目的に高さはいらニャい。
3人のレンガ職人のお話はご存知でしょうか。
ドラッカーの本で見た記憶があります。
こちらの話の解釈もだんだんと変わってきたように感じます。
1人目のレンガ職人は、目的はありません。
2人目のレンガ職人は、お金をかせぐため。
3人目のレンガ職人は、世の中に貢献するため。
以前の私は、同じ仕事であっても、高い目的意識を持つことが重要だと学びました。
だからといって、、、
しかし、3人目のレンガ職人こそがあるべき姿だ。
と言われると今の私は首を傾げます。
仕事に比重を置かない人間も存在するからです。
今の私は2人目のレンガ職人であっても目的意識がある時点で十分だと思うのです。
何を成すかではなく、目的があるかどうか、だけで十分だと考えるようになったのです。
ペクセヒさんの本『死にたいけどトッポッキは食べたい』が売れる時代です。
みんなから憧れられる、みんなに自慢できる、そんな立派な高い目標ばかり掲げることが良しとされてきた。
高い目標を持つと褒め称えられて、低い目標を持つと蔑まれる。口だけ目標が増えに増え続けた。
だからもう目標の背比べに疲れたんだと思います。
そもそもなぜ高い目標を持てと言うのか。
それは自分が高い目標を遂げたと言いたいだけの承認欲求ではないのか?と最近疑っている。
考えてみれば、彼らも人の子だ。
周りの反発や批判をのり超えて成功したのだから、『ほらみろ、俺は正しかった!』と声高に言いたくなるのもわかる。
俺は正しかった!を言えない代わりに、高い目標を持つべきだと言っているのではなかろうか。
自分でもひねくれた考えだと思っている。
反対の立ち位置から見たくなる性分なので許して欲しい。
どちらがいい人生か?なんてわかるはずもない。
まだ人生の途中だし、
人生は一度しかなく、
二つの人生を同時に試すことは不可能なのだから。
だから目的意識の高さは重要ではないのだ。
トッポッキ食べたい。
アニメをみたい。
ゲームしたい。
ケーキを食べたい。
ネコと一緒にいたい。
それで明日も生きれるなら、十分な目的じゃないかと思える。
子供のころは、それだけで明日が待ち遠しかったはずた。周りに合わせた目標より、ずっとあなたらしいじゃないか。
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