水澤元博

己を律するために、不動の心と不変の志をもって日々の出来事を記録致します。 信を万事の本…

水澤元博

己を律するために、不動の心と不変の志をもって日々の出来事を記録致します。 信を万事の本と為す ~信用があらゆる物事の根本である~

マガジン

  • 父の人生を変えた『一日』

    父は茨城県守谷市の片田舎生まれ。旧姓は鈴木。母と結婚するに際して、養子縁組して、水澤という姓になりました。2016年、4月2日に父は亡くなりましたが、生前、ライオンニュースという形で水澤電機株式会社の代表取締役として、関係ある方々へ考えや想いを発信させて頂いておりました。生前、『教育』にとことんこだわり、老後は『鬼塾』という塾を開設して若者に教育という形で貢献したいと夢を描いておりました。 何とか父の夢を少しでも継承できないかと考え、この度、父が残してくれました、父にとって『人生を変えた一日』を私自身の解釈も含めながら書かせて頂きたいと思います。 父は波乱万丈な人生でしたが、絶対に後ろ向きに物事を考えませんでした。 『人生を変えた一日』をたくさん経験して、さらには、その『一日』をライオンニュースという形で振り返ることで自信の律していたのではないかと勝手に考えております。

最近の記事

父の人生を変えた『一日』その100 ~夢と希望~

その100 ~夢と希望~  人生は環境によって非常に変わるものである。新幹線のように高速人生もあれば鈍行列車のようなゆっくりした人生もある。茨城生まれの田舎の少年は母親の教えで鈍行列車に乗る予定であった。『―人生を変えたあの1日』が無かったら鈍行列車に間違いなく乗っていたのである。 海外研修旅行もキャンセルしなかったら今頃、黒煙の中に収まっていたのである。 『人生を変えた1日』を紹介することによって若い人たちにすこしでも「夢と希望」を与えられればと思って書き続けてきた。その結

    • 父の人生を変えた『一日』その99 ~シャミー~

      その99 ~シャミー~  アメリカに駐在して家を借りた。シアトルの隣町、ベルビューのベルビューコミュニティーカレッジの裏側であった。先輩が借りていた家を引き継いで借りてほしいと大家さんは言ってきた。日本人はきちんと支払いもしっかりしいるしそうして欲しいと言った。そのまま借りることにした。契約書をよんでみた。中にNo pet allowedと書いてあった。つまりペット、犬などは飼ってはならないと言う事である。3歳の娘はクリスマスが近づくとサンタさんに子犬が贈り物で来るようにとお

      • 父の人生を変えた『一日』その98 ~死ぬまで勉強~

        その98 ~死ぬまで勉強~  3枚分の黒板は英語の単語でびっしり一杯になった。田舎の少年はフッと息をもらした。今日も又、かなりの英語の単語を覚えたと。 齋藤誠三郎先生は普通の英語の先生とは異なった勉強方法もした。たとえばmonoモノがでるとモノは一つを意味し、monorailは一つのレールでモノレールになりmonotoneは一つの音で単調の意味になりmonopolyは独占でというようにmonoから始まって単語が派生して類型付けしてでてくるのである。  齋藤先生は更に自分の周り

        • 父の人生を変えた『一日』その97 ~長老~

          その97 ~長老~  電気業界に入って早20年になる。20年前当時を思い出してみた。もちろん親父さんも元気であった。ある長岡の電気工事組合の会合に出席した。30分前に会場に着いて、長岡新参者だったので末席に着座した。ある人が遅れてきた。真ん中の席が一か所空いていた。そこに遅れてきた人が着座した。その正面に長岡電気工事組合の長老が座っていた。 「お前そこに座るには10年早い」と一括した。 若い人は驚いてどうしようかうろうろしていた。そこしか座る場所が無かったのだ。私は直感的にこ

        父の人生を変えた『一日』その100 ~夢と希望~

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        • 父の人生を変えた『一日』
          101本

