The Streetsは過去と若さにすがらない〜『None Of Us Are Getting Out Of This Life Alive』


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 ザ・ストリーツことマイク・スキナーは、イギリスのポップ・カルチャーに多大な影響をあたえた。アークティック・モンキーズのアレックス・ターナーはインタヴューで賛意を示しカノザ・ストリーツの代表曲“Has It Come to This ?”(2001)をカヴァーしている。
 商業的成果も申し分ない。『Original Pirate Material』(2002)を全英アルバムチャート10位に送りこむと、その2年後にリリースされたセカンド・アルバム『A Grand Don't Come For Free』(2004)は同チャートの1位を獲得した。

 筆者もザ・ストリーツにハマったひとりだ。UKガラージといったイギリスのクラブ・カルチャーから生まれた音楽を下地に、ヒップホップ、ロック、スカ、レゲエなどさまざまな要素が溶けこむサウンドは、いま聴いても耳を夢中にさせてくれる。
 歌詞も光り輝くものばかりだ。たとえば、なかなかうまくいかない日常を描いた"It Was Supposed To Be So Easy"(2004)は、いまも続くイギリスの経済格差という背景が滲み、生活と社会は結びついてるのだと示唆する。
 ザ・ストリーツの曲はストレートに政治性を表さない。それでも、周囲を丁寧に観察して見えたことを描こうとすれば、社会の歪みが自然と反映されてしまう。そこに筆者の心は深く共鳴し、自らの生活と重ねられるリアリティーを感じとった。イギリスに根ざした音楽であるのに、日本に住む自分のことがラップされているように思ったのだ。

 しかし、筆者のような支持者を数多く生んだにもかかわらず、スキナーは成功に対して戸惑いを感じていたらしい。そのことは、スキナーが2012年に 発表した自伝『The Story Of The Streets』でも記されている。
 自分がコントロールできないところで、ザ・ストリーツという存在が膨れあがっていく。そうした苦悩は、5枚目のアルバム『Computers And Blues』(2011)をもって、ザ・ストリーツ名義での活動を停止する決断に至らせた。

 とはいえ、スキナー自身は活動をやめなかった。ザ・ストリーツの名を脇に置いたあとも、ザ・ミュージックのロブ・ハーヴェイとD.O.T.を結成したりと、精力的に作品を残している。その傍らでDJもこなすなど、音楽への愛情が消えることはなかった。
 これらの活動は興味深いものだった。自ら表現するだけでなく、DJとしてアンダーグラウンド・アーティストを積極的に取りあげるなど、イギリスの音楽シーン全体を盛りあげていたからだ。

 スキナーがザ・ストリーツをストップさせている間、多くの素晴らしい声がイギリスから生まれた。ケイト・テンペスト『Everybody Down』(2014)は、高騰する家賃に苦しみながらも、何とか生きる都市部の若者たちが抱える殺伐とした心情を描いた。〈俺は壊れた家庭から出てきたんじゃない システムが俺の家庭を壊した〉という鮮烈なフレーズを2015年に放ったデイヴは時代の寵児となり、ジョルジャ・スミスは“Blue Lights”(2016)で警察の愚行に苛まれる心情を歌った。

 これらの声には強く惹かれた。ブログで取りあげるだけでなく、執筆依頼をもらった原稿でも可能なかぎり言及するなど、少しでも多くの人に聴いてもらえたらと微力ながら努力した。
 それでも筆者は、ジョルジャ・スミスやデイヴのようなアーティストが台頭する現在だからこそ、ザ・ストリーツの言葉を聞きたい気持ちが芽生えていた。鋭い観察眼を機知に富んだ歌詞で表現できる才能は、いまの世界をどのように見るのか。そんな好奇心が膨らみつづけた。

 この好奇心は、思わぬ形で解消された。2017年12月22日、スキナーがザ・ストリーツ名義としては約6年ぶりの新曲、"Burn Bridges"と"Sometimes I Hate My Friends More Than My Enemies"をリリースしたのだ。
 特におもしろいと感じたのは"Burn Bridges"だった。不穏な情感が滲む歌詞を支えるトラックは、UKドリルとも共振できるダークなベースを鳴らしている。スキナーなりに現在の潮流を解釈したサウンドで、自身の音楽性をアップデートしようとする貪欲さがちらつく。
 性急なビートを鳴らす"Sometimes I Hate My Friends More Than My Enemies"は、もろにUKガラージだ。歌詞では歳相応の変化を出しつつ、サウンドは『Original Pirate Material』に収められていてもおかしくない2000年代の香りが漂う。ザ・ストリーツのルーツに忠実な曲と言える

 "Burn Bridges"と"Sometimes I Hate My Friends More Than My Enemies"を発表して以降、スキナーはザ・ストリーツとしての活動を加速させていく。2018年に入ると、“Call Me In The Morning” “If You Ever Need to Talk I'm Here” “You Are Not The Voice In Your Head” “Boys Will Be Boys”を立てつづけにリリースし、爆発的な創造力を見せつけた。
 それは2019年も同様だった。サウス・ロンドンのラッパーであるフローハイオとセッションをおこなうなど、後輩アーティストとの交流を深めた。

