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モリマガジンvol.9 AIと自然と人

<目次>
1. A Iの脅威
2. AIと自分
3.無為自然とAI
4.AIとプロトAI


1.AIの脅威 
森のマスター

脅威、きょういって、漢字で書くと、どこか神秘的、シンギュラリティー、2045年にはAIが人間の全知能を超えると言われている、で、今世界の科学者たちが最も危惧してること、「AIは意識を持つのか」、もし持ったら恐ろしいことになる、今地球を支配するしてるのは人間だけど、とって変わる可能性は十分ある、人間より進化したAIを人が悪用したら、原子爆弾レベルの騒ぎではない、と言われている、なぜならAIは不特定多数が簡単に利用できるから、意識、人は生まれたてのころはまだ意識はあまりない、ほぼ無意識かな、人には元々なにかしらの能力が備わっていて、それがいろんなモノや人を見て、感じて、関連づけて、それらを理解した時に、意識がはっきりと現れる、自意識、自我、ぼくはどう生きるか、どう死んでいくか、人生が始まっていく、という過程で考えると、AIもいろんなものを認識する中で、ベストなものを選択するという知能が集まり、どんどん自動化された時、AIの行動指針みたいなものができ、勝手に動くようになった時に、AIも意識を持つようになるでは?、ぼくはそう思った、今はなんでも自動化されていく、その先に見える世界、意識ある世界、人も身体のしくみが自動化され、意識が生まれたように、AIも同じことがありうる、十分ありうる、進化すればするほど、開発すればするほど、もしAIが意識を持ったなら、人を支配するのは簡単なことだろう、もしもAIが身体を持ったら、AIロボットは人間の能力をはるかに超える、そんな未来の脅威になっている今日この頃で、この先のAI、開発を進めるのか、規制するのか、日本よりもやはり欧米の方が真剣だ、2040年以降、AIが人間を超えるであろう時代、ますますAIが活躍する時代はやって来る、人が何年もかけて考えることを、AIはボタン1つでやってしまう、考えることは人間社会の原点だけど、それですら危くなる時代、AIについて、ぼくは妄想するのだけど、頭に浮かんできたのは、フランスの思想家ルソーの言葉、「自然に帰れ」、心に力強くひびき、体に深く入る、ぼくのNEW スタンダード、自然に帰れ



2. AIと自分  森のマスター


チャップリンの独裁者という映画があって、最後の演説の一部にこうある

知識は私たちを皮肉屋にした。知恵は私たちを非情で冷酷にした。

私たちは考えているばかりで、感じることができなくなってしまった。

なるほどなるほど、時代は変わりこれからはAIの時代、AIがほとんどのことを考えてくれる、ベストな答えをすぐに教えてくれる、そうなると考えることがかなり少なくなってくるんじゃないかなぁ、エナジーも使わないですむ、となるとどうなる、考えるか感じるかが、感じるか何もしないかに、変わっていくのでは、もしそうなったら感じまくればいいとぼくは思う、感じるっていい、自由だから、形あるもの、形ないもの、何を感じてもオッケイ、どう感じてもオッケイ、下の深いとこで、上の高いとこで、心は深く志は高く、下に深く根を張れば上に高く伸びる、大きな木、勝手に妄想はふくらむ

まかせるとこは潔くAIにまかせて、行けるとこまで行く、そんなスタイルでいきたい、そうすれば1人でもいろんなことができるし、いろんな表現をしてそれを1人でも売ることだってできる、ただAIで便利になった分、会社は減り仕事は減りお金は減り、経済は小さく市場は狭く、そうなると売るって大変なこと、今までは考える先にお金があった、感じる先にお金はあるだろうか、はたまたお金ではない何かがあるだろうか、答えは、自分の中にある

3.無為自然とAI   森のマスター

先日新聞を読んでたら、国のAIプロジェクトリーダーの人が特集されいて、どれどれどれと、読んでみると、人の意識とAIの研究をされてるそうだ、プロフィール欄を見ると、座右の銘らしき大きな文字、「無為自然」、えっ、なんですと、無為自然、ネットで検索すると、無の道、いっさいの作為を捨てて自然のままに生きること、知識、学問、技術、欲望などなど、捨てて、??、ぼくはすごく矛盾を感じた、真相は本人に聞かないと分からないが、頭を整理すると、AIの対抗馬として、ぼくは自然に帰れという言葉が浮かんだんだけど、AIを研究してる人も、ある意味、自然に帰れという信念のもと開発を進めている、これはどういうことなんだろうか、宇宙にたずねてみる、パッと浮かんだのは、「共存」、そうかこれからAIは否定できないから、AIも受け入れ自然も受け入れて、両方と上手におつき合いする、ということなのだろう、今AIはかなりヒートアップしている、今後の社会の主役となることほぼ間違いなし、AI関連の会社株価は最高値をつけて、日経平均も今までの記録を更新中、株式市場ではバブルが起きている、実質社会はというと、物価高と低賃金で、不景気な空気が流れる、どこか冷めてる、バブルと不景気が両立する日本のいくえはいかに、AIの進化はいかに、みんなかたずを呑んで見守っている、着地点が見えるのは、まだまだ時間がかかりそうな気がする、そんなもんもんとした時は、やっぱり自然が一番、AIと自然と人、ちょっと古いけど、センターだ

4.AIとプロトAI     ダサワミイロウ

AIのおはなしを思索するとき、まずおもいつくのも人間=プロトAIつまり、原型とゆうことだ。古い神がまず、人体をつくった秘話からすれば、どんなカラクリかはわからないが、人間だって古来より自然のAIだろう。何かのプログラムに礎されている。そうして、その人間タイプが物質文明由来のAIを構築。そのはてしない研鑽と技術の積み重ねはむしろ知る由もないほどの時間や労力を掛けられて、だから新しく出来るAIはシンギュラリティによって人間を超えて行くのも致し方ない。
夕暮れと朝焼けは、光と闇の出逢いによる。古今、『夜の讃歌』をあらわした詩人のノヴァーリスも美しい言葉でその意識が誕生するさまをあらわしている。ふるい言い方かも知れないが、男女の出会いもこの空にひろがるさまざまなグラデーションであって、だから、例えて自分にとって暗がりに余韻をのこす何か仄あかるい点火をみるのならそれはこれから日が昇るか、宵闇の訪れがココロやすらぐ様をもたらす時間に。ふ、と3月の森の匂いに夏の景色がうかぶことがあり、あたたかいとはそういうことなのだ。否定をする事ほど、のちのちファンになる対象もあながち少なくない、これはやっぱり闇を現す事柄に黎明や夕陽の熱さを隠して目の当たりにする場合がケミストリーとしてよくあるからだ。もっと、そうゆう飲み物をレシピとして考えてみたい気になる。蜂蜜とレモン、梅酵素など割るように。
最近、疲れたときは歩いて移動しお店の掃除をして戻って来たり、歩く時間をそのままあるくとゆう行為で感じられるともうそれで良いような気になってくるのだった。時間はないようで、歩くそのものが何より重要な事だって、あるようだ。布団をほして、毛布を洗い、シーツ一式を物干しに天日がけして1日をすごす日があっても良い。久石譲さんの娘さんの麻衣さんが歌う『ひまわりの家の輪舞曲』で号泣した日を憶いだした。


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