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働くあの人たちと、私と。

運転していたとき、車窓から見える人達が目に入った。
大きな重機の上に乗り、何か部品を手に取ってはめ込む男性。使い古された作業着と、ヘルメット。
大通りを歩く、制服姿の男性2人。1人は40代、もう1人は20代ほどだろうか。どこからの帰りなのか、手ぶらで談笑をしながら横断歩道へ向かって行った。

近くのデパートのエスカレーターで、先に降りた女性が迷うことなく雑貨屋に入っていくのを見た。上下黒の動きやすい格好で、首元には白シャツの襟が見える。リュックで、黒いぺたんこの歩きやすそうな靴。慣れた様子で店全体を視界に入れて、細々した箇所へ歩きながら視線を散らす。そのまま店の奥まで進んで行った。ほんの30秒くらいの姿だったが、彼女はこの雑貨屋の店員なんだなと思った。

買い物のレジに並んでいて、前の人の会計が終わった時に進もうと思ったら、レジ担当の店員に「少々お待ちください」と言われた。進めようと思った足を留めて、私はレジ前に進まず待機列の先頭でじっと合図を待つ。真剣な眼差しでレジを操作し、新しいカゴを出してから「お次の方どうぞ」と案内された。私はレジ前に行き、持っていた商品をカウンターに置く。少し動きにムラがある様子から、ここで働き始めて日が浅いかもしれないと感じた。1つ1つ提示される案内に答えて、互いに確認しながら会計手順を進めていく。私は行き違いのないよう返事を絶やさず、支払いを済ませて無事に商品を受け取った。

働くことは生活費を稼ぐこと。生活費でなくとも、生きるために必要な金銭を稼ぐこと。これがまずの最低条件だ。
働き方は様々で、大きなお金を動かし得る人もいれば、時給を積み重ねて得る人もいる。各々に合った働き方で、対価を得ている。

人に頭を下げたり、上司のご機嫌をとったり、不躾な後輩を何とか指導したり、何かと業務とは別で思考を奪われることが多い労働。1人で働くにしても、人と関わらずに仕事をすることはできない。
誰かの満足のために、自分は動いているとも言える。

私は人生お休み中と言葉を言い換えて現状暮らしていて、働くこととは距離を置いているからこそ見えた景色だったような気がする。
私の目が捉えた人達のことを、少しだけ羨ましいと感じた。勝手な見え方だとしても、輝いているように見えたのだ。眩しいほどではないけれど、胸のあたりが小さく光っていた。彼らの生きて働く時間が、どんなものであるかはわからない。ただそこに自分の何かを見出してその場所にいるのだとしたら、私は確かに羨ましく思うのだ。

私は職場の匂いを感じると、違和感に似た何かが心に生まれる。ただ呼吸を数回すると、本来の自分とは別の自分が呼び覚まされるようになり、匂いが気にならなくなる。それが私の働くスイッチだろう。
それは時にやる気を、時に憂鬱さを引き出す。働くことは生きがいの1種であり、己を消費することでもある。

みんな誰かと繋がって何かを動かしている。物事を動かし、誰かに届け、その結果社会を動かしているのだろうか。働いている時、そんな大層なことをしているつもりはないけれど。でも視点を変えてみれば、きっとそういうことなんだろう。

私はまた誰かと繋がって、手を組み、物事を一緒に動かせるだろうか。笑いながら、真面目に語り合いながら。同じものを目指して歩けるだろうか。

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