 UKドリル・グループ67のメンバー、ディムジーとのコラボ・ソング“Surrounded”も忘れられない。2020年にリリースされたこの曲は、スキナーの影響力がUKドリルにも及んでいることを示したという意味で、重要な曲だ。言葉数が多いディムジーのラップに対し、スキナーは言葉を詰めこまないリズミカルなフロウを披露。余裕すら感じるラップは貫禄たっぷりだった。

 そして2020年7月10日、ザ・ストリーツは待望の最新作『None Of Us Are Getting Out Of This Life Alive』をリリースした。スキナーがデュエット・アルバムと説明する本作は、全曲でゲストを迎えている。テーム・インパラ、アイドルズ、グリーンティー・ペン、ミス・バンクスなど、参加アーティストは実に豪華だ。

 特に惹かれた曲を挙げるなら、アイドルズが参加した表題曲だろうか。ざらついた質感のブレイクビーツとノイジーなギターが際立ち、インダストリアル・ヒップホップと形容できるサウンドだ。聴く人によって想起するアーティストは異なると思う。ロックを中心に聴いていればアイルランドのガール・バンドが脳裏に浮かぶかもしれないし、テクノを愛聴していればブラワンあたりのインダストリアル・テクノを連想するかもしれない。
 ちなみに筆者は、ニューヨークのハードコア・バンド、ショー・ミー・ザ・ボディー的な音に聴こえた。ラップと叫びに近いヴォーカルの交わりに、ノイジーなサウンドがなだれ込む様式は共通点に思えるからだ。

 “I Wish You Loved You As Much As You Love Him”も特筆したい。クラウド9“Do You Want Me”(1993)に通じる優美なハウスと、ベース・ミュージック色が濃いマイクQのヴォーグ・ハウスをざっくばらんに合わせたようなサウンドだ。スキナーのラップ以上に、グリーンティー・ペンの艶やかなヴォーカルを前面に出している構成もおもしろい。ダンスフロアで流れたら、多くの人たちが心地よい横ノリに身をまかせる曲だと思う。

 本作は歌詞も聴きどころが多い。ザ・ストリーツの活動をやめる前までは目立っていたシニカルな視点はそこまで強くない。的確な言葉選びによる高い描写力はこれまで以上に磨かれ、活動停止前も豊富だった語彙はより豊かになっている。
 オープニングの“Call My Phone Thinking I’m Doing Nothing Better”では、イギリスのEU離脱問題を指したと思われる《Brexit breakfast》というフレーズが飛びだすなど、生活と社会が結びついた言語感覚も相変わらずだ。淡々と言葉を紡ぐせいで、地味な歌詞に聞こえるかもしれない。だが、現代社会の一側面を切りとった言葉が多く、何度も味わいたい滋味を放っている。

 本作を聴いていて思ったのは、スキナーも歳を重ねたのだなというあたりまえの事実だ。"It Was Supposed To Be So Easy"ではお金のない若者を上手く描写していたが、現在のスキナーがそれをやっても成功しないだろう。いまや2人の子供を育てる40歳で、お金に困る若者ではないのだから。その現実から目を背け、若いふりをするほどスキナーは愚かじゃない。
 過去や若さにすがることなく、いまの自分が表現できることを残そうとするスキナーの姿勢に、筆者は心が揺さぶられた。自分よりも若い世代から学ぶことで音楽性を更新し、言葉は深みを増していく。こうした変化を恐れない未来的思考があるからこそ、スキナーの元にさまざまな才能が集い、表現を磨く一助になってくれるのだろう。

 といった本作の感想を胸に、『A Grand Don't Come For Free』を聴きかえしてみた。リリース当時に抱いた興奮が蘇る一方で、2020年の筆者には楽しめない曲もあった。その曲とは、シングル・カットもされた“Fit But You Know It”だ。
 いま、この曲の歌詞を耳に入れると、男性目線から異性のルックスにあれこれ文句を言う女性蔑視な歌詞に聞こえてしまう。冴えない若者の日常と、その背景にある社会を描いた作品の一部として聴くなら、まだ耐えられるのかもしれない。だが、スキナーがグラストンベリー2019でそうしたように、アルバムの文脈から切り離した形で聴かされたら、おそらく耳を塞ぐだろう。

 スキナーが歳を重ねて変わったように、筆者も歳を重ねて変わった。かつて自分が抱えていた間違いや愚かさと向きあい、そこから学ぶことは、苦痛を伴う。だがそれも、過去に縛られず変化を受けいれる未来的思考であり、さらにその思考のおかげで生きやすさを得られると考えれば、悪くない経験だ。
 このような気づきを、『None Of Us Are Getting Out Of This Life Alive』はもたらしてくれる。



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