見出し画像

沈没家族とワークショップ的な家庭

WSD修了生の声がけで、十数名でポレポレ東中野にて鑑賞。魚民でちょい飲みした後に。共同保育という馴染みのない家族のスタイルに興味があって鑑賞。目線としては、やりたいことをやってないと生きていけないシングルマザーの母・ホコさん、母子家庭+α(共同保育ほか)で育った息子・土さん(監督)と自分を重ねていた。(僕もやりたいことをやってないと生きていけない、母子家庭育ち)

"ワークショップ的な家庭"と"やりたいことをやってないと生きていけない母・ホコさん"

生きるためにやりたいことをやる、やりたいことをやるために環境をつくる、共同保育について勉強を始めた頃から自分以外の子どもも見ていくとこを考えていた、既存の家庭(母、父、子)のつまらなさ、こどもと様々な人を出会わせつつ自分も様々な人と出会いたい。
多くを語るタイプではなさそうだけど、自分の生きていくための環境と、土さんに与えたい環境を重ね合わせて考えて環境をつくっていたんじゃないか。違いの少ない日本の中でどう違いをつくるか?ってところで様々な大人との出会いの場をつくったり。(小中学校の先生で似たように生徒と大人の出会いの場をつくっている人がいる)
沈没家族はワークショップ的な家庭のようにも見える。
様々な人と支え合うことでひとりでは辿り着けないところへ(発達の最近接領域)。
先輩から学び後輩に学びを伝える(正統的周辺参加)。

"既存の定義に収まらない関係性"とめぐ(土さんと同時期に共同保育で育った女の子)と土さんの感覚

家族だけど家族ではない、親戚でも友だちでもない関係。家族という概念がわからないことも、新しい家族のかたち。
既存の定義やメンタルモデルに収まらない関係性。家族は多様化して、すでに一部の人にとっては既存の定義に収まらなくなってきているのかもしれない。(コミュニティなど他のものにも当てはまりそう)

既存の家族のイメージを大事にしている印象のある父・山くん

沈没家族に含まれていないことによる疎外感、ホコさんとの価値観の不一致、一般的な家庭の中での父親像が損なわれることへのストレス。
沈没家族という既存の定義をはみ出した家族のスタイルに対して、既存の家族のイメージを大事にしている印象のある山くん。
山くんの存在があることで沈没家族がより立体的に見えてくる。

平成を振り返る沈没家族という映画

土さんが生まれたのが1994年(平成6年)で、現在2019年(令和元年)で満25歳。
時系列で過去をふりかえっていく流れがあるので、平成をふりかえるツールとしても使えるかもしれない。
母と一緒に沈没家族を観て、平成をふりかえりたいな。

めぐと話してる時に土さんが着てるTシャツは、あの映画のTシャツ

ポレポレ東中野での映画鑑賞後に、サプライズで舞台挨拶をしてくれた土さん、そしてなぜか映画を一緒に観ていた十数名と一緒に飲みに行くことに。改めて考えると、土さんらしいオープンで受容の姿勢のある場だったなぁ。監督って、自分語りの多いイメージがあるけど、土さんはしっかり聴いて応えることに集中している様子が印象的だった。めぐと話してる時に土さんが来てるTシャツは、あの映画のTシャツだけど、狙って着ていた訳ではないらしい。

追記:2019.5.18 母と一緒に鑑賞

3歳まで大井町に住んでたことが発覚したので、今度一緒に街歩きをすることに。僕は、母の計画的な働きかけにより生まれたそうな。実際、土さんと似たように親にデリケートな質問をしてみると、かなりの質問しづらさを感じる。土さんすごいなぁ。

画像1

はなの舞のお通しが土さんだけ肉団子だったのが個人的にはツボだった。
(沈没家族の中で映画「にくだんご」の映像が出てくる)

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?