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夜は私を許してくれた

夜に暮らしたい。夜の方がいい。夜が私らしい。
誰にも会わなくていい、誰にも会わないように。

うつの時、一番ハードルが高いことは何か?ゴミ捨てだ。
家の中にどうしたって発生するゴミ。それを外に捨てに行くこと。
しんどい、動けないと思う時はお風呂に入れない日もざらにある。そうすると外に出る姿ですらなかったりする。最長で、三週間ごみ出し出来なかった。だから捨てられた時の達成感は大きい。これまで暮らしてきた家は、ゴミ収集場所にネットがあるだけだったため、朝早く出す選択肢しかなくて苦労していた。夜にゴミ出しをしてはいけないのはわかっているが、蓋付きのボックスに入れるので、誰もいないだろう時間にそーっと出しに行く。
(一応ゴミ収集日の8時までに出すように、との文言しか規則にない。)

大抵それを今できる、と思えるのが夜なのだ。
外出帰りだろうが、在宅だろうが。私は日中を過ごすのが本当に苦手だ。
夜になってやっと家事や自分のことに集中できる。それ以外の時間、本当にどうしていいかわからないことが多い。

最近は0時前には布団に入り、7時までには一度目が覚める。うまくいけばそのまま朝食まで済ませられるようになった。そこから一気に家事を済ませることもできる日もある。

その後、自分の時間があるにも関わらず呆然としてしまう。
仕事があれば仕事をすればいいのだろうか。それで大丈夫なのだろうか。(現状は仕事するまでの回復はできていない)

これまでも今も、夜の方がずっと自分の感覚が研ぎ澄まされている。
どんな一日を過ごしていようが、夜の自分の方が圧倒的に好きだ。私は夜の自分でいる時間をもっと過ごしたい。

でも社会はそう動いていないし、うつの改善のためにも規則正しい生活(早寝早起き)を求められる。難しい。ある意味時間をずらして規則正しくあるのはだめなのだろうか。この研ぎ澄まされた時間が、私の一人時間として良い事なのか。この時間を仕事にあてた場合、バランスが崩れる恐れは?

いや…仕事になったら求められるものに応えるために必要な時間は日中でも十分に割くだろう。夜とかも関係なくなるかもしれない。

そんな風に思える仕事を果たしてまた出来るだろうか。

この前ふと思った。フリーランスのお手伝いができるフリーランスになれないだろうか。フリーランスの人が面倒に思う雑務を引き受けられたりしないだろうか、しかもリモートで。

これは20代からの経験でもあるが、外出の予定を入れることに、とても神経をすり減らしてしまう。
自分で買い物に行くことすら、覚悟がいる。自分がそこに行くシミュレーションを何度もする。移動手段、距離、目的を達成するために必要なこと…。今一番苦手なのは予約だ。美容院にも行けていないし、マイナンバーカードも受け取れていないし、車の半年点検の予約も入れられてない。その日の自分が大丈夫(元気とか)でいられるようになんとかしなければと、変な気合と緊張を抱いてしまう。その日が来るまで、なんとなくそわそわする日を過ごすことになる。

どこにいても自分の居場所ではない気がしてしまう。
地元も、暮らしてきた街も、自分がここにいていいのかと問いてしまう。
一時期はせっかく出かけたのに、ここにいるべきではないと逃げるように帰っていた時期もあった。

そんな私の外出のお守りは、ヘッドホン(今はAirPods)で音楽を聞くことだ。安全な場所だと判断した場所では人におすすめできない音量で音楽を聞きながら歩く。視界は社会の中にいても、私の聴覚によって外部を遮断できる。必要な人とだけきちんと会話できればいい。丁寧に、相手に委ねるように。

楽しい予定でも、仕事の予定でも、今はどちらにしても緊張するだろう。
外の自分に疲れてしまうのだから。慣れていけばいいという問題でもない。

今回のうつは、単に疲れただけじゃない気がしているのだ。私自身の変化を求められている。これまでやってこれた、という例はもう通用しない。
もっと自分の心地の良さを重視して生き方を変えないと、私は本当に消えてしまうかもしれない。

難しい。難しいけど整理していくしかない。何度も言い聞かせて、また組み立てるところから始めなければ。

これもまた、覚悟が必要で。
なんて不器用な私。

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