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Nepal - ネパール へ #3

Day 3. Pokhara - ポカラ

朝8時。
寝ぼけ眼で、おいしいシャシィ手作りの朝ごはんを食べていたら、ふと視線を感じ、見ると柱の影にナレシュが。こちらを向いて、そうしたのかどうかわからないくらい微妙で遠慮がちな微笑みをくれながら、右手をひょいとあげた。後方には、さらに身を隠すかたちで、ロシナンテ号が控えている。
どうしたことか、もはや、安心感しか感じない。
今日も頼むぞ、サンチョとロシナンテ。
ということで、約束の8時に遅れることしばし、ホテルを営むファミリーとの別れを惜しんだ私たちは、可愛らしい車に乗り込んで、可愛らしい古都を発ち、旅の最終目的のポカラへと意気揚々と更なる西進を開始した。

と、適当なことを並べているが、出発時間にまだ朝ごはんを食べていた後ろめたさから、出発前に残額の11,000NPRをUSD建て85で満額、今となっては私たちの旅の心強いリーダーのナレシュに丁重にお納めしたことも、ここに告白しておきたい。
そして、これがポカラへの道中を昨日とは少し趣きの違うものにしていった。

バンディプールを発った私たちが向かうのは、もちろん麓のバザール、ドュムレだ。
ドュムレを左に折れ、遠く後方の丘陵にバンディプールを仰ぎ見ながら、ロシナンテ号は一路西へと走り出す。ここからポカラへは、予定通りにいけば3時間強の道のりだ。

稜線の中央に遠く古都 バンディプールを望む

それは突然、始まった。
ナレシュが、あの純正CDスピーカーに何やらコードを差し込み、自分のスマホとつなげて、大音量でネパール音楽をかけ始めた。ノリノリのネパール音楽が砂埃と一緒に車内に充満すれば、彼のキャプテンシーもグッと上がり、ついに鼻歌まじりだ。
そのうちに、キャプテンによる機内アナウンスがあるんじゃないかという感じもしないではなかったが、最後まで、彼の仕事自体は静かで実直だった。
引き続き50%前後くらいで推移していると言われるネパール全土の道路舗装率にだいたい沿った、そんなバンディプールからポカラへの道中だった気がするが、昨日が"砂の街道"なら、今日はむしろ"湿泥の街道"だった。砂と湿泥、沈黙と音楽。
日々是好日、ゴールは目の前に迫っていた。

デコトラ、デコバス、我先に...
ポカラ市街で撮れた、なんだか不思議な写真
たぶんこれからカトマンドゥへと何かを運ぶ、割と上品なデザインのデコトラ
我々よりも広々とした車内でポカラへと到着した山羊たち

再び乾いた、標高約1000mのポカラ市街を抜けて、目指す"Club ES Deurali Resort"へ標高差600mを駆け上がるのに、さほど時間は必要なかった。ナレシュは、攻めた。
一連のとてつもない急斜面を登り切った、その先の駐車場で、別れの時はやってきた。
カトマンドゥを出てから約36時間、バンディプールを経て、遥か約200Kmの悪路を西へ西へと進んだ旅は、いま終わった。

オレたちのサンチョ、オレたちのロシナンテ
うん、外装は悪くない
往路へと旅立つ、ナレシュ。最後はいつだって笑顔で手を振る、人生交差点。

最終目的地に着いた高揚感を、別れの寂しさが上回る。
何よりも、今から、あの道を戻るのかと思うと、こちらが卒倒しそうになるが、我らがキャプテンと類まれなるネパールのサラブレッドの道中の安全を祈念せずにはいられない。
出発時の自分の態度を恥じながら、いま大きな声で伝えたい。
ダンネバード、ナレシュ!
ナマステ、マヒンドラ スコーピオ "GA1YA944"!!

降ろされた駐車場から、さらに100段ほどの急な石段を息を切らしながら登ったところに、山荘が、私たちを迎えてくれた。
山荘は迎えてくれたが、誰に構われるでも、放っておかれるでもない、心地よい歓迎のような、そうでもないような、でも何となくあたたかい受け入れをいただいき、しばらくして、あてがわれた小屋へと移動する。

ポカラは、一面、春霞に覆われて見通しは良くないが、この地で人々はいまだ、山の斜面に棚田、棚畑を拓き、牛を使って耕作をし、山羊、鶏、犬を飼い、昔ながらの生活を営む。

国民の約80%がヒンドゥ教徒で、約15%を(チベット)仏教徒が占め、残りを各教徒が分け合うネパール。
このポカラの地にClub ES Deurali Resortを開いたのは、Evelest - エベレスト登山の玄関口として知られるLukla - ルクラ出身のシェルパ一家だ。
シェルパとして2度のエベレストへの登頂を誇る父、Sonam Chiring Sherpaが、この地を選び、Pansang Sherpaら、彼の息子たちと手を合わせて、パンデミック前にようやく開業にこぎつけたと聞く。

まだ見ぬアンナプルナに向かい正体する形で、崖の斜面に建つ"Club ES Deurali Resort"
中庭にたなびくタルチョと、西の空へ沈む夕日
歴戦の勇士にして大黒柱の Sonam Chiring Sherpa

荷物を置き、しばし別れの余韻を噛みしめながら休憩の後、宿の近くの散策に出る。

あれっだけ舗装されていなかったのに、なぜこの標高の寒村の歩道が舗装されているのか、理解に苦しむ
向かいの丘の右手から舗装された遊歩道を歩き、逆側の尾根からの夕景

さすがに、ふたりとも疲労困憊で、散策を早々に切り上げ、早めの夕食を済ませ、部屋に戻ることにする。
しかし、何をいただいても、んまい!とても美味しく、びっくりする。うまく表現できないが、生姜が非常に効果的に配置され... やはり、うまいこと表現できない。
以下の写真も同様に、一切その風味を撮り逃している。

Chicken Nepali Plate
Veg Fried Rice
もはやお馴染みの、今・ゴルカ

明日の朝、この春霞が晴れていれば、部屋の正面には、8091m、標高世界10位を誇る、Annapurna - アンナプルナがその威容を現すはずだ。
そして、予定は未定だが、ポカラの谷のさらにアンナプルナ側に位置する、Annaprna Eco Villageへと宿を移すことになっていた。

>> つづく

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