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アートの深読み9・桑原甲子雄の「ワンマンバス」

「写真家がとらえた昭和のこども」と題した展覧会が全国を巡回し、写真集も出版されている。こどもを被写体にして成功した写真家は少なくないが、ここでは写真家にスポットをあてるのではなく、こどもを戦前から高度成長期までの生活風景のなかから選び出している。何気なく写したスナップショットが、時代の変遷を語っている。この展覧会に出された写真で一番古いのは昭和11年、新しいのは昭和51年だが、戦前から戦中、終戦を経て高度成長する日本経済に支えられた40年にわたる昭和史のこどもたちが登場する。

桑原甲子雄「ワンマンバス」1976

 最後の作品が桑原甲子雄の「ワンマンバス」(昭和51)[上図]で、バスの最後部に4人の男子生徒が座っている。それぞれが等間隔だけ離れて接触はない。これに対して土門拳が昭和28年に写した「おしくらまんじゅう」[下図]や「馬飛び」を並べてみると、時代の変化がくっきりと見えてくる。そこでは6人のこどもが数珠つなぎになって密着している。両者はそれぞれが時代を象徴するが、タイトルに用いられたこれらの遊戯名のなかに、すでに息づいていたものでもある。バスの後部座席を写した写真にワンマンバスというタイトルをつける必要はないが、よく見るとワンマンという文字が裏返しに読めるところを見落としてはならないだろう。そこにはひとり一人が孤立した人間関係、対話をなくした距離感が、快適に思える社会構造が横たわっている。このしらじらとした情景は映画「卒業」(昭和42)のラストシーンからはじまっていたかもしれない。おしくらまんじゅうは、今日のコロナ禍の接触を回避する社会では、死語となってしまった。実際にはコロナ騒ぎが起こる前からそれはあった。この光景を通勤や通学で見られるラッシュアワーという語であらわされる密着型の社会現象と対比させるのもいい。満員電車の車中には笑いをなくした無表情が映し出されているはずだ。昭和は64年まであったのだから、もう少し先まで、こどもの観察は必要だっただろう。

土門拳「おしくらまんじゅう」1953

 アマチュアカメラマンが日常の記録として写し出したこどもたちの情景を加えれば、さらなる多様性を引き出せるはずだ。しかしプロのカメラマンの目がとらえた構図やリズムやハーモニーは、一瞬の輝きのなかに、ユーモアを宿した落としどころを備えていて、写真鑑賞の醍醐味を味わわせてくれる。

土門拳「笑う子」1953

 土門拳が同じく昭和28年に撮った「笑う子」[上図]では歯が抜けたこどもたちが笑っているが、ひとりの男の子は前歯が2本だけ生えていて、それよりも少し年長の女の子は前歯が2本だけ抜けている。生え変わりの時期に誰もに見られるユーモラスな光景であるが、ここでは偶然とは思えないほどのリズム感をもって、対応の妙が計られている。7人いるがみんな笑っているのにひとりだけ笑っていない。木村伊兵衛が上田市で写した一枚「枯れ枝拾いのこどもたち」(昭和24)[下図]では、一人だけ靴を履いているし、おしくらまんじゅうでは一人だけ靴下を履いている。こうしたアクセントを知らずのうちに、自然の法則として私たちは心地よく感じている。以前には全員が同じ動作を繰り返すのを美とした時代があった。戦後のリベラリズムはそれらを拒否する視覚から生まれたものだ。それは多様性であり、マイノリティを同等に認めるヒューマニズムでもある。

木村伊兵衛「枯れ枝拾いのこどもたち」1949

 ここに選定されたワンパックとなった作品以外を考えることは、この企画が適格さを獲得する要件となるものだろう。もっと適切なこどもを写した昭和の名作があると、指摘したい気になり、ひとつでも二つでもあげてみるとすれば、それはこの展覧会が優れた企画と認めたからだろう。キュレーターになって続編の展覧会を構想することは可能だ。ここでは時代を昭和としたが、平成の30年間に登場したこどもを、写真を通じて社会学に持ち込むこともできるだろう。そしてそれらは写真が芸術作品として鑑賞するだけにはとどまらないメディアとしての豊かさを提供するものである。にもかかわらず、写真家の目はアートとなることで、普遍性を得て、時代を越えるものとなる。昭和という限られた時代の郷愁をかなぐり捨てて、こどもという未来への遺産として輝きを増していく。そんな心に響く写真に確かに出会うことができた。


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