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Nepal - ネパール へ #2

Day 2. Bandipur - バンディプール

私たちが向かうバンディプールは、かつて交易の経由地としての栄華を誇るも、様々な理由から山岳地帯に取り残され、いまも往時の雰囲気を残す、美しい古都だという。

約束の早朝、7時。
ホテルの車寄せには私たちを麗しの古都へと運ぶはずの車が、待っているはずだ。
もう一度見回すが、確かに一台だけ、車がいるには、いる。
Jeep... その、例の、ブランドとしてのそれを勝手に想像していた私に全ての責任はございますのですが、しかし、そこに佇んでいたのは、走行距離にして270,000Kmを数え、いまだCDプレイヤーを搭載し、エアコンは作動せず、サイドブレーキが剥き出しになった、インドの名車も誉高いMahindra - マヒンドラ製のくたびれた古株と、日焼けした小柄な中年男性だった。
さながら現代のネパールに降り立った、サンチョとロシナンテ。
写真を撮る気にも、言葉を発する気にもなれず、朝の挨拶もそこそこに、荷物を後部座席に投げ込んで、出発進行の合図とする。
かくして、"GA1YA944"のナンバープレートを背負ったMahindra SCORPIO S4 - 別の名をネパールの活けるロシナンテ号は、サンチョことMr. Naresh - ナレシュさんの手綱さばきで、とぼとぼと走り出した。

朝のカトマンドゥ市街は、通勤、通学の人たちで忙しい。基本的に信号機はない。あっても灯っていないし、ぼんやりとした車線はあるけれど、いずれにしても、それぞれのドライバーの自主判断、稀に警官の笛での誘導がなされるが、その割には、クラクションは聞こえるものの、おおよそ滑らかに交通は保たれる。

まだ元気だったころのロシナンテ号のお守りが斜めになるほどの快走

そもそも、ネパールの中心から少し東に位置するカトマンドゥは、1979年に世界遺産に指定された、"カトマンドゥの谷"とも称される一大盆地であり、地理的にはもともと湖がゆえ、肥沃で緑豊かな場所。そして、古く、この盆地はチベットとインドの交易の要衝として栄え、仏教やヒンドゥー教の聖地としても知られ、まさに昨日のMoNAにも受け継がれる、宗教芸術が人々の生活を彩る場所でもある。

一方で、国としてのネパールは、東西に走る国土をヒマラヤ山脈を北に接し、この盆地以外の大半の国土の地理的な高低差や、多民族、多言語、多宗教など、今日、全世界的に喧しいインクルーシヴやイーコリティーなどの標語が味気なく感じるほどのダイバーシティをもともと複雑に内包しているがゆえに、国家としての経済的な発展には苦慮し続け、引き続き、GDPの約24%を海外への出稼ぎ出国者たちからの送金に頼らざるを得ないという苦境を呈している。

さておき。カトマンドゥ盆地を駆け上がり、その盆地の縁で形ばかりの検問が終わると、そこから様相は一変した。
なるほど、これが季節外れの大雨の影響で、一部区間の舗装が剥がれ落ちて修復をしている、その最前線か、と、その時は思った。
が、とんでもない早とちりで、実際には真逆だった。
この先、遥かポカラまで、二日間に渡る道中で、まともに舗装された道路は、そのわずか一部にすぎなかった。

特にカトマンドゥ盆地を抜けてすぐ、H02が、北へと向かうH04に合流するまでの間、幾重にも屈折した剥き出しの険しい山道を、それがむしろ新装工事なのか修復工事なのか拡張工事なのかすらわからない工事が道と車両を取り囲み、その中を、大盆地への生活物資を運搬する、どこまで続くとも知れないデコトラの隊列が真っ黒な排気ガスを一切の遠慮や逡巡なく吐き出し、砂埃を豪濛と巻き上げながら、低速ギアで乾き切った地面を噛み締めて進んでいく。
ロシナンテ号は当然、窓は閉めているし、エアコンは元より作動しないので、セオリー的には外気を取り込める術はない、はずなのだが、いつしか車内には砂埃が充満し、視界はほぼない。
当然、下からはこれ以上ない突上げと揺れが、心許ないサスペンションやクッションの類を乱暴に突き抜けて、デリケートゾーンにとめどなく押し寄せる。

延々と続く真っ黒排ガスと砂煙の混合物
左に崖、前にバイク、右にデコトラ
時に車線は、あるようで、なく、ないようで、ある

刹那、ものすごい既視感に襲われ、しばしの間、朦朧としながら考えを巡らすと、わかった。
ちょうど数週間前にシンガポールの最新のIMAXシアターで観た、アレだ。

DUNE PART2

こちらの最先端エンタメ作品が全編に渡り最新のVFXで製作されていることを考えれば、おそらく、この瞬間、このロシナンテ号に幽閉され西進を余儀なくされている私たちの方が、かの俳優陣よりも、ぐっと真のアトレイディス家のメンバーに近づいたのではないだろうか...。いや、この際もう、アトレイディスでなくても良いのだが、私たち親子は、いまこの瞬間、19,000NPRもの大金をお支払いしてコクピットの一例後方座席に乗船してしまっているわけだが、出演かどうかは置いておいたとしても、今回のギャラを独り占めするのは、ハルコネンでもフレメンでもない、ネパールに降り立ったサンチョこと、ナレシュなのだ。

