悲劇のヒロインになるつもりはない
過去の自分のSNSの投稿をみていると、当時自分が何を考えていたのかが見えて結構面白かったりする。
その中にこのような投稿があった
I declare to stop complaining.
time is money. while I'm complaining, everyone step forward to their dream or future they want. I cannot fall. I must keep up with it. I have no time to worry...
多分、大学のEssayとかクイズとかに追い込まれていた時期だと思うのだけど笑笑
でも、わたし結構ずっとこれ言っているなーと思ったので改めて自分の人生哲学、「悲劇のヒロインになるつもりはない」について言語化してみようかなと思って書いてみる。
ただ、徒然なるままに書いているので文章に纏まりないことはご容赦いただきたい。言語化する練習だから許して。
悲劇のヒロインは注目を集めたいだけ
基本的なわたしのスタンスとして
「愚痴や文句は言ってもいいけど、止める言い訳はしない」
というのがある
わたしも人間なので不満がたまったら口にせずにはいられない。
黙って何食わぬ顔で淡々とやるべきことできる人間になりたかったけど生憎わたしはスーパーハイパーエモーショナルな人間だ。しかも喜怒哀楽を思いっきり表現しているほうが生きてる実感得られるよね、と自分を肯定しているからしょうがない。
たくさん言うよ、文句とか愚痴とか。
でも、愚痴を言う時に気をつけているのは悲劇のヒロインにならないこと。
悲劇のヒロインというのはメタファーみたいなもので、「可哀想なわたし」に酔っている状態のことを指しているわけなんだけど、そういう時って自ら「可哀想な状態」に甘んじていることが多い。
つまり、めんどくさい「かまってちゃん」になっていることが多い。
わたし、こんなに頑張ってるのに、こんなに努力しているのに、全然できなくて辛いの、ぱおん、みたいな。
別にそれが悪いというわけではなく、わたしがあまりそういう自分がすきじゃないというだけ。
そう言う自分って、率直に言うと注目を集めることで、顕示欲を満たして問題から目を背けているように感じる。
何になりたいかではなくどうありたいか、というところが自分の価値観というか人生哲学になっていると思っている。
わたしはめっちゃダサくてもいいから死に物狂いで頑張って悔し涙流しながら、鼻水すすりながら過呼吸になりながら走り続ける自分でいたい。
なんでかと言うと、一人間として人生を思いっきり駆け抜けたいから。
昔は天才になりたかった
昔は、余裕かまして90点とれる人が羨ましかった。
わたし、努力なんてしなくてもできるの、天才だから。ふふん。みたいな。
でも、もし、この世の中に天才がいるとすれば、自分はまじで凡人だと突きつけられる経験をたくさんしてきた。
小学校一年生から高校三年生まで毎年欠かすことなくリレーの選手だったけど結局世界一になることはなかった。
学級委員や生徒会になることはあったけど政治家になることはなかった(わかんない、これからなるかも。)
美術の時間に作った作品が1000人のうちの3人に選ばれたことはあるけれど、ついに展示会で一番になることはなかった
部活の区大会で練習期間1ヶ月の種目で、二位になったことはあるけれど一位には大差をつけられた。
税の作文を提出日前日徹夜で書いて区長賞を取ることはできたけれど全国の中学生代表に選ばれることはなかった。
市で二番目に賢い高校に入ることはできたけれど、開成高校に入学することはなかった(そりゃそうだ。たとえ頭良かったとしても無理だ、女の子だもん。)
部内でほぼビリの状態から、一年かけて48人中3位まで上り詰めたことはあるけれど、ついに一番になることはなかった。
一日18時間勉強したけどついに慶應大学に受かることはなかった。
アメリカの大学に入学して、毎日朝から夜まで勉強したけれど、ついに英語がネイティブレベルになることはなかった。
一流企業に就職したけれど、一年目はなんの結果も残すことなく過ぎ去った。
今振り返ってもめちゃめちゃ悔しい。全部全部一番になりたかったし、ものにはよるがそれなりの時間と労力をかけて努力してきたつもり。それが実らなかったことがとても口惜しい。
でも不思議と、わたしは今日地球が滅亡するとしても後悔ないかなと思う。(但し、地球滅亡に限る。間違っても誰かの不注意や気分によって殺されたら流石にキレる。)
なんでかと考えると、わたしなりに努力してきたと自信を持って言えるから。
常に全力だったかと言われると、それは違うけれど、死ぬ一歩手前まで努力したこともあるし、もう頑張れない無気力な中一生懸命止まらないように進んできたこともある。
時々、そんな頑張っているエピソードを女子会や異業種交流会、お食事会、もしくはたまたま隣同士になった人たちと話すと、自分も頑張れそうって言ってくれる人たちがいる。
影響力は小さいけれども、努力している姿って誰かの行動を変えたり気分を前向きにする力があるエピソードを持っている自分、いいな、って思えるんだよね。
今は人間らしく、もっと言うならMewらしく生きたい
マシーンラーニングとかAIとかの登場で、人間の仕事とは、みたいな問いがある。
ありきたりかもしれないけれど、わたしが思うに、人間にしかできないことって、人の心を動かせるエピソードを持っていることなのかなあ、と思う。
だからきっと、映画やドラマや本は形を変えながらもきっと歴史として、芸能として、これからも続いていくんだと思う。
わたしが、今歴史に小さな波紋を起こすことができるんだとすれば、頑張っている姿を見せることなんじゃないかなと思う。
自分で頑張っている以上に頑張っているように外からは見えるらしいということにこの数年気づいてきた。
きっとそれはわたしの強みや個性だと思う。
わたしはそれを使って、ダサい姿を晒しながら人を感動させる人生にしたいなと思うから、これからもどんなにボロボロになっても悲劇のヒロインになるつもりはない。
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