高度なワークに対しての姿勢

※本ブログは3度繰り返して読んでいただくと情報が有益なレベルにまで浸透します。

特定の高度なワークを行っていくことについて、そのワークは必ず取り組む人間の感情や思考になんらかの影響を与え始めるということを知っておく必要がある。波動が上がるということはデトックスやエネルギー的な脱皮よる脱ぎ捨て作用が必ず起きるわけだが、思考・感情・肉体の全てのパートでそれは起きる。肉体訓練が好きな人は肉体的な宿便や重金属のデトックスにばかり目が向きがちになるが、あくまでワークは非物質領域である感情や思考も含めたものとして真摯にまっすぐ行っていく必要がある。

そしてこれはほとんどのワークに取り組む人間に言えることだが、人が一番手離さないのは自分の〈考え方と感情が複雑に絡み合った状態の想い〉である。この絡みついた情念は事あるごとにワークに取り組む人間のその取り組む姿勢そのそのものに疑問符を投げかける。

「こんなことをして意味があるのか?」

「もっと効率の良い方法があるのでないの?」

「もう私は次の段階に進むべきなのにまだこれが必要なの?」

これはほんの一例だが、こうした思考は手を替え品を替え本人の中にある純粋にワークに取り組む姿勢そのものの力を削り取っていくのだ。このワークに取り組む姿勢に対しての抵抗勢力は一般的に、ワークに集中すればするほど大きくなると言える。一定期間はそれでも集中できたとして、必ず本人の奥深くに埋め込まれていた猜疑心が表面化してくるからである。

こうしてだいたい満月あたりにそれが爆発してワーク中断、となるわけだ。この現象に対して、私は自分の思考や感情を書き出すことや〈正しさを確かめようとしない〉ということを常に予め説明している。が、それでもやはり正しさや確証を得るために外部の情報と比較したり、友人知人に相談してみたり、ということをやってしまいがちな人は一定数いるものだ。

この層の人々は永遠に自分の中に必要なエネルギーのエッセンスを蓄積できない人である。なぜなら確証はハナからどこにも求めることはできないからである。そしてそれでもそれを求めて探すことは実際にはただ自分がせっかくワークに取り組んで生成した高いエネルギーを雑念から発想したアイディアに食べさせてしまうことになるのだ。

だから正しさを確かめようとして、安心感を得ようとして行動した分、その行動が終わった後にはワークで作ったエネルギー資産はすっかりなくなっている。

だから、孤独に淡々とワークに取り組むことは必須作業なのだ。理解者や応援者を求める思考や感情はそれがなぜ発想されたのかをよく自分自身でみなければいけない。ただそれだけのためにその発想は生み出されたのであるということをどこまで自分で気がつけるかである。

たぼついた身体は左右にブレるが、たぼついた思考はもっと厄介にブレる。自分で処理できなければ周囲は黙っていても迷惑することだろう。


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