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お母さん、明日髪の毛くくってね

私の育った家庭には数え切れないほどの事情がある。今日の話はその一部分と思って読んでいただければ幸いである。

まあこれはあるあるだが私の両親はかなりの不仲だった。父はネグレクトで私と弟の育児は母のワンオペだった。

大喧嘩が起こると母は私と弟を連れて実家の熊本へ帰省した。大きな休みの日でなくても連れて行かれた。

しかし私は祖父母にあまり懐いてはいなかった。それにいつも父の悪口大会が始まり母が泣き出す。伯母とその家族もやってきて、母を可哀想にとなだめる。傾向と対策をいつまでも討論する。

もういいよ、私はどこかでそう思っていた。悪口言ってるけど、それ私の父親。悪いのは分かるけど、私の父親がやってること。

なんかいつもと同じくしんどいなあって思っていた。そしたら母がどうも関西に明日戻るというような雰囲気が漂ってきたのだ。母は経済的に自立するために仕事をしていた。

なんかまずい、まずいと思った。その時私は「お母さん!明日髪の毛くくってね!ゴムもピン止めも用意してあるからね!」と大声をあげた。いなくなると思って、できる限り母を引き留めようとした。

しかしムダだった。次の日起きてみると母の姿はなく、祖母が代わりに私のそばにいた。「ましゃこちゃん、しっかりせんね!お母さんもつらいとよ。わかってあげんね!」と祖母は静かに言った。

こんなつらいこと、あっていいのかな。お母さんにはあまり甘えちゃいけないんだな。心配をかけちゃいけないんだ。寂しいって言っちゃいけないんだ。

このことがあって以来私は母に何も心配をかけず、いじめられた時も黙っていじめに耐えていた。(耐えられず不登校になったりしたけれど)母親に心配かけないどころか、喜ばせてあげようと必死だった。

でもますますこれではなんの解決にもならなかったのだ。どこかしらほぐれた糸を解いてあげないといけなかった。それが出来ないまま、私は大人に(身体的年齢として)なってしまった。

成人してからそのツケがどんどん回ってきた感じだ。どんどん私は問題を起こし、病気を発症して行った。小さい頃に大人がもっと後始末をしておいてくれても良かったのではないか。少しでも解決しておいてくれても良かったのではないか。

もちろんそれは私のわがままだったのかもしれない。弟は今何の問題もなく、社会人として働き一家の父親でもあるからである。この差は何なんだろうか。

だけど少なからず私の頭の中にはまだこの事件はハッキリと記憶されている。


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