いま、怒れる若者たちがハードコアを鳴らす意味とは? 〜 Show Me The Body『Body War』〜



 先日、デビュー・アルバム『Body War』をフリーでリリースした3人組バンド、ショー・ミー・ザ・ボディー(※1)。彼らのことを知ったキッカケは、ガーディアン紙のサイトだった。とある原稿の資料として見たい記事があったためサイトにアクセスしてみたら、『Show Me The Body's alternative guide to New York』という記事が目に入ったのだ(※2)。

 サムネイルをクリックすると、どこかオタクっぽい匂いを漂わせる3人の男たちがいた。記事いわく、彼らはニューヨークを拠点に活動し、バンドのフロントマンはヴォーカルを務めるジュリアン・キャッシュワン・プラットらしい。いろいろ興味深い内容だったが、なかでもジュリアンが「The city is dying(都市は死にかけている)」と語っているのが、さながらシャロン・ズーキンで面白かった(※3)。

 彼らのサウンドクラウドを覗いてみると、曲がいくつかアップされていたので聴いてみた。歪みきったノイジーなハードコア・サウンドをバックに、ジュリアンの激しいラップを披露するというのが、彼らの基本的な形だとわかった。バンドでいうと、バッド・ブレインズやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンといったあたりが思い浮かぶ、そんなサウンドだ。

 だが、彼らの音楽はもっと多様性にあふれている。それは先述の『Body War』を聴けばわかると思う。本作は、ハードコアやヒップホップはもちろんのこと、ノイズ、インダストリアル、ポスト・パンクなどの要素も随所で見られるからだ。特に「Tight SWAT」は、ポスト・パンクの代表的なバンドであるギャング・オブ・フォーを想起させる。ノアもラップではなく、唾を吐き散らかすように“歌っている”。本作中もっともヒップホップ色が薄い曲と言えるだろう。

 こうした多様性はライヴ活動でも発揮されており、「Vernon」(※4)でもコラボしたウィキを要するヒップホップ集団ラットキングとツアーしたり、さらにはリー・バノンといったエレクトロニック・ミュージック界の新鋭とも共演している。会場も、ザ・フェーダー・フォートのようなイベントから、ニューヨーク近代美術館のPS1まで、実にさまざま。この境界線にとらわれない身軽さは、あらゆる時代の文化にネットなどを通して触れられるようになった、2000年代以降のポップ・カルチャーの流れを汲んでいるのだなと思わせてくれる。そんな身軽さが、彼らの音楽に自由と風通しの良さをもたらしているのだと思う。

 また、その自由は楽器の構成にも表れている。まず、彼らはギターを一切用いていない。ザ・フェーダー・フォートでのライヴ映像(※5)を観ると、ジュリアンはバンジョーを演奏しながらラップしているし、ベースはエフェクターを駆使することで、まるでディストーション・ギターのような音を鳴らしている。ドラムもリズムを刻むというよりは、あたかもサウンド・エフェクトを鳴らすかのように叩いている。サンプラーでヒット音を出しているような、そんなイメージ。しかもジュリアンは、アンディー・ギル(ギャング・オブ・フォー)ばりの金属的ギター・サウンドをバンジョーで鳴らしてみせる。このあたり、ただバンジョーを弾くだけのテイラー・スウィフトとはわけが違う(※6)。彼らには、この楽器はこう演奏すべきという固定観念がない。そして、いま書いたベースの鳴らし方を読んで、デス・フロム・アバヴ1979のジェシー・F・キーラーを連想したあなた。それなりに仲良くなれそうなので、クラブやライブハウスなどで見かけたときは声をかけてほしい。1杯おごります。

 閑話休題。彼らを語るうえでは言葉も見逃せない。〈1-800 cop shot(※7)〉(「Chrome Exposed」)といった固有名詞も登場する歌詞は、暴力的な権威や公権力に対する怒りで満ちている。『Show Me The Body's alternative guide to New York』でジュリアンは、友人や家族が毎週のように立ち退きの脅威にさらされていると語っているが、この憤りはアメリカに住む多くの人たちにとって切実な想いなのだろう。

