香り

 目の前の自動ドアが開く。室内に充満した空気が外に出ようと押し寄せ、それと同時に鼻を衝く嫌な臭い。私はこの匂いが大っ嫌いだ。
 この病院という場所は薬品の匂いしかしない。こっちの部屋では鼻が痛くなるぐらいきつい匂い。あっちの部屋では鼻がスース―するメンソールに似た匂い。ここに居る奴はみんな鼻が馬鹿なんじゃないか?
 白い制服に身を包んだ白衣の天使という名の悪魔に招かれて、小さな一人部屋に案内された。今日から私は入院する。来週、私の手術が決定したからだ。
 案内された部屋は何もなかった、あたり一面真っ白でさっきまで匂っていた鼻を衝く嫌な臭いも無くなっていた。その日の夜、薬の投与が始まった、薬の副作用で免疫力が下がるため手術が終わり退院するまで面会謝絶と中年ぐらいの眼鏡の先生が言ってきた。
 そこから私の無味無臭の日々が始まった。
 朝決まった時間に起こされ採血をし、体温、脈を測る、白衣の天使はロボットのように毎日同じことを繰り返す。
 手術当日まで母親は来なかった、いや来られなかった、といった方が正しいのか。面会に来た母親は毎回病院側に断られていたのだ。その証拠に二日に一回くらいの頻度で着替えの服が病室に運ばれてきた。その服からは家の洗剤と柔軟剤の匂いがした。でもそれはそれでしかなかった。
 なぜなら手術当日の朝に母親とあって分かったのだ。あぁこの匂いが私の家の匂いだ。母親が吸うタバコの匂い、居間の畳の匂い、そして洗剤と柔軟剤の匂い、このすべての匂いが混ざってやっと私の家の匂いなのだ。
 約一週間ぶりに嗅いだ家の匂いに私は安心し泣き出してしまった。手術が終わり麻酔から目が覚めても傍らからいつもの匂いがして、とても安心したのを覚えている。

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