たっきーの自伝 16

社会人として

学校に行かなくてもよくなった4月。途端にバイトだけをしていることが不安になっていった。就活はしていたが、結果がまだどこも出ていなかった。
営業職に絞って就活をしていたのはいくつか理由があった。一つは絶対にやりたくない仕事だった。コミュニケーションが苦手だったし、里父を見ていても自分がやりたい仕事ではないと感じていた。だからこそ、もうこの先やらなくてもいいように最初に営業をやろうと思った。二つ目は特に特殊な資格や技能が必要ないところが殆どだった。大学に4年間通ってはいたが、何も身についていなかったので出来る職種は限られていた。3つ目は30歳ぐらいまでにいろいろな経験をしておきたい。色んな業種を知りたいと思っていた。だから逆に言えば一生の会社を見つけようとは全く思っていなかった。

なんとなくビルメンの仕事もしながら就活していた。そんな中、ゴールデンウィークも過ぎたある日、里親宅に採用の電話があったらしい。なぜか採用通知の電話は里親宅の固定電話に来た。その日のうちにいつから働けるかの連絡を入れて、6月から働くことになった。条件などもほとんど確認しないまま、正社員になれるという事だけで就職が決まった。


初めて勤めた会社は、夜の仕事特に性風俗店をメインの顧客とした広告媒体を扱う代理店だった。自社で自前のサイトも運営しているらしかった。
緊張して向かった初出社。会社は御徒町にあった。
出社して一通り会社の説明、業務の説明、仕事の流れを聞いた。
ロールプレイングを見せてもらった、仮想の商談の事で、毎朝やっているらしかった。かなり難しいことをやっているように感じた。会社内の雰囲気はそこまで悪くないように感じたが、社長がどんな方なのか人間性がよくわからなかった。
正直に言ってこの仕事をやっていけるとはとても思えなかった。1週間ほどは日に日に仕事に行くことががいやになっていってしまった。

テレアポの文章を自分で考え読み上げていったが、全然アポイントが取れなかった。
先輩や上司にアドバイスをされるのだが、全然言葉が出てこなかった。
社長が就業後に飲みに連れて行ってくれるとのことで、ご一緒した。気さくで屈託のない方だったが、営業のうまいやり方を教えるのは難しいと言っていた。自分なりのやり方を最終的には見つけてほしいと。ただ当時の私には意味が分からなかった。
とても強く言われたのは社会人としてのマナーの徹底。夜の仕事をしている人がお客さんだからこそ、極力スキは見せず、どこまでもまじめに接しろ。とのことだった。仕事は難しいので焦る必要はないと教えてくれた夜だった。
同時期に入社した同期が2人いた。3人はそれぞれ全く違う性格、性質を持っているように感じていたが、仕事はそれぞれにまじめにやっていた。
彼らは私の一つ上の年だったが、そんなことは関係なく私は仕事がとにかくできなかった。アポイントも取れない、客とうまく話ができない。忘れ物も多い。
そんな私を見かねて、新規開拓の営業もしつつ、社長の補佐をするようになった。社長も現役の営業だったので、社長のお客さんとのやり取りや、集金などを代行するようになった。

テレアポ・飛び込み営業、メールセールスとにかくきっかけを何とか作ろう作ろうと思っていた。プライベートもほとんど友人などとは遊んでいなかったので、周りの状況がわからなかった。月曜ー土曜で会社で22時過ぎまで働き、日曜日は当事者活動をしていた。
この会社は、国民健康保険で国民年金、住民税は自分で払っていた。今考えればおよそ正社員と呼べるものではない。だが当時の私は何も知らない無知な若者だった。

そんな中付き合いをしていた女性と同棲するという感じに話が進んでいった。
仕事はしていたが、まだ大学生だったので大学の近くがいいとのことで、彼女の大学近郊に住むことになった。家賃は12万だった。周りの人たちに12万の家賃は絶対に高すぎるとかなり止められたが、押し切って同棲生活をスタートさせた。

彼女は起伏がとにかく激しかった。落ち込んでいるときが多いようにも感じた。仕事が忙しかったが、できる限り力になろうとはしていた。家事のほとんどをこなしながら、生活していた。ただすぐに改善するという事はなかったように思う。

仕事もうまくいかないし、正直同棲生活も全然うまくいっていなかった。そんな中で家と仕事と当事者活動以外の人間と疎遠になっていってしまっていた。
すぐにでも誰かに相談した方が良い事は沢山あったと思う。ただ、誰にも何も相談したりすることはなかった。対外的には上手くやっているという風を装っていた。



この少し前に彼女の大学の先輩に『新世紀エヴァンゲリオン』を借りたというか貰って全部一気に見た。意味が分からないにも関わらずすごく面白く感じた。それまでアニメをほとんど見てきていなかったので、他にどんなアニメがあるかと色々見るようになっていった。
見聞が広くなっていくうちに元々音楽は好きだったが、HipHopばかり偏食的に聞いていたので広がらなかったジャンルがアニソンを通じて色んな曲を聴くようになっていった。


2010年の年が明け、私は23歳になっていた。
いよいよ地獄が始まろうとしていた。

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