 先に引用したシャロン・ズーキンは、現代のニューヨークを分析した著書『都市はなぜ魂を失ったか』で、中心市街地活性化や公共空間の民営化といった名目を掲げた再開発によって多くの人たちが追いだされ、そのことで街にコミュニティー間の断絶をもたらしてしまう危険性を指摘している。おそらくジュリアンの嘆きも、このシャロンの議論に通じる問題意識を孕んでいると思う。そしてこれは、一部の人たちのために多くの人たちが犠牲になることに対する異議という意味で、オキュパイ・ウォール・ストリート(ウォール街を占拠せよ)や、格差是正や公正な社会の実現を主張したバーニー・サンダースの台頭といった、近年の政治/社会問題と共振するものだろう。そう考えると彼らは、アメリカの病理が生みだしたバンドとも言えるし、だからこそ同時代性を獲得できた。

 くわえてこの同時代性は、ジュリアンの嗜好にも表れている。というのもジュリアンは、NMEでエディターを務めるマット・ウィルキンソンのインタヴューに対し、エミリー・ディキンソンとオードリー・ロードの名を影響源として挙げているからだ(※8)。ふたりとも、詩人としてフェミニズムに少なくない影響をあたえたとされているが、このような者たちを好きだと公言することは、ハードコアの歴史を考えると非常に意義深いものだろう。

 ハードコアといえば、1980年代のアメリカで形成されたハードコア・シーンを題材にしたドキュメンタリー映画、『アメリカン・ハードコア』がある。シーンの盛衰を検証した作品としても興味深いが、ハードコアには組織化された左翼的側面もあったという証言が飛びだすなど、ハードコアの政治性もわかる内容となっている。この映画を観れば、ハードコアは当時のレーガン政権による右翼/保守的思想へのカウンターだったということを理解できるはずだ。

 レーガンによるレガーノミクスは、当時問題となっていたインフレ克服を達成するため、貧困者に自助努力を求めつつ、大幅な福祉予算の削減や金持ち優遇の減税をおこなった(いわゆる新自由主義)。その結果、貧困者は多くのダメージを被ってしまい、失業率は10%を超えた。この貧困問題はいまのアメリカにも引き継がれてしまい、それがオキュパイ・ウォール・ストリートやバーニー・サンダースの台頭につながっているというのは、ある程度世界情勢に興味を持っている者なら周知の事実だと思う。そういった意味でハードコアの戦いはそれなりに妥当性があったと言えるし、彼らがいまハードコアを鳴らす意味もわかるというもの。

 しかし、『アメリカン・ハードコア』の中でキラ・ロゼラー(ブラック・フラッグの元ベーシスト)が言うように、当時のハードコア・シーンには女性蔑視的な風潮があった。これはいまも、ハードコア・シーンに対する批判の定番となっているが、ジュリアンの嗜好はそうした風潮とは真逆に位置する。つまり彼らは、ハードコアの政治性を受け継ぎながらも、その政治性が抱える負の側面を解消しうる存在なのだ。さらにジュリアンの嗜好は、ケイト・ナッシュ、ロード、ビヨンセなど、フェミニストであることを公言するアーティストが増えた、近年のエンタメ界の流れとも共鳴できる。この点も、彼らの同時代性と言っていい。

 このような彼らの政治性をふまえると、ジュリアンがバンジョーを手にする意味も見えてくる。バンジョーは、西アフリカで使われていた民族楽器が、奴隷貿易を介してアメリカ大陸に伝わったのがルーツとされている。やがて、白人が黒人を真似るミンストレル・ショーが流行った19世紀に、ミンストレル・ショーをメインに活躍する芸人だったジョエル・スウィニーが近代的楽器としてバンジョーを確立させた。こうした背景をふまえると、ジュリアンがバンジョーをかき鳴らすのは、アメリカの歴史という内部にうごめく暗黒面を表現するためではないか? そんな批評性を彼らは、私たちに披露してくれるのだ。

 以前筆者は、bounce 388号内の特集『深化するNYインディー』で、アニマル・コレクティヴのインダウューを担当した(※9)。質問に答えてくれたメンバーのパンダ・ベアは、「僕らは誰ひとり、理論的に音楽を語ることができない」「『Painting With』の制作中は、絵を描く作業になぞらえて会話することが多かった」などと語り、「彼らは音楽的というより絵画的だな!」と思ったのを覚えている。アニマル・コレクティヴは、現行のNYインディー・シーンはもちろんのこと、先述した2000年代以降のポップ・カルチャーの流れが育んだ折衷性と多様性を語るうえでも欠かせない集団だ。過去、現在、そして未来までをも攪拌させ、交わらないと思われていた様式や価値観を矢継ぎ早に接続していった。そうした集団を生みだしたニューヨークから、ショー・ミー・ザ・ボディーのようなバンドが出てくるのは非常に面白いと思うし、半ば必然のようにも感じる。

