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春キャベツでマルタイ棒ラーメン

食事というものは面白い。昨日の朝、納品したシステムが先祖返り(おかしな直し方をしたために昔のエラーが出てくる事)をしていることに気がついてやっと治った。

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春キャベツが買ってあったので夜食にすることにした。遅くに起きて昼を作って妻と食べる。夜は妻がパートだったので僕とマユで二人の食事だ。なので、夜中になにか食べる事も多い。

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キャベツは大変に身体にいいはずだと思う。外皮を剥いでいると寝ていてもマユは起きてくる。

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かなり多めのキャベツを丼に入り切らないくらい茹でる。

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肉もたっぷりと茹でる。初めて袋ラーメンを父が買ってきて調理した時にたっぷりのキャベツを入れて作りながら、「野菜もたっぷり食べれば良いだろう」と言って、家族で食べたことを思い出す。

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卵をポーチドエッグにした。丸元淑生さんが、朝食にポーチドエッグを出してくれるホテルは信用できると言っていたこと思い出す。確かに、スクランブルなどよりも遥かに美味しい。けど、難しい、白身が散り散りになるのだ。なんとか上手く出来るようになった時は嬉しかった。

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随分前から好きだったのだが、最近は愛していると言っても過言ではない。麺がふやけない所が良い。半分は残して、マユにあげる。もちろんキャベツ(生)もあげる。

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高菜炒め、紅生姜、柚子味噌、をトッピングすると嬉しい。今日はゴマとニンニク忘れた。

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夜中に腹が減ったりすると大体こういうものを食べる。炭水化物は魅力的だから食事を美味しくしてくれる。しかしながら、生命(食材の中の細胞が持っている代謝物やマイクロバイオーム)が含まれていないから問題である。

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食事というものは面白い。分子栄養学(今の主流)という考え方があるが、僕は嫌いだ。「人」がまずあって、そのパーツとして「細胞」を考えるので「すべての事」が合目的に説明しようとするのだ。

ホッブスと言う人が『「万人の万人に対しての闘争」を防ぐために政治に権利を渡す』のだと考えた。今の政治学者の議論の根底流れている(社会の起源に関する)常識であるが、僕は間違えていると思う(ある意味では正しいと思うのだが)。

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意識というわかりやすい権威をあまりに強調しすぎているのだ。脳が、身体の細胞をコントロールしていると言う側面が強すぎる。

僕は、「家族と言う構造」こそが起源だと思っている。人は生まれた時は一人では何も出来なくて、その構造の中で育てられ、食事もセックスも皆そのコロニーの中で満足する。環境という厳しい外部から守り、厳しく統制される関係性こそが、全てのコミュニティ(人の集団)に共通する「律」であろう。

その意味では、「イジメ・セクハラ・パワハラ」は家庭にもあり、人の関係性のうちに常に存在するのである。

とはいえ、意識で生きている僕らにはリバイアサンと言う考え方は納得しやすいものだ。

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最初にあったものは、個人であり、細胞である。そこを踏み違えてはならない。

身体全体が最初にあって、合目的にパーツとして臓器や組織、細胞が暑と考えると、自己免疫疾患(免疫が自分自身を攻撃する)のような現象を異常だと考えることになる。時に臓器間でのコンフリクト(不整合)なども起こるがそれも病気になる。彼らに言わせれば、老化も病気なのだ。

医学の専門書など読むとあたかも臓器、組織、細胞がなにかの目的を持って生まれたように描かれる。

身体というコロニーはたゆまなく細胞たちが適応を重ね、DNA(全体の設計図ではなく細胞のプロトコル)をやり取りして発展してきたネットワークにも似ている。

考えても見てもらいたい、インターネットは全体の設計図があってここまで大きくなったわけではない。デバイス(スマホやパソコン)はそれ前のプロトコルを踏襲して、新たな「律」を見つけてんっとは大きくなってきたのだ。全体の設計図などが有ったら、その「絵」より大きくはなれない。

医者や専門家が描いている生命のモデルは破綻しているが、そのモデルにしがみつくことが彼らの仕事である。僕は自分の食事を見つけるために自分お身体を科学している。それが「幸運な病のレシピ」だ。

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僕は身体を「細胞生命のコロニー」と考える。互いに「希少な価値」を奪い合ったり助け合ったりする「生命=細胞=細菌=ウイルス」のともに住む入れ物だという考え方である。

その入れ物の形は環境に従って変わる。犬も僕も同じ様に細胞生命のコロ二ーである。父も母も妻も娘も庭の木々も池の鯉もコロニーであって、どのコロニーを選ぶかは中に住む「森羅万象の神々」が決める。

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だから、花を愛で、犬のご飯を作り、美味しいものを食べたがり(生命のを招き入れる)、いつでもセックス(マイクロバイオームの引っ越し)したがる、妻は夫とのセックスを拒む(ン、俺?)。嫌なもの、好きなものは、身体を統べる神々が決めるのだ。

そう考えるとLGBTQは何ら異常ではない。

身体を統べる神々が、他のコロニーの内側に行きたがっているのだ。その相手の性別などという\ものは、意識が勝手に決めているルールでしか無い。いくら国が命令しても個人の心は変えられない。

主体は細胞であり、細胞の声を無視して意識が(身体が)暴走したらあまりいいことは起きない。「格差の方程式」にも通じる考え方だ。

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グミの木は一番早く芽を出す。他の木の先手を打って伸びていくのだ。

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池の鯉たちもそろそろと動き出す。餌を食べ始める時期である。この池で埋まらた鯉たちだ。池の水は濁っているが、今日は浄化機を試運転した。5月くらいには、ドロを上げてきれいな水になる。

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目が疲れると庭に行き、毎日変わる姿を見て歩く。これは大変な贅沢である。周りの家は、庭を潰しアパート建てたりするが、その「家賃収入を払って庭を持っている」と思えば大変な価値の有るものだ。何よりも水道代が家計を圧迫する(笑)。

少子化が進み住人が消えていけば、投資した賃貸住宅は、ただの空き家になる。50年後がどうなるかは分からない。

この庭は「名園」になっているかもしれない。

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去年生まれた鯉の水槽をメンテした。明日は11時から講習会の講師で、しばらく仕事が切れる。庭を片付けろと空の高いところにいる人が言っているのだろうか。

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毎日の料理に、庭いじり、海外旅行やテーマパークより楽しい。

贅沢な楽しみである。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。