車窓の風景は、もはや劇中の1シーンにしか見えない

辛かった思い出を遠ざけたい、人間本来の防衛本能からか、旅の記録が脱線した。

再び道中。何より驚いたのは、まさにこの"砂の惑星"ならぬ"砂の街道"で、救急車やスクールバスにローカルバス、そしてバイクにスクーターと何度もすれ違い、時に追い越される。
そう、H02と名付けられた、この幹線道路こそが、首都が置かれる大盆地と以西を結ぶ人々の生活を支える大動脈であり、その傍らに100余Kmに渡り生を営む人々がいて、彼らにとっては、これが至極日常の生活の一部だということに思い当たる。
誤解を恐れずに言えば、彼らは砂埃の中で日々、砂を喰み、砂を吸い、砂を纏い、生きている。
紛れもなくこの道路脇で、寝食、洗濯、生殖、学習、商売... 考えつく凡そのことを、私たちが別の場所でするのと同じように、日々繰り広げている。

路幅拡張で削り取られた斜面の上をそれでも耕す人たち
DELUXE、とある
トゥクトゥクに商売の機会はあるのだろうか
幹線道路沿いに生き、何かを燃やす人たち
どこから、どこへ...
砂煙舞う幹線道路脇の斜面から収穫した瓜を人力で引き上げ続ける人たち

人は、砂を吸い込み過ぎて死ぬ、ということはないのだろうか?
そして、私はなぜ空路を選択しなかったのか?
そんな、割と真剣な問いの数々が、依然として体ごと激しく突き上げてくる荒々しいロシナンテの騎乗で、沸き起こりは砂煙のなかへと消えていった。

ネパール全景 ©️worldometers

H04と、南西へと延びるH05の分岐点を過ぎて間もなくの Dumure - ドュムレは、小さなバザールを構え、ローカルバスの乗り継ぎ地になっていると同時に、バンディプールへの入り口でもある。
もし今回、私たちがバスに揺られてバンディプールを目指していたとするならば、ここで、ローカルバスに乗り換えて、目的地に向かうことになっていたはずだ。
当方、ロシナンテ号は、迷わずに分岐を左に、少し細い道路へ入ると、ここから一気に標高を上げていく。
7時にカトマンドゥを出てから、約5時間。
悪路などという言葉では到底表現しきれない道の、その先、標高約1500mの山あいに、古都は出現した。

着いた

"HOTEL AGGAMAN"に到着。
家族によって営まれるこの小さなホテルは、到着から出発まで、必要なあらゆるサポートを、想像できる範囲で一番あたたかい方法で提供してくれた。
到着して、通された部屋に荷物を置き、旧市街へと散策に出た。

ホテルから旧市街までは、のんびり歩いて、5分ほど。
緩やかな石畳を登り切ると、ふいに目抜き通りの中心に出る。
目抜き通りと言っても、尾根の東西に延びる約100mほどの石畳の歩道と両脇の店舗やホテル。

ホテルと旧市街の間にある存在感あふれる巨木
美しい石畳が続く
目抜き通り 1
街の薬屋さん

疲れ果て空腹すら忘れたかにも思えたが、感違いだったようで、街で一番大きな音で音楽がかかっていたレストラン"Cafe Red Castle"に、気を取り直して入ってみる。
店の奥に南に向かって開けた、高台になっているテラス席があり、そちらに座り、ビール、ラッシー、野菜のMomoやチキンなどを一気に頼む。

この野菜Momoは絶品だった☆☆☆
チキンと野菜の鉄板焼も大変に美味礼讃

その後、さすがに疲れ果てホテルへと戻ると、明日の約束もせぬままに、サンチョとロシナンテ号は姿を消していた。
私も、いつの間にか眠ってしまい、夕方過ぎに再び旧市街への散歩に出る。

山羊飼いの少年と山羊の散歩
名前はわからないが美しい花を付ける植物
サッカー 1
悲しいことがあったの? 1
恐るべきコンテンツの伝播力と、陥る時代錯誤
悲しいことがあったの? 2
サッカー 2
あらゆる意味で存在の不思議を体感する、ノートルダム

目抜き通りから延びるいくつかの路地をぶらぶらしていると、陽が沈み、なんとも言えない美しい時間が訪れる。

今日も穏やかに陽が沈む
盤石の定位置
目抜き通り 2
坂道の途中に足踏みミシンの裁縫屋さん
THE HOTEL

簡単な夕食を終えて、ホテルをはさんで旧市街地とは逆の方向へと延びる小径を散歩して、ホテルへと戻った。
時間が早かったのか、まだ、にぎやかだった食堂でビールを飲みながら、当宿の女将でございます Shasi - シャシィと、たまたま居合わせたスウェーデンから来たという若いカップルと四方山話しに花が咲く。

はたと我に帰り、事前に受け取っていたナレシュの電話番号宛に、シャシィから、明日の朝8時にポカラに向け出発したい旨、伝えてもらう。が、「現在、こちらの番号は...」的アナウンスメントに、最悪の事態を想定し始める。
でも、よく考えたら、まだ1NRPも払っていないので、間違いなく彼は明朝、英気を養ったロシナンテ号を引き連れて戻ってくるばすだ。

苛烈な二日目は、こうして夜の帷を下ろした。

>> つづく


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