        記事

          父の人生を変えた『一日』その96 ~生き字引~

          その96 ~生き字引~  高校なり大学を経て当社に入社する。そうすると必ずある部門に配属される。社会人はそこから会社人生の第一歩が始まる。私は学歴偏重者ではないが、今までの経験からすると高学歴の人の方が社会順応に早いような気がする。まず、管理職になるまではその与えられた任務の中で実力を出して行かねばならない。管理職になったらその時点で今後の会社人生を考えるべきである。重役・取締役になって会社運営にあたるか、あるいは技術・経理マンとしてそのまま務めるかである。 以前に私が長岡に

          父の人生を変えた『一日』その96 ~生き字引~

          父の人生を変えた『一日』その95 ~工事を恐れろ~

          その95 ~工事を恐れろ~  某スーパーゼネコンは事故を起こすとイエローカードがでる。経営者は安全講習が義務付けされて安全教育の缶詰教育を強いられる。2回事故を起こすとレッドカードで出入り禁止となる。 同業者の事故情報は随時当社に共有される。ある事故は、小さな結線間違いの事故だったがお客さまからはかなりの苦情がきたという。そして、別の例でも、現場で古い木柱を新しいコンクリート柱に変える仕事中に事故が起きた。道が狭く作業者が入れなかった。そのために職長は自ら木柱によじ登っていっ

          父の人生を変えた『一日』その95 ~工事を恐れろ~

          父の人生を変えた『一日』その94 ~セカンドネーム~

          その94 ~セカンドネーム~  アメリカに駐在する日本人の総合商社マンは必ずセンカンドネームを持つ。なぜかというと例えば、森田幸夫さんの幸夫が英語で言いにくいからなのです。幸夫は英語で言うと幸いな夫だからニックネームセカンドネームはLucky幸運ラッキーとなって公式名刺にもYUKIO Lucky MORITAと書かれるのである。 先輩の安川さんは恒(つね)勝(かつ)だったので恒に勝つから勝利のVICTORYでビック安川となるのである。背丈が小さい小林先輩が駐在できた。本当に小

          父の人生を変えた『一日』その94 ~セカンドネーム~

          父の人生を変えた『一日』その93 ~365日24時間対応~

          その93 ~365日24時間対応~  電気関係の仕事は24時間絶えず仕事の時間と思わなければならない。だから社長と専務の携帯は真夜中でも何時でも出られるようになっている。雷が落ちた漏電した電気がつかない色々と時間に限らず事故は発生するのである。3年前、盆休みの最中に町中のホテルの前の分電盤の蓋が吹っ飛んだという。緊急出動である。テニスをしていた格好でそのまま陣頭指揮を取った。中にある太い電線に傷がありそれが長年にわたって腐食してショートして断線・停電になった。  そして東北電

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          父の人生を変えた『一日』その92 ~物件に秘められたドラマ~

          その92 ~物件に秘められたドラマ~  長岡には法務省直轄のいわゆる「少年学院」が悠久山に近くにある。相撲の千代大海も横山やすしの息子も入ったという。大関千代大海は昔若い時に暴走族であり突っ走りながら血気盛であったいう。この少年院の所長に挨拶に行った。所長曰くこの少年院の街頭は当社創業者が全て寄付したのだという。私は驚きと共にまた、親父さんを惚れ直した。さすがに親父さんは社会貢献をしながら人生を全うされたとつくづく思った。 若い時に色々な事件に巻き込まれまた、喧嘩の勢いで人生

          父の人生を変えた『一日』その92 ~物件に秘められたドラマ~

          父の人生を変えた『一日』その91 ~信念を貫きとおす~

          その91 ~信念を貫きとおす~  新潟の某電気工事会社の社長がライオンに因縁をつけて喧嘩をふっかけてきた。良い度胸しているなと思った。色々な機会で発言の多くなったライオンの台頭をきにしていたある社長であった。ライオン、森の石松は喧嘩は必ず買うことにしている。 この社長は何時も威張りまくり新潟の電気工事会社の社長達は恐れていた。兄が市会議員しているとも言っていた。「人間平等である」とライオンは考えた。その社長の嫌がることを、ずけずけと面向がってライオンは言った。どんなバックがあ

