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アートの深読み 1・荻原守衛の「女」

荻原守衛「女」1910年 東京国立近代美術館
荻原守衛「女」


荻原守衛(1879-1910)のデスペア

 ロダンを象徴主義に位置づけるとすると、その影響下にあった彫刻家の立ち位置が定まってくる。日本から旅立った荻原守衛もまたそのひとりである。その存在は、みごとに日本彫刻史に輝いている。31歳で没した無念が、明治期のまだ初々しい日々の日本の将来を切望する。フランスに渡り、7・8年の滞在ののち帰国して、二年ほどの制作期間で終えてしまう短命の話である。若い才能の評価は作品数が5点もあれば十分だ。

「デスペア(絶望)」(1909)を見ると、ロダンばりの裸婦の背中がみせる表情の豊かさは、悲痛が先行しているとはいえ、日本人離れしてみえる。同じタイトルをもつクールベの自画像が目をむいて顔をさらけ出すのに対して、顔を覆い背中で悲嘆を表現している。このちがいがレアリスムとサンボリスムの差だと見ることはできるだろう。

「坑夫」(1907)の石膏像には作家の親指の形跡が生々しく残っている。それはゴッホの絵を前にして、炎と化した筆づかいに情念の息づかいを感じ取るのと似ている。身を引いて視線に力を込めるねじれのポーズは、誤って愛人を手にかけてしまった「文覚」(1908)の苦悶にも連動するが、「女」(1910)の身もだえをしてのび上がる姿へと結晶する。ロダンを前にして魂を揺さぶられた東洋の若者の情念が、そこに反映する。芸術的枯渇は守衛自身の実らない個人的恋情の裏返しでもあって、地に根ざした実感を土に植え付けることになる。

 後ろ手を縛られた日本女性が、古い因習を脱ぎ捨てて自立し、恐る恐る伸び上がろうとする時代の意志の力が、相馬黒光(1876-1955)という愛する人妻の面影を借りて結晶している。伸び上がった顔立ちは、盲目の目が光を探るときにみせる一瞬の表情に似ている。

「女」のサンボリスム

 象徴主義は最終的には「女」に行き着くが、それは日本独自の彫塑をめざすぎりぎりの選択だったかもしれない。小柄の女性である。平櫛田中の姉が弟をおんぶする「子守」(1907)を見ながら思いついたことがある。それが木彫ではなくブロンズ彫刻だったせいもあるのだろう。私ははじめ女のポーズを後ろ手を縛られた束縛と解したが、この不自然な姿勢での停止は、腰をかがめることに苦のない農耕民の土着を意味するのではないかと疑ってみた。

 長い脚で飛び跳ねるバレエダンサーとは対極にある土臭い粘りが、粘土の組成と呼応している。土をこね耕すときと、田に苗を植えるときとは、自然は異なったふたつの表情をみせる。人間のがわに立てば、自然に対しての発見と発明の区別となるが、耕作を前にした挑戦と祈りと呼び換えてもよいだろう。日本の西洋彫刻を実現したいという守衛の思いが見つけ出した形ではないだろうか。

 地面から生え出て伸び上がろうとするしぐさは、不在の重さを背に感じている。後ろに回した手がその不在の重みを支えているようだ。前に伸ばされた顔が、その重みを確かめようとして振り返っているようにもみえるとすれば、それは他ならない日本人のみせる「子守」の姿と重なってくる。西洋美術で定番の聖母子像には子を背負うかたちはない。松田道雄「育児の百科」によれば西洋には「おんぶ」という習慣はなく、「帯という重宝なもの」もなかった。この日本独特のかたちに託して、日本のロダンを模索した荻原守衛が挑戦をしかけたと解釈できないか。

不在の重み

 さらに深読みをすれば、不在の子とは何を意味するのか。母と子でいえば、ミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」(1559-)は、母が死せる我が子を後ろから抱きかかえているが、見ようによれば、子が老いた母をおぶっているようにもみえる。それは子を背負う子守唄の図像学に根ざした日本人にしか見えない情景だろう。背負うもののないはずの「女」の背に、はっきりとした重みの跡が、肉づけを通して見られるような気がする。

 モデルとなったのは守衛最愛の相馬黒光である。この年彼女は幼い息子をひとり亡くしている。夫に代わって守衛はよく子どもたちの面倒を見ていた。母の背に子がいないのは、もはやこの世にいないからだが、それはロダンの「青銅時代」が武器を手にしていないことに対応している。核となるものの不在が観者の目にゆだねられ象徴主義を加速する。

 道ならぬ恋に悩む封建と自由の狭間での、進歩的な女性のもつ前進と後退が、守衛の手を借りて、みごとに造形に象徴されて見え出してくる。彫刻家にとってそれはたくましい唯一無二のミューズだった。それはミューズであって、ファムファタールなどでは決してない。女神であるマリアであって誘惑者としてのヴィーナスではないということだ。もちろん女神も封建制度のなかでは誘惑者という役割を担わざるをえないということではある。

 子を亡くした母親のむなしくおぶってあやす不在のしぐさを、守衛は目にしていたかもしれない。守衛はそれをデッサンでも残している。そこでは気がふれたように同じゼスチャーがくりかえされる。モデルがポーズをつけてじっと動かないままいる姿勢が目に浮かんでくる。わが子の死を不義の代償と読み取れば、さらに苦悩は深まってくる。


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