「そうだよね」と寄り添う言葉 ~ LCDサウンドシステム ~



 2000年代のポップ・ミュージックを語るうえで欠かせない存在といえば、LCDサウンドシステムだ。ジェームス・マーフィーによるこのプロジェクトは、ディスコ・パンクというジャンルを確立したバンドのひとつ。その意味でファースト・アルバム『LCD Soundsystem』(2005)は隙がなかった。まずはジャケット。ディスコの象徴であるミラーボールが、パンク・バンドのフライヤーでよく見る一色刷りで染められたそれは、ディスコ・パンクという音楽をわかりやすく示していた。ミラーボールが破壊されていないのも重要だ。ディスコ・デモリッション・ナイトなどが象徴するように、ディスコは激しい憎しみを受けることもあったが、ジェームスにそうしたベクトルは一切ない。少なくとも、『Futuresex/Lovesounds』(2006)におけるジャスティン・ティンバーレイクみたいな真似はしなかった(※1)。


 アメリカのニュージャージーで生まれたジェームスは、1980年代後半から1990年代にかけてハードコアやインディー・ロックのシーンを根城に活動していたが、そこでの経験がジェームスのダンス・ミュージックには反映されている。『LCD Soundsystem』だけを切り取っても、ストレートなパンク・チューン「Movement」があれば、ミニマルなエレクトロ・ディスコ「Tribulations」も収めてるし、これらを合わせたような「Daft Punk Is Playing At My House」もある。いわばジェームスは、破壊ではなく接続によって新たなポップ・フォーマットを創造したのだ。


 その創造は、アルバムを重ねるごとに拡張していった。トーキング・ヘッズ、カン、ベルリン3部作期のデヴィッド・ボウイといった要素を前面に出し、ディスコ・パンクという枠では狭すぎる多彩な音楽性を獲得した。そんな音楽性の到達点は、サード・アルバム『This Is Happening』(2010)だろう。それは、このアルバムの4曲目「All I Want」を聴けばわかるはずだ。「All I Want」で響く幽玄なギター・サウンドは、デヴィッド・ボウイの大名曲「Heroes」へ向けたオマージュなのだから。おまけにジャケットは、ベルリン3部作の最後を飾る『Lodger』みたいではないか。リリース当時はあまりのストレートな愛情表現に思わず笑ってしまった。しかし同時に、先鋭さと親しみやすさが混在したサウンドは筆者の心をとらえて離さなかった。そんな『This Is Happening』は、LCDサウンドシステムにとって初の全米アルバム・チャートTOP10入りという成果をもたらした。
 ところが、そうした盛りあがりの最中にジェームスは決断する。LCDサウンドシステムの解散だ。基本的にはジェームスのソロ・プロジェクト的性質が強いのになぜ“解散”なのか?とは思ったが、そのニュースを聞いたときは心の底から残念と感じた。とはいえ、マディソン・スクエア・ガーデンでのラスト・ライヴをもって幕が降ろされるという物語も、それはそれで美しい。ジェームスは、クールとされる振るまいをしないことでクールでありつづけた。ゆえに筆者もLCDサウンドシステムの音楽をクールと評することはしなかった。2011年におこなわれたそのライヴも、いつも通りのジェームスだった。そこにらしさを感じたのは言うまでもない。


 それから約5年が経った2016年1月。ジェームスは再結成に関する長文を発表した。フェイスブックに投稿されたそれには(※2)、再結成に至るまでの経緯や、4枚目となる新しいアルバムを発表するという旨などが書かれていた。多くのメディアはこぞって帰還を盛大に伝えていたが、筆者は久しぶりと感じなかったので案外冷静だった。ラスト・ライヴ以降もジェームスはDJやプロデュース業をこなしていたし、ワインバーの開店やコーヒー豆の販売など、音楽以外でもその名を目にすることが多かったからだ。マスメディアの末端にいる身ではあるが、“そうやってさも久々の帰還!と盛りあげたって、今のリスナーはすぐさま欺瞞に気づくのにな...”と思っていた。もちろん、新しいアルバムについては“とにかく待っている!”の一言だ。その熱量は、びっくりマークがいくつあっても足りないほど、と言えば伝わるだろうか。



 今年5月、LCDサウンドシステムはサタデー・ナイト・ライブで、同月に公開された新曲「Call The Police」と「American Dream」を演奏した(※3)。観るとまず目を引いたのは、ジェームスがデヴィッド・リンチみたいな風貌になりつつあることだ。今年は『ツイン・ピークス』の新シーズンが始まるし、それに合わせたのかもしれない...といったくだらない妄想も抱いてしまったが、それらを取り払いあらためて感じたのは、ジェームスは言葉の人でもあるということだ。先述したように、ジェームスは新たなポップ・フォーマットを創造したが、一方でいくつもの興味深い言葉を残してきたことも忘れてはいけない。「Daft Punk Is Playing At My House(ダフト・パンクが僕の家でプレイしてる)」というキャッチーなフレーズを生みだし、マット・ヒーリー(The 1975)にとって永遠の曲になった「All My Friends」では詩的な言葉を紡いでみせた(※4)。
 筆者の好きな歌詞は、セカンド・アルバム『Sound Of Silver』(2007)に収められた「Someone Great」だ。〈それについて話すことができればいいのに〉という一節で始まるこの歌は、希望や悲しみなどさまざまな感情が入り乱れる曖昧な言葉で綴られている。いくつもの場面が浮かんでは消え、そのスピードは何かとせっかちな現代社会と共振するようにも感じる。決して楽しいだけの歌ではないが、それでも「Someone Great」は最高のダンス・ミュージックだ。
 〈コーヒーだって苦くない〉や〈完成しなければいけない曲〉というフレーズから察するに、「Someone Great」は自己言及的な歌だと思うが、ジェームスはこの手の歌を得意としてきた。たとえば、「Disco Infiltrator」に登場する〈ディスコ侵入者〉とはおそらく、ディスコにパンクを持ち込んだジェームス自身のことだ。また、「Pow Pow」ではヴィレッジ・ヴォイス誌のライターと交わされた議論に言及している。歌詞のインスピレーション源についてジェームスは、〈現在接しているもの、身の回りのこと、全てから〉と語るが(※5)、そうした姿勢が自己言及的な歌の多さにつながっている。


 となれば、アメリカの現況をふまえたうえで、「Call The Police」と「American Dream」が発表された意味を私たちは考えるべきなのだろうか?〈私たちはユダヤ人の歴史を論じ始める〉(「Call The Police」)など、気になるフレーズや単語も多く見られる。言うまでもなく、これもジェームスの〈身の回りのこと〉だろう。アルバムのリリース前だから断定は避けるが、ジェームスは今、これまで以上に広いナニカを見つめながら歌っているのではないか?それはあなたも含めた、“世界”のことかもしれない。




※1 : このアルバムのアートワークでティンバーレイクはミラーボールを破壊している。

※2 : その投稿です。https://www.facebook.com/lcdsoundsystem/posts/10156426375825444

※3 : このときの様子はLCDサウンドシステムのYouTubeアカウントにもアップされています。


※4 : NME JAPANの記事「ザ・1975のマット・ヒーリー、これまでで一番のお気に入りの楽曲を明かす」(2016年11月18日)を参照。http://nme-jp.com/news/29653/

※5 : iLOUDの記事「LCD SOUNDSYSTEM インタビュー/LOUD122号」を参照。http://www.iloud.jp/rock/lcd_soundsystem/interview/lcd_soundsystem_loud122.php

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