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アートの深読み2・モンドリアンのコンポジション

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縁取られた地図

 ヨーロッパではいつも国境線が気になり、その不安と安定への希求が絵画に結晶する。輪郭線をなくすのは平和主義のことだが、印象派のユートピア思想が崩れ、黒い輪郭線が復活して、色面をふちどりだす。ポスト印象派の色面分割からはじまってピエト・モンドリアン(1872-1944)の抽象絵画に向かう絵画史の歩みでは、境界線を引き立たせる色ちがいの並列が、安定のかたちを見つけ出そうとしている。
 混ぜると濁るので、並べて置くことで、網膜上で混合する。これは共存をめざす政治学でもある。色彩論が国家論に反映したのが国旗だが、三色旗を通して国のアイデンティティを主張する。フランスはトリコロールに平和をたくすが、色ちがいでいえばイタリアも同じだ。オランダ国旗[下図]はそれを水平軸に取ったが、そこからは平坦なオランダ風景が見え出してくる。下から青・白・赤の配置は、海・空・太陽とみなすことも可能だ。

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 三原色の水平垂直で構成された「コンポジション」(1921-)のシリーズ[フロント図]はいかにもモンドリアンふうだが、初期の作品は自然をモチーフにした風景画だった。地面から延びる樹木を描いたものがあるが、それがじょじょに垂直に伸びる幹と水平に伸びる枝に抽象化されていく。抽象へのプロセスが手に取るようにわかる。最終的にはプラスとマイナスの記号が無数に散らばるような抽象画面[下図]に至る。0と1の二進法によって世界は成り立つのだというデジタル時代を先取りした宇宙論にまで達したようにみえる。

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 戦火を逃れアメリカに渡り、戦後の抽象絵画の全盛に寄与したひとりである。ナチス支配下のオランダの地では隠れるか逃れるかの選択を余儀なくされた。「アンネの日記」(1942-4)は隠れるを選択した当時のアムステルダムでの状況を記述している。モンドリアンは1940年にアメリカに逃れ、ニューヨークで描かれた「ブロードウェイブギウギ」(1943)[下図]は、あらたな作風を示すものだった。

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 それまでの三原色をくっきりと浮き出させるようなスタイルから、点滅型ともいえるアメリカンスタイルが期待できたが、十分に展開できずに没した。しっかりとしたエッジを残した幾何学的抽象であるが、アクションペインティングとは異なったもうひとつの抽象絵画の系譜を、アメリカで築きあげる。1937年からはじまるシカゴでのバウハウスの継続とともにモンドリアンの影響を認めることになる。
 ブロードウェイブギウギにはそれまでの縁取られた黒い輪郭線がないことに注目すると、ポスト印象派から印象派への回帰現象が読み取れ、現代美術でのモネの再評価を含んだものとみることもできる。そこにうきうきした遊戯感覚があるとすれば、それはヨーロッパから難を逃れた命拾いに由来するが、輪郭線がないからだろう。アメリカという新天地の自由主義を象徴するもので、ブロードウェイを行き来するヘッドライトやシグナルの点滅を空中からながめた印象が加速する。
 モンドリアンカラーの赤黄青はまさに交通信号にほかならない。黒い輪郭線で国境線を縁取り、交通整理をすることが重要だったのである。地平線と水平線がくっきりとした低地地方の風土を思わせるオランダ風景画からの展開を認めることができる。大小の区画に区切られたそれまでの抽象は群小の国が割拠するヨーロッパ地図のように機能する。

国境線

 モンドリアンの抽象が、地図や国旗に似ているということは、その後のネオダダでのジャスパー・ジョーンズの立場に先行していることに気づく。黒い縁取りは国境線のようでその太さは必ずしも一定ではなく変化する。赤い大地や黒い大地という。白い人や黄色い人ともいう。そこに青が加わると違和感がある。地をへだてるものは空と海だとすれば境界は黒でないほうがよかったかもしれない。ブルーの輪郭線は思いつかないが、輪郭は黒だという固定観念をはずすと絵画は自由になる。

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 西洋では気づかなかった赤い輪郭線が熊谷守一(1880-1977)[上図]に出てきたとき、西洋はそれを知っていたなら強いインパクトを与えるものとなっただろう。黒い輪郭線をはさんで土地の争奪戦のように白と黒と黄と赤の領域が増減する。ナチスの侵攻で目まぐるしく国境線が揺れ動いた時代だった。それぞれは民族の肌や髪の色を象徴するとすれば、青の領域だけは不可解に映る。深読みすれば青は悲しみのマリアの衣服の色で、ユダヤ民族のシンボルカラーではある。

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 もちろんそんな解釈は抽象絵画が内包する可能性のわずかな部分だが、それもモンドリアンの厳格なまでの規則性に由来するものだ。輪郭線にきっちりとおさまっていた色面が、フェルナン・レジェ(1881-1955)の絵画では、晩年に輪郭線を超えて色が流れ出る[上図]。色彩が枠を超えて広がる姿は、パリが開放され、フランスに自由が戻ってきた歴史と対応するようだ。それに影響されおもしろがったのは、オランダの絵本作家ディック・ブルーナ(1927-2017)だった。それはミッフィーを生み出してきた、六色に限定された厳しい枠取りのこだわりからの開放だった。
 アメリカで解放感を味わったモンドリアンから引き継いだもので、オランダの風土が感じ取った共感だっただろう。世界に輪郭線などいらないという印象派のリベラリズムは、閉鎖された西洋の分割からの開放だった。オランダ時代のモンドリアンを、印象派の否定した輪郭線の復活とみると、ゴーギャンの延長上に位置していることになる。

水平垂直へのこだわり

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 モンドリアンでは水平垂直の線が傾くことはない。これに似た抽象作品が、同じオランダのテオ・ファン・ドゥースブルフ(1883-1931)によって描かれる。「カウンターコンポジション」(1924-)[上図]の名で連作をなすが、そこでは45度の角度で対角線が登場する。モンドリアンの潔癖なまでの水平垂直へのこだわりは、神がかりなまでに徹底している。例外的にキャンバスを対角線で区切る絵が出てくるが、そこでは画面上の水平・垂直線は保ったまま、フレームのほうを傾けて展示される[下図]。四角のキャンバスがダイヤ柄にシェイプする。

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 モンドリアンのこだわりを納得するためには、それを風景画だと解釈してみることだ。モンドリアンの造形を17世紀オランダの風景画との共通項で解釈することは可能だ。それはいつの間にか地図にも似たオランダの風土にみえだしてくる。地平線が水平に引かれないと落ち着かないのは、誰にでも共通する感覚だ。床が少しでも傾いているとすぐに気が付く。航空機やジェットコースターでの不安も体験ずみだ。45度も傾けばめまいを起こす。
その後の絵画史ではシェイプドキャンバスという四角ではないフレームが出てくるが、モンドリアンのダイヤ型のタブローは、その先例とも取れる。何らかの制限がなければ抽象絵画は描けないのかもしれない。ルールを科すことによってゲームは成立する。全く自由な表現であれば、何をしていいのかがわからない人間存在の心理に立脚したものだろう。そのルールのひとつが神智学だった。モンドリアンもカンディンスキーもこれをよりどころとしている。
 ルドルフ・シュタイナー(1861-1925)の人智学が知られるが、さかのぼれば西洋世界では宇宙を原理化するピュタゴラスの数秘術(ヌメロロジー)にたどりつく。宇宙に原理を与える神秘主義を枠組みにして、芸術は足かせを得て、枠内で完結しようとして動きはじめていく。


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