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          父の人生を変えた『一日』その90 ~生き残りの時代突入~

          その90 ~生き残りの時代突入~  新潟県の電気業者は父ちゃん、母ちゃん2人でやっている会社までいれると約1000社もある。田中角栄元総理大臣の国、建設王国とまで言われた新潟県は、建設業関係企業の数が非常に多いのである。社団法人電設業協会はだいたいAランクの業者が100社くらいでなっており工事組合は父ちゃん、母ちゃんくらいの小規模会社も多く900社くらいの数で非常に多い。電気業界も非常に数が多いのである。業績が悪くなってきて毎年、廃業が続出し始めている。全国的にも電気工事業者

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          父の人生を変えた『一日』その89 ~親父。。。ディナーショー~

          その89 ~親父。。。ディナーショー~  素人がディナーショーをやる。前代未聞のことであった。3年半前ニューオオタニ吉崎総支配人に言った。ホテルの暇な日あるか?私がディナーショーをやりたい。全て個人の金でやりたい。約50名を呼んで『人生を語り人生を唄う』の題名でやりたい。 「えええ、本当ですか?」 「問題あるか?」 「1万円のフルコースのフランス料理をだしてもらいたい」 「そこに焼き鳥、おでんを加えて頂きたい」 「?????」  ライオンは麻雀で勝ち続けていた。麻雀友達への一

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          父の人生を変えた『一日』その88 ~情熱と覚悟~

          その88 ~情熱と覚悟~  建設業特有な商売形態が存続していた。いわゆる『随意契約』であった。ある現場の電気工事をA社が行った。そこに増築の工事が発生した。その工事の図面はA社が書いて工事が行われ配線から図面から熟知していた。増築時に別の工事会社が入ると最初から図面・配線・調査から始まり色々とコストがかかるという。その意味で随意契約は既存の会社が行うのが通例であった。しかしそれは『談合』の温床と見られることがあった。その対策が検討された。そのうちに談合で捕まった人に聞くのが一

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          父の人生を変えた『一日』その87 ~長岡財界デビュー~

          その87 ~長岡財界デビュー~  長岡に着任して右も左も分からなかった。創業者の親父さんが色々と気を使ってライオンズクラブに入会させて頂いた。着任して2年目であった。最初、商工会議所に入れようとしていたみたいだが親父さんが1号議員をしていたのでライオンズクラブとなった。 異業種交流会みたいな奉仕団体で色々な人的人脈ができあがった。ある人曰く、ライオンズクラブは『生まれたときから死ぬまでお世話になれる』と?言った。つまり産婦人科の医者から亡くなったときの坊主までライオンズマンで

          父の人生を変えた『一日』その87 ~長岡財界デビュー~

          父の人生を変えた『一日』その86 ~業界団体~

          その86 ~業界団体~  電気業界は設備組合・電業協会を経て最終的に社団法人電設業協会に統合統一された。県の窓口が設備組合・国・道路公団の窓口が電業協会となっていたが一本化されて新潟県Aランクの会社の会社で構成されるようになった。専門分野ごとに委員会が設けられていた。そして委員会毎にアクションプログラムが組まれていった。そして会員を賛助する賛助会員電材商社・盤メーカー・電気メーカーなどが賛助会員になっていただいた。ライオンは少し考えていた。 年会費だけで援助願っていてはおかし

          父の人生を変えた『一日』その86 ~業界団体~

          父の人生を変えた『一日』その85 ~経営と技術に優れた企業づくり~

          その85 ~経営と技術に優れた企業づくり~  「ライオンさん業界の会長・理事長さんとはどういう風に選んでいくべきですか?」 ある電気業界の人から聞かれた。 「業界で実力のある人が業界を引っ張って行くべきだと思います」 とライオンは答えた。 「新潟県で一番売上のある電気工事業社は何処ですか?」 「T社です」 ところがこの会社の社長さんは電気だけでなく他の業種もあり電気業界は役員の人が代行で業界活動をしていた。次に売上のある会社はTK社であった。 「その会社がなるべきではないです

          父の人生を変えた『一日』その85 ~経営と技術に優れた企業づくり~