Fiona Appleは沈黙を良しとせず、服従は沈黙でしかないと歌う


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 アメリカのシンガーソングライター、フィオナ・アップル。1996年にデビュー・スタジオ・アルバム『Tidal』をリリースして以降、彼女の存在感が弱まったことはない。

 だからこそ、映画『ハスラーズ』(2019)でも“Criminal”(1996)のメロディーが流れた。この曲は、ストリッパーのラモーナ(ジェニファー・ロペス)が初めてダンスを披露するシーンで使われた。躍るピアノとシンコペーションが際立つベース・ラインを軸にしたサウンドは軽快な一方で、出逢った男を精神的に虐待してしまう女性が描かれた歌詞はかなり暗い。
 こうしたギャップは、ラモーナのギャップとも共振していた。高度なダンス技術を持ち、そのことにラモーナが誇りを持っていても、見にくる男たちは体だけを目的にしている。ステージ上ではスポットライトを浴びていても、そこから降りればファストファッション店で副業をしなければ生活できない現実がある。

 そのようなラモーナの背景を示すのに、“Criminal”ほど相応しい曲はない。生きるためにストリッパーと副業をこなすしかないラモーナと、こういう振る舞いしかできないと吐露する“Criminal”の物哀しい歌詞は、見事に重なるのだから。こうしたモダンな響きを“Criminal”に見いだしたという意味でも、『ハスラーズ』は秀逸な映画だ。

 この現代性は、フィオナ・アップルの最新アルバム『Fetch The Bolt Cutters』にも刻まれている。彼女の発言によれば、本作では抑圧された感情の解放を目指したようだ。パーソナルな痛みを歌った“Newspaper”から、性暴力疑惑に塗れたブレット・キャバノー(アメリカ合衆国連邦最高裁判所陪席判事)への怒りが背景にある“Relay”まで、テーマは幅広い。
 しかし全体を通して聴くと、男性優位な社会構造、たとえば家父長制に対する批判としても読める言葉が多いのに気づく。性暴力サヴァイヴァーの言葉が信じてもらえない憤りを歌った“For Her”など、“Relay”以上にストレートな曲もある。

 ここまで沈黙を拒否しているのは、長年の音楽活動において貼りつけられたパブリックイメージを壊したいからではないか。先に書いたマリリン・マンソンのように身勝手な幻想を抱く人が多く現れ、1997年のMTV ヴィデオ・ミュージック・アワードにおけるスピーチで〈この世界はでたらめだ(This world is bullshit)〉と言ったときは嘲笑に見舞われた。それでも言いたいことは言いきり、彼女は自らの心と体を自分のものとしてきた。

 そのような主体性があるからこそ、ポール・トーマス・アンダーソンに精神的虐待を受けていたと告白し、付きあっていた頃を懐かしむのはやめてほしいとファンに語りかける。たとえ好意的なファンやリスナーが抱くイメージであっても、それが自分の意に反するものであれば、容赦なく壊す。

 そうした破壊精神はサウンドにも反映されている。ほのかにインダストリアル・ミュージックの匂いを醸すそれは、亡くなった愛犬の骨でパーカッションを奏でたりと、定型に囚われまいとする姿勢が目立つ。シンプルな打ちこみのビートから突如ピアノの弾き語りに変わる“I Want You To Love Me”など、予測が難しい曲展開も多い。
 それでいて、瞬く間に耳を惹きつけるメロディーは深化している。ポップスとしての親しみやすさがありながら、聴感覚を拡張する先鋭性も心の奥深くに突き刺さる。この絶妙なバランス感覚には、彼女が表現者としてさらなる高みに登ったのだとわかる絶大なインパクトが宿っている。

 サウンドと言葉の両面で自分を貫いた『Fetch The Bolt Cutters』は、誰かの肯定を必要としていない。自分の音、自分の言葉、自分の想いを表現することにどこまでも忠実だ。
 フィオナ・アップルは、沈黙を良しとしないだけではなく、服従は沈黙であるという厳然たる事実も教えてくれる。


※ : 本稿執筆時点ではMVがないので、Spotifyのリンクを貼っておきます。


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