「変わらない」なんて無理
あまりないことだけど、「あなたは変わったね」と言われたら、一瞬ドキッとしてしまう。
しばらく会わないうちに随分と成長したね、というプラスの意味かもしれないし、
むかしはそんなんじゃなかったのに、というマイナスのことを言われている可能性もある。
だからその次に続くことばからどっちなのかを把握するまで、おだやかではない気持ちが付きまとってしまう。
むかしのヒット曲「木綿のハンカチーフ」でうたわれているのは、
時間が経てば「都会の絵の具に染まる」ことを憂いていて、
いつまでもあの頃のままでいてほしいという願いがこめられている、
と自分は理解している。
人というのは、名声や裕福さを手に入れると、
とかく「こうべを垂れる」ような謙虚さをともなった「低い姿勢」が薄れていくように見受けられるが、
もちろんそれは、貫禄がついておとなとして成長したという要素もあるだろうし、
横柄さがあらわれて傲慢な人間になってしまうという方向性もある。
わかりやすいのは、「変わってしまった」、
つまり「しまった」が後ろについたら、
まちがいなくそれは相手ががっかりしているということである。
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天気予報なんかでよく耳にする「気温は平年並みです」ということばがあるが、
これは毎年迎えるその季節のあたたかさから、今の(これからの)気温が大きく逸脱しないほうが好ましい、
という意味を暗にあらわしているのだろう。
寒い冬はなるべく早く立ち去って、あたたかい空気がやって来るのが待ち遠しいというのが多くの人々のいだく感情だろうと思う。
だけどそれがとてつもなく大きくずれこんで、まだ卒業式の季節を迎えていないのにその数字が10度も違ってしまったら、
そんなのんきな気分どころではなく、世界規模で大変な問題となってしまうにちがいない。
無意識の中でこうあったらいいなという欲望がありながら、
基本的には今までとそんなに変わってほしくないという気持ちが、
生活空間のあちこちにあるように感じるのである。
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だけど自然現象は極端に変わらないのが好ましいのかもしれないが、
人間という次元では「変わらない」ということは無理なのではないだろうか。
たとえば、一日という短い単位で考えてみても、
昨日の午前10時32分から24時間たった今と比べたとすると、
何一つ全く同じ状態でいられるなんてとても無理だろう。
一日前に持っていた頭の中にある記憶が100%全て残っているなんて考えられない。
一日たつと、「あの芸能人が結婚した」とか「また政治家があやまっている」なんて話題が新たに入ってきたりする。
昨日の昼に食べたものはいつもと違っているなんてことは当たり前のことで、
毎日食べたモノの情報が上書きされていく。
そもそもからだの元になる細胞は毎日とてつもない数のレベルで死んでいき、
また新たに生まれるということを繰り返している。
髪の毛だってそうだ。
つまりどんなに意識をしたとしても、
自分が何一つ変わらないということを実現するのは無理だということになる。
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自分のからだの中、日常生活における身のまわり、そして地球や宇宙規模にいたるまで、
全てのものは常に「変わる」ということを繰り返している。
「変わる」ということが当たり前のことであって、
それを前提にものごとを考え変化に乗っていかなければならない。
小さな子どもが成長して、順調であればからだが大きくなり、知識が蓄えられていく。
大人になるまでならその推移は比較的わかりやすいかもしれない。
でも老けていく一方のいい大人だって常に変化をしているのである。
その変化を退化に結びつけるのではなく、ベクトルが上に向くような動きになるようにしたい、
これがいい方向へ「変わる」、つまり成長するということではないだろうか。
明日人生が終わってもいいように今日を精一杯生きること、
人生がこの先長く続くことを見据えて日々勉強をすること、
だれが残した発想か知らないが、
まったくうんちくのある言葉である。
もっと早く気づいていればよかった・・・
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