見出し画像

アートの深読み7・小磯良平の「薬用植物画譜」

 小磯良平(1903-88)はだれもが好む柔和な日常の一コマを、詩情豊かに描き出した洋画家として知られている。光の処理はフェルメールを思わせるみごとな観察眼に由来したものだ[上図]。神戸市の小磯記念美術館で「秘蔵の小磯良平—武田薬品コレクションから」(2022年06月11日~09月25日)と題した展覧会が開催されている。小磯良平と武田薬品を比べた場合、どちらのほうが有名だろうか。美術を中心に考えれば主役は小磯だが、一般的には武田薬品の方が優位をしめるだろう。旧来からのパトロンとアーティストの月並みな関係と考える前に、作品に結晶する相互の緻密な知性の見えない糸を感じさせてくれる企画展だった。武田薬品コレクションが小磯の名作を数多く含んでいるということだけを伝えたのではない。今回大量に並べられた薬草の写生画を通して、画家が見出した自然の驚異に目を向けてくれたのだ。モデルを美しく描き上げるという絵画の醍醐味だけにおさまらないものが、ここでは執拗に追いかけられている。薬草は小磯と武田薬品との接点であると同時に、画家という職責が追究するもののありかをも伝えてくれる。

 薬草はながらく描き継がれてきたもので、画家の観察眼のたまものである。中国では古くから、日本では本草学の名で、江戸時代を通じて芸術よりも科学のもとで年輪を重ねてきたものだ[上図]。それらを絵として見た場合、おもしろいのは目に見えない地下の姿を描き出していることだろう。小磯も草花を丹念に写生しているが、多くは根を引き抜いたものとして描かれている。つまり自然に生えている姿ではないという点が、ここでは重要だ。画家の目は土をかぶった根のもつパワーに圧倒されていることがよくわかる。ときにそれはグロテスクなまでに膨らみを増し、幼児が残すみごとな排泄物にさえ似ている[下図]。小さな身体から出てきたものとは思えないほどに、子どものパワーのみなもとを感じさせる形なのだ。えぐり出されたという印象を与えるものであり、画家はそうした目に見えないパワーの原点を描かなければならないのだというメッセージが、そこからは聞こえてくる。美しいものでは決してないが、命を救う薬草の奇跡は、そこに源があるにちがいなく、小磯は引き抜かれた薬草を前にして、画家のめざすものを再認識したのではなかったか。

 パトロンとはいえ、ただの経済人だけではない武田薬品のトップ六代目武田長兵衛(1905-80)との知性を通じての交流の賜物だった。同世代人としてアーティストと企業人という補完の関係を超えた信頼感を、この薬草を描くという接点に認めることができる。私にとっても小磯良平という画家を誤解していたことに気づくシリーズでもあった。これまで見過ごしてしまっていたアカデミズムの巨匠を見直してみようと思った。


引用元=美術時評
https://sites.google.com/view/kambarabb/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?