Arcaの傑作『Arca』を通して見る、エレクトロニック・ミュージックとセクシャル・マイノリティーの関係



 エレクトロニック・ミュージックの歴史を振りかえると、セクシャル・マイノリティーの多大な貢献がその歴史を作りあげてきたのだと実感する。たとえば、シカゴ・ハウスの中心地となったクラブThe Warehouseは、黒人やラテン系のゲイをメイン・ターゲットにしていた。さらに、ダニー・ランプリングによるShoomがセカンド・サマー・オブ・ラヴを象徴するパーティーになったのも、ゲイも含めた様々な性的指向を歓迎し、自由と愛を掲げたからだ。
 マドンナ「Vogue」の誕生に影響をあたえたボールルーム・カルチャーも忘れてはいけない。他にも、ジェニファー・カーディニがレジデントDJを務めたフランスのクラブLe Pulp、ブルックリンのDJ集団Discwoman(※1)、サンフランシスコを拠点に活動する4人組Honey Soundsystemなど、多くの人たちが多様性や自由を尊び、エレクトロニック・ミュージックの発展に貢献している。もちろん、いま挙げた例はほんの一部に過ぎないが、エレクトロニック・ミュージックとセクシャル・マイノリティーが現在まで強い結びつきを保っていることは確認できるはずだ。
 ではなぜ、その強い結びつきは保たれているのか? この謎を考えるうえでヒントになりそうなのは、タイヨンダイ・ブラクストンが筆者に語ってくれた言葉だ。


「しっかり組みたてられたフォームを持つ音楽が好きなんだけど、同時に人間だけでは作りえない音楽も好き。エレクトロニック・ミュージックが好きなのも、人間だけでは作りえない音楽ができるからなんだよね」(※2)


 エレクトロニック・ミュージック、さらにそれを支えるテクノロジーは、肉体という物理的限界がある人間ではたどり着けない領域へ私たちを連れて行き、メロディー、ビート、グルーヴなど、あらゆる面で変化を促した。ゆえにデトロイト・テクノは近未来を想像し、ジェフ・ミルズは宇宙遊泳まで果たした。『Kid A』期のレディオヘッドが時代の寵児となり、フロントマンのトム・ヨークが「ロックなんか退屈だ。(中略)だってほんとにゴミ音楽じゃないか!」(※3)と発言してカリスマになれたのも、エレクトロニック・ミュージックの後ろ盾を得て、秀逸なロック批判を展開できたからだ。エレクトロニック・ミュージックは常に、音楽史の変化に立ち会ってきた。
 こうした変化を促す性質があるからこそ、エレクトロニック・ミュージックはセクシャル・マイノリティーの拠り所になり、一般的とされる規範やジェンダー観で押さえつけてくる世界と戦う手段になったのではないか。セクシャル・マイノリティーの多くが抱える抑圧に対する反骨心と、現実を変えたいという願いは、エレクトロニック・ミュージックの性質と重なるように思う。


 そう考えると、アルカことアレハンドロ・ゲルシの歩みは、エレクトロニック・ミュージックとセクシャル・マイノリティーの関係に通じる部分が多い。ベネズエラ出身のアルカは、ゲイであることを公言している。このことはアルバムのアートワークにも反映され、Muteと契約して以降リリースした『Xen』『Mutant』の2作品は、いくつもの種が交雑したような未知の生命体をジャケットにフィーチャーしている。これらの生命体が、一般的とされる規範やジェンダー観に収まらないアルカのアバターに見えるのは筆者だけだろうか? 男でも女でもない、もっと言えば人ですらないその生命体は、この世界を生きるなかでアルカに生じた感情そのものであり、だからこそ『Xen』以降の作品群は感情豊かでパーソナルなものになったのではないか、ということ。コンスタントに作品を発表しながら、FKAツイッグス、カニエ・ウェスト、ケレラ、ビョークなどのプロデュースも務めてきた歩みを眺めると、アルカが少しずつ自己を解放していく過程に見えるから面白い。また、そのための手段が、明確なビートはないのに、リズミカルな音の抜き差しとパーカッションで踊らせるエレクトロニック・ミュージックときた。この音楽性自体は、シェイン・オリヴァーのDJプレイなどが先駆けであり、アルカ独自のものではない。だが、アルカもエレクトロニック・ミュージックの助力を得て、自己の解放を目指している事実がわかる意味では見逃せないポイントだ。


 そんなアルカの最新アルバムは、『Arca』と名付けられた。自身のアーティスト名義をタイトルにするのは本作が初めてだ。ジャケットもこれまでとは異なり、従来のグロテスクな雰囲気は健在ながらも、“人” として認識できる顔のアップが使われている。
 そうしたジャケットと共振するように、本作のサウンドからはアルカの顔がハッキリ見て取れる。まず言及すべき変化は、歌があることだろう。しかもアルカ自ら歌っている。編集を加えていないというその歌声は、不安定極まりない。ピッチは安定せず、いまにも消え入りそうな歌声は心許ない。それでも心を大きく揺さぶるのは、アルカの感情が横溢しているからだ。この横溢は “愉快/不愉快” という単純な図式の価値観を越えて、聴く者の心をわしづかみにする。「Coraje(勇気)」「Desafío(挑戦)」といったスペイン語の曲名もあるように、本作に込められた感情はこれまでよりも前向きで、オープンな姿勢が際立つ。
 一方で本作は、「Castration(去勢)」など、不穏な感情が渦巻く曲も収められている。くわえて、その名の通りムチが振るわれる「Whip」は、ボンデージ的なフェティシズムや倒錯的価値観を連想させる。先述した前向きな感情だけでなく、このような喜怒哀楽を逸脱した様々な感情が見いだせるのも本作の特徴であり、だからこそアルカというパーソナリティーがいままで以上に前景化していると言える。


 エレクトロニック・ミュージックとセクシャル・マイノリティーの関係にアルカの歩みを重ねたのは、アルカがゲイということも少なからず関係している。もっと言えば、本作で描かれる “解放の物語” が、冒頭で挙げた多様性や自由を尊ぶ者たちのストーリーと歴史性を孕んでいると感じたからだ。しかしこの物語は、セクシャル・マイノリティーだけのものでもなければ、アルカだけのものでもない。この物語は、セクシャル・マイノリティーやアルカも含めた私たちが共有できるものだ。多くの困難に見舞われ、本作の曲でいえば「Sin Rumbo(あてもない)」という状況でも前に進まなきゃいけないときは、誰にだってある。こうした普遍性に足を踏み入れ、すべての感情を受け入れようとするアルカの姿に、筆者は深く感動している。
 本作でのアルカはアンダーグラウンドに足をつけながら、その場所から私たちに手を差し伸べる。この光景は、世界中で排外的な空気が漂う現在において、とても美しい輝きを放っている。




※1 : Discwomanについては以前書いています。ご参考までにぜひ。https://note.mu/masayakondo/n/nf1080e801fe0

※2 : そのときのインタヴューです。http://www.cookiescene.jp/2015/08/post-299.php

※3 : 『ロッキング・オン』2000年10月号に掲載されたトム・ヨークのインタヴューを参照。

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