言葉を取り戻すことは、自分を取り戻すこと ~ 2016年のポップ・カルチヤーを考える ~



 毎日新聞のサイトで、『安易な同調に「膝カックン」 言論、一人一人で染めよう』という記事を見かけた(※1)。この記事は、ライターの武田砂鉄が “言葉” について語ったものだ。近年の事象をいくつか例に挙げながら、言葉の自由が失われつつある現状に批判を投げかける内容で、言葉を取り戻すことの重要さを訴えている。


 そんな記事が出た約1ヶ月前、いとうせいこう & リビルダーズのアルバム『再建設的』がリリースされた。このアルバムは、いとうせいこう & TINNIE PUNXが1986年に発表した『建設的』をリブートしたもの。なかでも筆者が特に惹かれたのは、いとうせいこうによる「スイート・オブ・東京ブロンクス」だ。


〈自由を肯定せよ〉〈自らの言葉を取り戻してバラバラに語れ〉(「スイート・オブ・東京ブロンクス」)


 ここでも、言葉を取り戻そうという姿勢が見られる。日本の現況を見事にとらえたこの曲は、鋭い批評性と言葉の可能性が際立つ内容だ。
 そもそも、言葉を取り戻すとはどういうことなのか? それを考えるためにもまず、“言葉” の可能性について筆者なりの考えを書いておこう。
 言葉とは、誰かの居場所になれるものだ。小説、批評、詩など、たくさんの言葉で紡がれたその塊は、現実とは違うもうひとつの世界と言っていい。そこに人々は夢や理想、気づきを見いだし、なかにはそれを現実でも実現させようと動く者もいる。言葉で世界をすぐさま変えることはできないが、世界を変えるために必要な “人々” の行動に影響はあたえられる。だからこそ私も含めた多くの書き手は、日々言葉を紡ぎ、より多くの人に届けようと努力する。


 こうした行為の前提にあるのは、他者に対する信頼だ。対話という名の船に想いが込められた言葉を乗せ、相手に届ける。それを受け取った相手は、その船に新たな想いと言葉を乗せ、送りかえす。ロシアの言語学者ミハイル・バフチンが言うように、対話とは、多数の異なる文化が衝突して生じる摩擦を “創造” に変換するための行為なのだ。摩擦を戦争や暴力といった血生臭いものではなく、相互理解を深めて多文化な世界にたどり着くためのエネルギーにすること。そのためにも、他者への信頼に基づいた対話から、私たちは絶えず知恵やアイディアを編みださなければならない。
 言葉を取り戻すとは、感情を取り戻し、想いを取り戻し、自由を取り戻すこと、つまり “私” を取り戻すことと同義なのだ。それは言い換えれば、言葉を封じようとする者は、さまざまな人々の感情、想い、自由を軽視しているということである。だからこそ、言葉が奪われつつあると感じるなら、抵抗しなければいけない。誰もが抑圧を受けることなく、それぞれの幸せを追求できる多彩な風景こそ素晴らしいと感じるならば。


 2016年の筆者は、いままで以上にそういう多彩な風景を肯定するような表現に惹かれた。筆者のメイン分野である音楽でいえば、バイセクシャル的な雰囲気すら漂わせる宇多田ヒカルの『Fantôme』(※2)。それから、2012年のトレイボン・マーティン射殺事件といった政治的な事柄に触れつつ、愛と理想を歌ってみせたブラッド・オレンジの『Freetown Sound』などだ(※3)。これらの作品は、踏みこむと多くの摩擦が起こるゆえに無視されがちな領域と向きあいながら、その摩擦を創造へ変えることに成功している。聴いた人にさまざまな気づきや視点をもたらし、人と人を繋げられる多様性で満ちている。


 気づきという点でいえば、片渕須直監督の『この世界の片隅に』も素晴らしい作品だ。この映画に関して特筆したいのは、戦時下における普通の暮らしの尊さを描いてるように見せつつ、それは他国を侵略して得られたものだということも描いた点だ。それは、明確に反戦のメッセージを打ちだした “反戦映画” というより、戦争について考える批評的視座を浮きぼりにした “戦争映画” と言ったほうがしっくりくる内容だ。最近だと、塚本晋也監督の『野火』、あるいはクリント・イーストウッド監督の『アメリカン・スナイパー』に通じる性質を持った作品だと言える。戦争という状況をただ批判的に描くのではなく、戦争について観客に考えさせることで、新たな可能性や希望を作りあげようとする描き方。いわば “戦争批判” ではなく、“戦争そのもの” を描くことで、人々は良い方向に変わるのではないか? という性善的姿勢。このような側面がある『この世界の片隅に』もまた、他者への信頼に基づいた対話を志向する作品だ。


 実を言うと筆者も、言葉を巡る現況には危機感を抱いている。ゆえに冒頭で紹介した記事の論旨にも同意できるし、2014年に開催されたYEBISU MUSIC WEEKENDのトーク・イベントでも、「これだけレンジの広い音楽業界だから、少しでも何を聴いて推しているかブログでもTwitterでも投稿して欲しい」ということを口にした(※4)。この発言には、人々の関心を集めることだけが目的の過激な表現で満ち、それに伴い言葉が画一化していくことへの抵抗を込めたつもりだ。多種多様な発信ツールがある現在は、いくら言葉を封じようとしても、それを完璧に遂行することは不可能だろう(そもそも “封じる” というやり方が好きじゃない)。ならば、言葉には言葉で返そう。どうもしっくりこない言説が目の前にあふれていたら、そこに自分の言葉を投げ、少しでも色を変えてみること。そんなささやかな勇気が、いま必要とされているのだ。
 2016年は、こうした現況の象徴と言える男がアメリカの大統領に選ばれるなど、諸手を挙げて良い年だったとは言えないかもしれない。たとえば、今年のアメリカ大統領選を取りあげ、“何人ものポップ・スターが声をあげたのにそれすらも大衆には届かなかった!”と、なかば恐怖心を煽る自己憐憫に浸るのは簡単だ。しかし忘れてはいけない。忍び寄る不穏な影に対抗するための希望や可能性を孕む表現も、多く生まれたことを。だから筆者は、これからも言葉を紡ぎつづける。どうかあなたへ届きますようにと願いながら。そしてあなたにも、何かできることがあるはずだ。小さいことかもしれないが、あなたにしかできないなにか。面白いことに、その小さいことを積みあげれば、意外にも世間は重い腰を上げてくれる。




※1 : 記事はこちらなどで読めます。http://mainichi.jp/articles/20161017/dde/012/010/002000c


※2 : 筆者による宇多田ヒカル『Fantôme』のレヴューです。参考になれば幸いです。https://note.mu/masayakondo/n/nf744c1db10a1


※3 : 筆者によるブラッド・オレンジ『Freetown Sound』のレヴューです。参考になれば幸いです。https://note.mu/masayakondo/n/n77d322e2591d


※4 : そのときの実況ツイートです。https://twitter.com/thepublic_jp/status/529186841891569664

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近藤 真弥

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