が、そうなった時にどうするつもりだろう。自分の未来を予測できないくらいに馬鹿なのか?

この疾患も順をおって進む。皮膚の感覚がなくなり、痺れが止まらなくなり、皮膚のいろいろな場所に、治りにくい吹き出物やかさぶたが現れる。当たり前の肉を腐らせるマイクロバイオームと皮膚組織が共存できなくなり。水虫が進む。

僕はこの現象を「律」と呼びたい。身体を包む皮膚というシートに起きる問題は、同じ様な傾向を持つ、発生する場所が違うから異なった専門家が違った診断と原因をささやくが、それは「原因」ではなく「結果」である。

恐らく「粘膜の律」と身体の内側の組織特異性を確保するために「組織を分離する膜」の「律」と言う風に見ることが出来る。

別に医学論文を書いているわけではない。これから来る災厄に向き合うために軽い内に回復する食事を見つけたいのだ。そのために考えて自分の身体で学び、同じ様に考えてくれる人とともに生きる。

「闘病者の連帯」である。

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やがて、表面での現象に止まらずに、壊死に進む。内部までもっと強力な腐敗菌が入ってくると壊疽となり、この状態ではもはや切断しか無い。

壊死が始まっても、マゴットセラピーは解決してくれる。この治療法をしれべれば調べるほど医学というものが役に立たんものだと感じる。

嬉しいものである。

注)第一期の糖質制限の時期

感謝しているけど、困ったものであると思う。問題は簡単に下がる検査値の異常(高血糖・高血圧・高尿酸・高脂血)ではないのだ。


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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。