 ただ、彼らがアニマル・コレクティヴと決定的に異なるのは、政治性や立場(“階級”と言ってもいいだろう)も攪拌しようと試みていることだ。それゆえ彼らはさまざまな場所で演奏し、ポリティカルなメッセージが込められた歌を世界中に届けている。そうした彼らの動きと類似しそうなのは、DJ集団ディスクウーマンだろうか。彼女たちはもまた、最新のダンス・ミュージックがスピンされるパーティーなどを通して、フェミニズム、ジェンダー、LGBTといった問題について問いかけている(※10)。しかも興味深いことに、彼女たちの拠点もニューヨークだ。確かに、NYインディーは深化しているのかもしれない。だが、インディーも含めたニューヨーク全体の音楽シーンを見てみると、同時に“進化”の兆候も表れていると感じる。そしてそれは、ゆっくりとだが、確実に世界中に広まっているのではないか。

 マット・ウィルキンソンは、『Body War』リリースを伝える記事の中で、彼らのイギリス・ツアー時に撮影したという写真を使用している(※11)。それは、3人がイギリスの国旗を燃やしているという、少々過激なものだ。

 先日イギリスでは、国民投票によってEUから離脱するという選択が示された。法的拘束力はないが、早くも世界中に混乱をもたらしている。おそらくこれからも、多くの困難がイギリスに降りかかるだろう。いわばイギリスは、これまで政治にあまり関心がなかった者たちも巻きこんだ、“政治の季節”に突入すると思われる。そうしたなか、先に書いたような写真を撮ってしまう彼らの勘は、ある意味鋭い(投票結果が出る2日前に記事がアップされたことを考えると、マット・ウィルキンソンは確信犯的に写真を使用したと思えなくもない)。もしかすると、スリーフォード・モッズやケイト・テンペストらと並び、彼らの音楽がイギリス中の人たちに求められるかもしれない。

 ちなみにジュリアンの出身地は、パブリック・エナミーを輩出したロングアイランド。これまた面白い偶然である。



※1 : 彼らの公式サイトでダウンロードできます。http://corpus.nyc/

※2 : 記事のURLです。https://www.theguardian.com/music/2015/oct/13/show-me-the-body-alternative-guide-to-new-york-cmj-2015

※3 : アメリカの都市社会学者。

※4 : 「Vernon」のMVです。https://www.youtube.com/watch?v=uNb8QlwTrdQ

※5 : こちらがライヴ映像です。https://www.youtube.com/watch?v=sMPEwgOXiT8

※6 : 「Mean」のMVなどでバンジョーを弾く姿が観れます。ちなみに筆者、テイラーの音楽は好きです。念のため。https://www.youtube.com/watch?v=jYa1eI1hpDE

※7 : ニューヨーク・デイリー・ニュースの記事などでよく見かける言葉です。http://www.nydailynews.com/new-york/1-800-cop-shot-work-article-1.2209596

※8 : NMEの記事『Show Me The Body Interviewed: Truth-Telling, Cop-Dodging, Hardcore New York Nihilists』を参考にしました。http://www.nme.com/blogs/nme-radar/show-me-the-body-interviewed-truth-telling-cop-dodging-hardcore-new-york-nihilists

※9 : タワーレコードで配られているフリー・マガジンです。概要がわかるページのURLを貼っておきます。入手方法は、あなたのほうで考えていただけると幸いです。http://tower.jp/mag/bounce/2016/bounce_388

※10 : 詳しくは、Smirnoff Sound Collectiveで公開されている彼女たちのドキュメンタリー、『Tribes Ep. 1: Discwoman』を観ていただけると幸いです。https://www.youtube.com/watch?v=xtqoHTpedfY

※11 : 記事のURLです。http://www.nme.com/blogs/nme-radar/new-music-of-the-day-show-me-the-body-body-war-album#fbhd2IWuvYWKXO0p.99


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